なぜ、有識者は「言い逃げ」してはいけないのか

前にも書いたことがあるけど、うつから回復する際に共感を持って読んで以来、椎名麟三という作家が好きである。いま読む人はそう多くないが、敗戦直後の焼け跡の日本で、実存主義の旗手とされた人だ。

重い病気のあとで新しい人生をはじめるのに役立った10冊 | たいせつな本 ―とっておきの10冊― | 與那覇潤 | 連載 | 考える人 | 新潮社
各界で活躍する方々に、それぞれのテーマに沿って紹介していただく特別な本。新しい本、古い本、日本の本、外国の本、小説も絵本も専門書もあります。書店とも図書館とも違う、魅力的な書棚に触れてください。

文学史的には、近い作風の野間宏や埴谷雄高とともに「第一次戦後派」と呼ばれる。ちなみに遅れて続いた「第二次」が、安部公房三島由紀夫で、こちらはいまも広く読まれる作家が多い。

それで、次の本で椎名について書いていたら、まさにいま大切な文章を見つけたので、シェアしておきたい。「ニヒルの克服」という題名で、1948年10月29日の『東京民報』に載ったとある。

復員して来た青年たちの一部にファシズムへの傾向の濃くなって来ているのを、最近強く感じる。勿論彼等は、自分たちの直面しているこの現実が、何等かの意味で許せないのであるが、そのために戦争をあこがれ軍国主義を、それの追憶に於て希望するのであるが、その心の奥底には、自己が自己を賭けて信じていた思想が、敗戦によって誤れるものとして刻印を押されたことに対する復讐がひそんでいるのである。
(中 略)
だがその彼等に対して、ではファシズムを今でも正しいと思っているかどうか、ここに於て問いを発して見給え。彼等は少しもそうは思っていないのだ。しかもそれにもかかわらず、やはり彼等はファシズムへの郷愁を多分にもっているのである。

椎名麟三全集23 雑纂』冬樹社、1978年
284-5頁(強調は引用者)

1947年の2月に中編「深夜の酒宴」で鮮烈なデビューを飾った椎名は、今でいうインフルエンサーで、自宅には悩める青年たちがしょちゅう押しかけていた。オンラインがつかない、文字どおりのサロンになっていたわけだ。

右から2人目が椎名、左端に同じ戦後派の梅崎春生。
世田谷文学館より)

戦後への復讐心から「ファシズムへの郷愁」に走る青年といえば、みんな思い出すのは三島由紀夫の楯の会(1968年結成。ヘッダー写真は時事通信社)だけど、たとえば森田必勝は1945年7月の生まれで、そもそも戦争の記憶があるわけはない。

つまり、後に三島と事件を起こす人たちが「バーチャルな戦前」を生きていたのに対して、1948年の椎名は楯の会よりも遥かに「ガチンコな戦前回帰派」に囲まれていた。にもかかわらず、そうした青年たちは本音では「戦前が正しい」とは思っていない。ここが、大事なところだと思う。

彼らは戦後を嫌うというよりも、かつて散々に戦前の価値観を鼓吹しながら、敗戦するや「私も騙されていた」と手のひらを返して主張を正反対に変える言い逃げ屋を憎んでいたのだ。その憎しみが強すぎるから、我先に戦後へと逃亡した無責任な面々に「嫌な思い」をさせるためなら、本当は好きでなかった軍隊や戦争の肯定も辞さない。

注目を集める識者が言い逃げばかりするとき、読者や視聴者は薄々「誰もが嘘つきだ」と感じ始める。「信じられるもの」などないという気持ちになる。だったらこっちも「信じていない口実」を使って、気に入らない相手を引きずり下ろし、痛めつけてやろう――。

社会の全体でニヒリズムが深まるそうした回路に、椎名は敗戦からわずか3年で気がついた。まだネトウヨとか、冷笑系とか、キャンセルカルチャーといった言葉が生まれる遥か以前のことだ。

しかし彼等に対して、誰が論難し得る権利をもっているだろうか。またある批評家のように、自己のイデーを押しつけることによって、彼等が人間でないことと結論する自由をもっているだろうか。
石を投げる者には、常に誠実な反省の欠けているということは、何も聖書のなかだけの出来事ではないのだ。全く誠実な反省は、この青年たちのニヒルが、よしそれがいかなる契機によって生れたにしろ、必ず石を投げる者自身のなかにも内在しているのを見るであろう。

285-6頁(改行は引用者)

顕在化した「青年たちのニヒル」を批判する有識者たちこそ、そうした状況をもたらした元凶ではないのか。言い逃げを放置することは、社会に悪性のニヒリズムを蔓延させ、人びとを互いに攻撃的にさせてゆく。そうしたサイクルにストップをかけるには、どうすればよいか。

ぼくにも妙案があるわけじゃないけど、少なくとも言い逃げしきれずに捕まった人がどうなるのかを、みんなで確認しあう機会は必要だと思う。まぁ要は見せしめだけど、ウクライナ戦争以来よく耳にする用語でいえば「抑止力」だ。みなさん、欲しいんでしょ(笑)?

とはいえその際、よそ様に石を投げるのは、自分だけは安全圏から行う「いじめ」みたいで趣味が悪い。聖書のように徳を重んじるぼくとしては、生贄に差し出すなら本人も関わっていた分野から選ぶべきだと考えて、いわば身を切る形で歴史学への「内在的批判」を続けているわけである。

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共著『教養としての文明論』では、日本はイデオロギーをまるで持たず、折々のお気持ち任せで動く社会だと論じたけど、それは同時に「言い逃げしやすい文明」でもある。むろん長短の両面があろうが、バランスをとる上では自覚的に言い逃げに厳しくすることが大切だと、ぼくは思う。

……そんなわけで、今後ともマンハントのように「言い逃げ屋」を追跡し、責任を問う作業を続けていきたいと思っていますので、多くの方のご支援・ご参戦を賜れれば幸いです。


編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年7月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。