豊かな時代にモノは単なるモノとして消費され得ない

森本 紀行

羊羹は、夏目漱石にとっては、青磁の皿に盛られたものとして、谷崎潤一郎にとっては、塗り物の器に容れられたものとして、美的鑑賞の対象となっていたのであって、賞味されたのは、羊羹というモノではなく、羊羹が創造する美的感興というコトだったのである。

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芥川龍之介は、「野人生計事」という小品で、友人の室生犀星について語っている。ある日、この「陶器を愛する病」をもつ友人は、「上品に赤い唐艸の寂びた九谷の鉢」を芥川龍之介に贈与したのだが、その際、「これへは羊羹を入れなさい。(室生は何何し給えと云う代わりに何何しなさいと云うのである。)まん中へちょっと五切ればかり、まっ黒い羊羹を入れなさい。」といったというのである。

室生犀星にとって、愛好の対象は陶器であって、羊羹ではなかったであろうから、真っ黒い羊羹は、食べるモノではなく、赤い九谷の鉢の寂びた感じを引き立たせるコトのために必要だったにすぎなかったのである。

そして、後日、芥川龍之介は、「都会で」という小品において、『夜半の隅田川は何度見ても、詩人S・Mの言葉を超えることは出来ない。-「羊羹のように流れている。」』と書いたのである。S・Mは、いうまでもなく、室生犀星のことである。ここまでくれば、羊羹は食品というモノの領域を超越し、美的事象というコトに昇華しているわけだ。

ここに紹介した文士が活躍していた時代の日本において、羊羹は、それなりに高価な菓子だったに違いなく、そうでなければ高価な食器に盛られて供されることもなかったはずである。つまり、羊羹はモノとして高い価値をもっていたのである。しかし、これらの創作をなした芸術家は、知識社会の最上層にあるものとして、時代の文化を代表するものとして、名声を有し、経済的にも十分に裕福であって、もはや羊羹を単なるモノとして賞味する段階にはなかったということである。

つまり、知的にも経済的にも豊かな社会層においては、モノはモノの価値としては消費され得ず、何らかのコトに転換されて、より高次の価値として消費されるわけであって、例えば、羊羹は、様々に異なる状況において、それに適合した器に盛られ、それに相応しい方法で供されるコトを必要とし、そこで創造される美的感興というコトを楽しむものでなければならないのである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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