教養動画サービス「テンミニッツTV」(10MTV)で、呉座勇一さんとの対談番組の配信が始まりました! 初回のお試し視聴は以下から(おそらく、週1で更新が続く予定と思います。全8回)。
10MTVは隙間時間にも視聴できるよう、講義動画を「おおむね10分ずつ」に区切って配信するユニークなサービス。幅広いジャンルの第一人者が講師陣に揃っています。学者さんのほか、政治家・実業家が語る動画も多いのが特徴ですね。
私は以前、土居健郎『「甘え」の構造』(1971年)をポストコロナの視点で読み直す講義を配信しており、2度目の登板となります。
ベストセラーにありがちですが、題名だけで中身を誤解する人って多いんですよね。『「甘え」の構造』って聞くと「甘えとは、①日本人にしかないダメな特性で、②克服すべきだ」って話を連想するでしょ? でも実は①②ともに、著者の主張とは逆なんだという話をさせていただきました。
今回、呉座勇一さんと一緒に読み解くのは、やはり往年のベストセラー日本人論である、中根千枝『タテ社会の人間関係』。著書になったのは1967年ですが、原型となる論考は64年に出ています。
こちらもまた「タテ社会とは、①上下関係に厳しい封建的な組織で、②日本の近代化を阻害している」といった主張だと、読まずに思われがち。そしてやっぱり、どちらも違うんです。
上記の誤解をする人は、中根さんが「日本の身分制的なタテ社会と、欧米の平等な近代社会」を対比したと思ってるでしょ? これが間違いの元で、同書で日本と最も対照的だとされるヨコ社会の典型は、カースト制が残るインドなんですね。
京大の梅棹忠夫と並び、戦後の日本に文化人類学の魅力を広めた中根千枝(東大)がいう「タテ・ヨコ」は、平等性とは関係がなく、共同体意識が伸びてゆく方向を指しています。同じ場所に集えば子々孫々まで仲間(タテ)なのか、共通の資格を持てば世界のどこでも仲間(ヨコ)なのか。
……なので正しく理解すると、日本史を描く上でも使えるんですね。①そもそも日本はいつから「ヨコよりタテ」の共同性に全振りした社会になり、②なぜそれがある時代には高いパフォーマンスを示し、別の時代にはドン底まで行ってしまったのかを、考える手がかりになる。
2011年に『中国化する日本』にまとめる際には、全体の文脈のために見えにくくなりましたが、09年に発表した原型の論文(こちらからDLできます)では、私もはっきりこう書いておりました。
中根〔1967:44-45〕は、同一企業の従業員であるという一体感が労使や職種の別よりも優越している、タテ型組織としての日本の会社のあり方のルーツを、一九〇九年に後藤新平総裁が提唱した「国鉄一家」や、戦時中の産業報国会に見出し、さらにそのデメリットとして、「他の会社に移りたくとも、そのルートがない。
すなわち職種別組合的な『ヨコ』の同類とのつながりがないから、情報もはいらないし、同類の援助もえられない」点をあげ、「嫁いできた日本の嫁の立場に似ている」と評している。(中 略)
なぜ日本では「タテ型」の組織が成立した場合に、ヨコ型の人間関係が常に寸断され続けるのか、という問題を考える上では、日本におけるヨコ型の職縁的紐帯が、あくまでも社会全体の「中国化」という文脈の中で浮上するエフェメラルな存在であったと解釈するのが、最もわかりやすいと思われる。
例えば桜井英治〔1996:216-229〕によれば、中世後期の「座」のような商人の同業組合は、間地域的な職縁集団(すなわち、ヨコ型組織)であったが、結局は近世初頭にかけて、地縁結合による町共同体(本稿の文脈では、タテ型組織)との競争に敗北し、その支配を受け入れることになった。
PDF・28-9頁(改行を変更)
拙論ではこの後、明治末に叢生した最初期の労働組合は(欧米と同じ)職種別のヨコ型だったのに、大正を転機として企業別のタテ型に入れ替わっちゃうという話が続きます。2008年にリーマンショックが起き、雇用や格差がいちばん熱く論じられた時期の執筆ですから、「タテ社会かヨコ社会か」は、まさに目の前で展開するリアルな課題でした(ヘッダー写真の頃です)。
アイデアのオリジナルにあたる、中根千枝の論文からは、今年で60年。上述の私の論文から数えても、早くも15年。その間に日本が抱える問題の構図は、どこまで変わったでしょうか。
日本中世史のプロである呉座さんと、一緒に徹底討論しています。有料のサービスとはなりますが、多くの方にご覧いただければ幸いです!
P.S.
先日のホルダンモリさんの番組でも裏話を披露しましたが、共著『教養としての文明論』でどの日本文化論を採り上げるかは、チョイスが難航して、そのとき悩んだ候補のひとつが『タテ社会の人間関係』でした。
書籍のスピンオフ番組として、Wで見てくだされば議論の充実ぶりは保証します! ちなみに本記事のタイトルは、同書でも言及している、梅棹忠夫編『文明の生態史観はいま』から採っています。
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編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年8月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。