徳田虎雄先生の遺したもの:救急医療と離島医療

7月10日の夜、徳田虎雄先生が天に召された。ALSと診断されてから約20年、難病との戦いに破れた。メディアの報道では「いのちだけは平等だ」という言葉だけは取りあげられているものの、議員としての保徳戦争や家族ぐるみの選挙違反事件など負の側面だけが強調されているのが残念だ。

へき地医療に貢献した徳田虎雄氏 徳洲会病院HPより

徳田先生は、大阪大学第2外科の先輩にあたる医師だ。私は、徳田先生の日本の医療与えたインパクトは大きいと考える。

まずは、離島医療だ。屋久島・徳之島・沖永良部島・喜界島・奄美大島・与論島・沖縄本島・宮古島・石垣島に合計13病院の系列病院を有している。離島にある病院がここに運営されていれば、経営は厳しく、人材の育成も難しいが、系列76病院が協力・連携する形で離島医療を維持している点は特記されるべきだ。

離島医療に対する強い思いは、徳田先生の弟が病気になった時、医師に診察してもらうこともできずに亡くなった悲しい体験に基づくものだ。

シカゴに行く前はよくお会いしたが、週刊誌などのメディアから流される悪い印象とは全く異なり、離島医療を語るときの徳田先生は、目に涙を浮かべつつ、「いのちだけは平等だ」と語っていた。本来は国が担うべき離島医療の供給体制を作り上げた功績は、もっともっと高く評価されるべきではないかと思う。

そして、24時間の救急医療の提供だ。自分の経験を振り返ると、大阪府立病院救急専門診療科での1年間は、濃厚で、多くのことを学んだが、あの過酷な生活を長く続けることはできない。病気は時間を選ばないので、24時間対応することは不可欠だが、それに従事する医師・看護師の肉体的・精神的負担は大きい。しかし、この24時間診療を広げるきっかけとなったのが、徳州会グループだ。もうひとつの「いのちは平等だ」がここにある。

もちろん、多くのメディアが報じるように、いろいろな軋轢を引き起こし、不協和音を引き起こしたのだろう。政治家になったのも、いろいろな課題を政治の力を借りて解決するためだったのだろう。周りが首をかしげるような言動があったことも耳にしたことがある。しかし、24時間救急医療と離島医療への貢献は、これらを差し引いても余りあるものである。

徳田先生死去に伴う報道を見聞きして、功績部分をほとんど取り上げない姿に、悲しさを覚えた。いつも言うが、日本のメディアはもっと勉強して欲しいものだ。

徳田先生、長い間ご苦労様でした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。


編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2024年7月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。