日本文藝家協会に入っているのだが、会報(文藝家協会ニュース)の10月号に、小説家の笙野頼子さんがコラムを寄せていた。タイトルは「続・女性文学は発禁文学なのか?」。
「続」とあるのは、2021年の11月にも、笙野氏は同じテーマで寄稿しているからだ。「発禁文学」とは、同氏がトランスジェンダリズムに反対した結果、文壇でキャンセルされかけたことを指す。
笙野さんの最初の寄稿は、私の入会に前後する時期だったので、目にしたかの記憶が曖昧だ。しかし同じコラム欄がその後、トランスジェンダー問題ばかり議論する場になっていたのは、驚いたので鮮明に覚えている。
小説家の李琴峰・藤野可織、評論家の小谷野敦の各氏が、それぞれ異なる立場から寄稿されたはずだ。明白にTRA(Trans Rights Activists)、つまり「トランスジェンダー女性は100%の女性であり、当然に女性スペースの利用や女子スポーツへの参加が認められ、違和を唱える行為は差別だ」とする立場で発言されたのは、李氏であった。
この李琴峰氏は台湾出身で、本人もトランスジェンダー女性なのだが、いま炎上の渦中にある。「差別者」と見なした相手を台湾でまず刑事、続いて民事で訴えて認められなかった後に、相手の(訴訟を通じて得た)個人情報を、姓名・生年月日・出身大学に至るまでネットで公開したからだ。
端的にいえば、公的な司法が思い通りに動かない場合に、文筆家として得た名声(芥川賞受賞)と人脈を使って、対立者へのオンラインでの私刑を試み、それが批判を招いているわけである。
こうした風景は私にとって、いまや懐かしい郷愁をそそる。
そう。ちょうど笙野頼子氏の最初のコラムが掲載された2021年の秋、私もそうしたネットリンチと闘う渦中にいた。本来は単なる「公開書簡」の訳語なのに、いまやすっかり特定の一枚を指す固有名詞となってしまった、「オープンレター」をめぐる騒動である。
……え? オープンレターは呉座勇一とかいう歴史学者がやらかした悪口の話で、「トランスジェンダーは関係ないでしょ?」と思った人は、なにも理解していない。この夏に『正論』でも記したとおり、2021年の4月に公表されたオープンレターは、日本の学界を最大規模で襲ったトランスジェンダリズムの示威行動だったのだ。
当初は18名だった〔オープンレターの〕呼びかけ人のうち、2名はネットリンチへの批判が高まるにつれて降りたため、最後まで残ったのは16名。その半数が、いわゆる「トランスジェンダリズム」(性自認至上主義)の活動家なのだ。
学者では三木那由他氏(大阪大学講師)が、トランスジェンダー女性の当事者。清水晶子(東京大学教授)・小宮友根(東北学院大学准教授)・山口智美(モンタナ州立大学准教授)の各氏は19年に出た、トランスジェンダー女性が女子大に入学する権利を求める声明でも呼びかけ人。隠岐さや香氏(名古屋大学教授)は公開の動画で自身を(性自認を男女のどちらにも位置づけない)ノンバイナリーだと示唆し、北村〔紗衣〕氏と並んで、ツイッターでも「トランス女性差別」(だと彼女たちが見なすもの)を糾弾する発信をしていた。
編集者では小林えみ氏(よはく舎)が、23年冬に問題となったトランスジェンダー関連書籍の出版中止の際(24年4月刊行の『トランスジェンダーになりたい少女たち』産経新聞出版)、予定刊行元だったKADOKAWAにクレームを入れた出版関係者の代表である。
『正論』2024年7月号、213-4頁
算用数字に改め、強調を付与
肩書はオープンレター公表時
「お前、後出しで言ってない?」と疑う人もいるだろうが、そうではない。具体的な経緯は、本連載で後日明らかにするが、私は2021年春の問題発生の当初から、オープンレターの主力がトランスジェンダリスト(TRA)であることを明白に把握して、すべての対抗言論を組み立てていた。
たとえば、オープンレターの「執筆者は誰か」を考察した21年12月4日の稿で、こう記したのは、あなたがたの正体は「わかっていますよ」と、ジャブを打つ形で相手方に通知するためである。
オープンレターの文面には、呉座氏の案件とはまったく関係のない「トランスジェンダーの人びとへの差別的言動などにおいても同様によく見られる」云々との唐突な一節があり、これをトランスジェンダー擁護の活動をしている小宮〔友根〕氏の文章と見る向きは多い。
しかしそれ以外の部分は手がかりがなく、また2019年2月に出されたトランスジェンダー女性が「女子校・女子大」に入学する権利を主張する声明では、小宮氏のほかに、やはり後にオープンレターの呼びかけ人となる清水晶子氏(東京大学)も発起人となっている。
段落を改変
21年の当時から「お前らの狙いはトランスジェンダリズムの宣揚だろう!」といった形で、オープンレターを批判しなかったのは、第一に論点がずれてしまうからだ。キャンセルカルチャーの当否自体は、その「キャンセル」がトランスジェンダー問題に起因するかとは、関係がない。きっかけの如何を問わず、正当な抗議もあれば、不当なキャンセルもある。
第二に新型コロナウィルス禍が続き、ステイホームで始終SNSばかりいじる人の多かった21年の冬には、Twitter上に限ってはいまだTRAが圧倒的な勢力を持っていた。そこでトランスジェンダーを争点に据えたら、オープンレターの側は「ほら見ろ。私たちを批判するのは『トランス差別者』の側につくのと同じだぞ!」として、野次馬を動員する口実に使っただろう。
第一の理由は、まっとうに議論するという「規範的な目的」のためであり、第二の理由は、勝負で損になる手は打たないという「合理的な目的」に沿ったものだ。前にも書いたが、議論に強い人とはこの両面を常に踏まえた、私のような人をいう。ホンモノの言論とは、そういうものだ。
ホンモノが、報いられなければならない。ニセモノは、去らねばならない。
実はニセモノたちは、すでに逃亡を始めている。先に『正論』からの引用で名前を挙げた、オープンレターに関わったトランスジェンダー活動家7名のうち、三木那由他・清水晶子・小宮友根・小林えみの4氏は、当時用いていたTwitterアカウントを(一時)停止したり、更新ペースを極度に落としたことが知られている。
特に三木氏は言語哲学が専門にもかかわらず、「本を読まずにレビューを見て批判します」との態度を表明して炎上し、直後にアカウントごと消すふるまいを示して、笑いものになったようだ。
上記のツイート氏が、三木氏の所作をオープンレターと結びつけたのは、完全に正しい。レターに署名した別の哲学者(世代やジェンダーは異なる)が、呉座勇一氏が具体的に「いかなる悪事をしたか」を把握する必要はない、本人が頭を下げた以上はいくらでも叩いてよい、と公言した挿話(2022年2月)は、人文学の信用を失墜させた。
詳細は次回に譲るが、オープンレターと同様にいまや、Twitter上ですらTRAは嫌われている。笙野頼子氏へのキャンセルの不当性も、栗原裕一郎氏が2022年7月の『週刊新潮』で論じて広く知られた。まさに、前年の秋からオープンレターが大炎上を起こし、TRAの試みに黒星がついた後だ。
2021年の11月以降に生じた(というか、私が起こした)権威の凋落以降、オープンレターは「バカな学者」の同義語として、すっかり定着している。問題を起こした研究者が、検索されて「署名していた」とわかるや炎上が加速する事態は日常茶飯事で、いまも最新版が進行中だ。
追記(11月27日 9:00)
オープンレター署名者の田中東子氏が、裏アカウントで凌辱的なBLを執筆・刊行していた疑惑についてのTogetter(上)が閲覧制限とされたようなので、参考情報のページ(下)を足すとともに、ハッシュタグにも追記する。
しかしいま、「コイツ、オープンレターじゃん?」とだけ書き捨てて悦に入る人は、そもそもオープンレターがなんであったかを知っているか。ホンモノがどのようにそれを覆し、ネット上の言論空間をまともに戻してきたかを理解し、その試みを受け継ごうとしているか。
それ抜きで、気軽な罵倒語としてのみ「オープンレターww」と嗤うのは、ちょうど形勢が逆転する前、レターの署名者が事実も把握せず「呉座界隈ww」と嘲笑して、勝った気でいたのと変わらない。つまり、ニセモノだ。
実際にだいぶ前から、署名者たちの側はオープンレターへの言及を避けている(だからWikipediaのページでも、重要な固有名詞ほど厳重に消されている)。彼ら彼女らは、記憶が忘れ去られて「それ、具体的になんですか?」と言い返せるタイミングを待っており、事実を知ろうとしないニセモノな批判者の存在は、むしろ思う壺なのだ。
ニセモノで、あってはならない。ホンモノが、模範とされねばならない。
(中途に他の記事も入ると思いますが、マガジン「pork rillettes」に足してゆく形で、来月から不定期に掲載します)
参考記事:
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年11月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。