少し前ですが、珍しい記事を見つけました。日経に「産経新聞、富山で発行休止 サンスポなども9月末で」とあります。富山県での産経新聞の売り上げは一日平均272部と報じられています。富山県の人口が104万人ですから購読率0.026%。これでは宅配コストや販売手数料を考えるとやればやるほど赤字になるのはうなづけます。
ところが記事をさらに追っていくと毎日新聞も富山県の販売を9月で止めるとあります。こちらは840部販売していたそうです。更に朝日新聞は10月から静岡、山口、福岡で夕刊を止め、すでに止めている北海道を含め、その休止エリアが増えてきています。
新聞発行部数の長期低落傾向については今更申し上げるものではないのですが、あの発行部数はどこまでを信じてよいのかさっぱりわからない不思議な世界であります。発行部数=印刷部数ですが、廃棄も相当あるはずです。また新聞社の発行部数は広告営業のためもあり、膨らませて表現するのが世の常でおおむね実販部数の2倍ぐらいでしょうか?
私は昔から「新聞屋のほら吹き」と言っています。新聞をやっている方に「オタク、どのくらい発行しているのですか?」と聞くことがよくあります。自社で広告を打つかどうかの判断の一つを発行部数で見るからです。その媒体によりますが、あるローカルメディアから5000部と言わたので全盛期の時代から発行部数は営業トーク上、減っていないだろうから、半値八掛け二割引かな、と計算します。つまり1/3の1700部ですよね。日本の新聞社はそこまで盛らないにしてもそんなものです。
私は宅配の新聞はもっと絞ってよいと思うのです。新聞社における夕刊の意義は世界最大級の発行部数を維持するためで、実態としてはいやいややっているけれど止められない、そんな感じに見えます。体力競争で勝ち組負け組がはっきりしたのち、大手新聞社である読売、朝日、毎日、産経、日経、中日/東京あたりは一部で合併するか新聞社売却もアリだと思います。
地方紙の場合、悲惨なのは地元の取材はできるけれど全国区のレベルの高い水準の取材は出来ません。そこでニュース記事の配信会社である時事通信と共同通信から記事を買っているのが現状でそれに地方版を絡ませた記事構成になっています。ただ、テレビ局も地方とのネットワーク化が進み、全国で在京の報道局が流す番組をネットワークを通じて日本全国に流す仕組みになっているとすれば主力新聞社が地方新聞とネットワークを組んでもよいのだろうと思いたくなります。
ところが、実情は違うのです。
都市圏に住んでいる人にとって地方新聞の存在は小ばかにする話でしょう。では先述の富山県の新聞購読の世帯普及率の内訳をみると北日本新聞56%、読売新聞18%、北國新聞11%です。これを足すと85%のお宅で新聞購読をしている全国トップの「知的水準」ですが購読新聞の寡占状態が一番進んだ県の一つなのです。ほかに世帯購読率が高い県は石川、鳥取、徳島、山形、群馬、長野あたりです。
次に地方新聞が全国紙を凌駕している県ですが、これは言うまでもなく沖縄。あとは石川、鹿児島、青森あたりも地方紙が圧倒的に強いのです。なぜ、地方紙が売れるのか、といえば語弊があるのを十分承知で申し上げると田舎にいて日銀の話を聞いてもしょうがないし、銀座で銀行強盗があった話も興味ないのです。地方にいれば地方のニュースが主なのです。
例えば私はバンクーバーに住んでいるのでバンクーバーのニュースには興味があります。実際にCBCという国営の報道局のニュースウェブサイトはよくできていて、ウェブで自分の住んでいる地域(州)を選択するとニュース欄にカナダのニュースとは別に州のニュースがローカルニュースとして表示されるのです。私もトロントで殺人事件があっても記事を読むことはありません。だけどバンクーバーで火事があればつい読んでしまうのです。
新聞とは生活県内の情報をいかに反映させるか、ここにポイントがあります。それこそ農家のための情報なども重要でそれらを反映できるのは地方新聞ならでは、であり、全国区のニュースは時事通信や共同通信の薄い内容の「事実報道」で十分満足でそれ以上も求めないのです。
そういう意味では地方紙は地方紙としての必需性から今後も残る公算は高く、むしろ都市圏で活躍する大手新聞社のほうが厳しいのだろうと思います。一部の新聞社は不動産会社と化しているところもありますが、不動産で儲けると本業がおろそかになりやすいのは世の常で、某ビール会社もその典型です。
あとは先日の「平成のコメ騒動???」の話ではないですが、記者のクオリティを上げてほしいと思います。大手の記者はどちらかというとバランス感覚というか社の方針になじむ記事が多いのに対してフリーランスの記者はどぎついものも多く、様々な記者会見でも割と品位がない行動が見られるのは「俺はペンで飯を食っているんだ!」という自負が強いのでしょう。ただそういう方の記事になぜかかなり偏屈なものがあるのも事実でごくわずかの読者に強く支持されるような感じです。
一般向けにはクオリティの高い記事を読んでいただくのがベストですが、日本には高級紙というジャンルに当てはまるメディアがありません。日経以外は全部一般紙。その下にタブロイド紙がありますが、これは読むに堪えるものではありません。日経は専門紙で取材能力と分析力はあるし、フィナンシャルタイムズも抱えているのですが、記事内容のばらつきぐあいはちょっと気になります。たぶん、マーケティング戦略が正しくない気がします。素材としてはもったいないと思います。
今後淘汰されるのはたぶん記者だろうと思います。溢れすぎた情報の中で更に人目に付く記事を書くのは至難の業でそれで飯を食うのがそもそも無理な話ではないでしょうか?
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年8月19日の記事より転載させていただきました。