イラク戦争の亡霊をバイデン氏に投げつけるヴァンス氏

篠田 英朗

共和党全国大会でヴァンス上院議員が正式に副大統領候補指名を受諾する演説を行った。労働者のための政策をとる、という基調路線を、家族を大切にする価値観などと織り交ぜて強調したものだった。

私が非常に関心を持ったのは、ヴァンス氏が、次々とバイデン氏の実績を非難していくところだ。バイデン氏が上院議員として賛成したNATA加入や中国との貿易取引で、アメリカの労働者の仕事がメキシコや中国に追いやられてしまった、とヴァンス氏は主張した。そして、次のようにも述べた。

And when I was a senior in high school, Joe Biden supported the disastrous invasion of Iraq. And at each step of the way, in small towns like mine in Ohio, or next door in Pennsylvania, or in Michigan and other states across our country, jobs were sent overseas and children were sent to war.

(そして私が高校最上級生だった時、ジョー・バイデンは破滅的なイラク侵略に賛成した。これらの政策がとられるたびに、オハイオ、ペンシルヴェニア、ミシガン、そして全米各州の小さな町々で、仕事は海外に流れていき、子どもたちは戦争に送られていった。)

‘A night of hope’: JD Vance accepts GOP vice president nomination. Read his RNC speech.

言うまでもなく、イラク戦争を開始したのは、共和党のブッシュ政権である。それにもかかわらず、共和党の副大統領候補が、イラク戦争を支持したことを理由にして、民主党の大統領を非難するのは、いささか不公平なことであるようにも思われる。

ブッシュ政権の後には、「変化」を掲げたイラク戦争に批判的だった民主党のオバマ氏が大統領になり、イラクやアフガニスタンからの段階的な撤退を開始した。

ただし、ブッシュ政権時代の共和党の有力者は、ブッシュ氏やチェイニー元副大統領を代表として、公然とトランプ氏を批判している。反トランプ勢力の側だと言ってよい。そして現在の共和党では非主流派になっており、全国大会にも出席していない。

ヴァンス氏は、イラク戦争を過去の失敗した政策の代表例として参照することによって、トランプ氏が君臨する現在の共和党の姿を強調した。そして旧態依然とした民主党バイデン政権こそが、イラク戦争の悪夢に責任を負っている、という主張を通じて、現在のバイデン政権のロシア・ウクライナ戦争への加担が、米国の労働者階級を苦しめているインフレーションの要因になっている、という見解も補強したのだと言える。

ヴァンス氏は、海兵隊員として、イラクで従軍した経験を持つ。その経験を活かして、除隊後に大学に入り、大学院まで進んで、人生を変えた。彼がオハイオ州立大学の大学生になった時には、すでにオバマ時代であった。24歳の大学2年生の時、外交政策がテーマの授業で、ヴァンス氏は、「ひげをだらしなく伸ばした19歳のクラスメート」が、「戦争に行った経験のある人は、高校から大学にストレートに進学した人よりも、概して知的水準が低い」という意見を述べるのを聞いた。その19歳は、「兵士たちは、イラクの国民に敬意を払っていない、意味もなく虐殺をしているのがその証拠だ」、と主張した。ヴァンス氏は述べる。

戦友たちは、確固たるリベラリストであり、その多くは、軍の最高司令官(当時はジョージ・W・ブッシュだった)に対して、いい感情を抱いていなかった。この戦争では、得られる利益に比べて払う犠牲が大きすぎる、とその戦友たちは思っていたからだ。それでも誰ひとりとして、海兵隊ではそんなことを口にする者はいなかった。クラスメートが話し続けているあいだ。私はイラクの文化を学ぶために受けた、終わりのないトレーニングを思い出していた。

『ヒルビリー・エレジー』293頁

開戦前、議会の民主党の多数派は、2003年イラク戦争を支持した。その中に上院外交委員会委員長の要職にあったバイデン氏もいた。2003年当時、9.11後の高揚が醒めておらず、ブッシュ政権の支持率も高かった。民主党議員も戦争に賛成しておいたほうがいい、という流れを作ったのが、バイデン氏だった。ヴァンス氏の糾弾は、的外れではない。

私自身は、2002年から03年にかけてコロンビア大学で在外研究をしていた。開戦必至と言われていたイラク戦争に反対するデモにも参加した。当時、イラクに戦争を仕掛けることなど絶対にやってはいけない、という確信が私の心にあった。

当時の私にとって、ブッシュ政権も最悪だったが、民主党側でそれをこっそり推進しているバイデン上院外交委員会委員長も、最低だった。ヴァンス氏が「ワシントンDCの腐敗した政治屋」といったことを言うとき、バイデン大統領はまさにそれだ、と感じるのは、私だけではないだろう。

当時、私のような見方を持っている者は、コロンビア大学のような場所にいた。多数のオハイオ州の高校生がイラク戦争に反対していたとは思えない。

しかし確かに、戦争に行った若者の多くは、そうした田舎町の高卒者たちであり、コロンビア大学の卒業生ではなかったはずだ。平和構築政策の研究者である私は、イラクで米軍兵がどれだけ過酷な環境で辛い思いをしたかを、知っている。彼らがイラク人と仲良くやっていくために、最大限の努力をしていたことも、知っている。

しかし戦争そのものが間違っていた。戦後の政策が間違っていた。兵士の努力で、その根本事実を変えることはできなかった。

トランプ氏には、若かったときに徴兵逃れをしたのではないか、という疑惑がある。同時に、破天荒な言動や、イランのソレイマニ司令官暗殺事件の印象などから、強硬な政策をとるという印象も強い。ヴァンス氏も、トランプ氏は軍事力を使うときには断固としたやり方で使う、と演説で述べた。ただしヴァンス氏は、トランプ政権は本当に必要な時しか軍事力を使わない、とも述べる。そして、トランプ第一期政権の記録が、それを証明している、と述べる。良くできたトランプ政権のまとめである。

これに対してバイデン大統領は、イラク戦争の開始を支持したり、今はウクライナに巨額の軍事支援をしたりして、大規模な戦争に深く関わっている。そこをヴァンス氏は責める。トランプ氏では説得力に欠ける場合でも、20歳の海兵隊員としてイラクでの従軍経験を持つヴァンス氏であれば、誰も反論できない。

イラク戦争の責任は、「強さによる平和を実現するトランプ政権」を標榜するヴァンス氏によって、見事に民主党のバイデン氏に投げつけられた。この流れは、トランプ第二次政権成立時のウクライナへの政策にも、関わってくるだろう。