前回、承認欲求を満たすのは「自分がキラキラする」のとは違うよ、ということを書いた。ここ数年間書いてきたとおり、それを直観的にわからせてくれる素材として、ベストなのは対面でボードゲームを遊ぶことである。
キラキラしてるから私を認めて! というのは、ボードゲームで言うなら「お前らに勝った俺様スゲー!」みたいなものだろう。しかし、ふつうはそういう人とは、あまり遊びたくない(笑)。それに、勝つ人しかプレイを通じて承認を得られないかというと、もちろんそんなこともない。
そのことについて、執筆した『公共』の教科書をめぐるインタビューの中で、ぼくはこんなふうに話している。
ぼくはうつで3年間ほど働けなくなり、リワーク施設に通っていた時期があります。そこで知りあった友人たちと、施設でよくプレイしていたボードゲームを久しぶりに、自宅で再戦してみたんです。
うつの最中は脳の機能が低下するので、ルールの飲み込みも遅くなります。逆にいまは、みんな職場に復帰しており、当時よりずっと元気。……なのですが、リワークでは昼休みの余り時間にささっと遊んでいたゲームを終えるのに、1時間以上かかってしまいました。どうしてか。
能力が回復している分、自分が打てるベストな手=「正解」があるんじゃないかと、めいめいがバラバラに考え込んじゃったんですね。一緒にプレイする他のメンバーじゃなく、「自分とゲーム」の方だけを見てしまった。これでは、遊びのテンポも悪くなる。
強調は今回付与
このとき話しているゲームは、共著『ボードゲームで社会が変わる』でも採り上げた、『フォルム・ロマヌム』だ。英語でいうとRoman Forum(ローマの広場)ですよね。Wikipediaにいいページが立っています。
ひと言でいうと「五目並べの進化版」で、6人までプレイ可。ボードはヘッダー写真のとおりで、タテ・ヨコ・ナナメはもちろん、色で塗り分けられた長方形の広場も、駒で埋まると決算になる(外周の黒丸チップは「決算済み」を示すマーカー)。
「最も多くの駒」を置いていた人が点数を総どりし、0駒(置いていない)も含めて「最も少なかった」人は減点されるが、①トップが同数の場合は決算じたいが延期される。
しかし駒の総数がマス目より少ないため、途中からは「すでに置いた駒」を移動させてプレイすることで、②決算を延期した均衡がやがて崩れ、逆転劇が起きるのが面白い。
だけどこのゲーム、「先手番が有利すぎる」という低い評価もあって……。そうかなぁと疑問だったんですが、各プレイヤーが「ガチンコ」で一手ごとに、どの駒をどこに移すのが勝つためにベストかを延々考えてプレイしたら、確かに最先手だった人が勝った気も(笑)。
ただ、それはこのゲームの「楽しみ方」とは違う気がしたんですよね。
ぱっと見て、次の決算は「このエリアかな?」という印象で、長考せずさっと駒を置いてみる。すると、他のプレイヤーも「主戦場はそっちか!」と釣られて、同じエリアに駒を持ってくる。
ところがそれで、別のエリアの均衡が崩れて……みたいに、誰もが考えすぎない分、ミスしてOKなプレイングの方が、「マジか?」「あっちゃー!」と声が出て盛り上がります。
対面で遊ぶときは、相手とリズムを合わせることが大事です。パッと直感で打つ手を決めればミスもするけれど、でもそれに釣られて他のプレイヤーもミスをして、結果的には意外にいい手になるかもしれない。
(中 略)
裏返して言うと、「正しい」最善手を打つことは、楽しむための必要条件ではないわけです。「正解」がないことが、不安を募らせるのではなく、むしろ参加者を楽しくさせる空間を作る。
(中 略)
本来、あらかじめ「ひとつの正解」があるのなら、政府が力で押しつける権威主義の方が効率的ですよね。むしろ私たち民主主義の国がめざす公共とは、そうした答えがないからこそ、国民が議論して見つけてゆくものだったはずです。
段落と強調箇所を改変
前に、試作品のゲームを「テストプレイすること」の意義が、SNSや言論空間が「自由で楽しい場所」であるための条件と、ぴったり重なる件について述べました。いま振り返るなら、それは民主主義とは「永遠のテストプレイ」でしかあり得ないことを示唆していた。
権威主義の政権は、政策を一手でもまちがえたら威信を損なうので、ミスができない。とはいえミスは犯すので、「まちがえてない!」と強弁し続け、異なる評価は法や暴力で潰すしかない。
そうではなく、「まちがえるからこそ楽しい」空間を作れるかに、民主主義の意義は懸かっている。古代ローマの公共広場は、定期的に民会が開かれる「民主政のゆりかご」でしたが、それを再現したゲームからも、同じメッセージを受けとれる。
周囲の人と「まちがえあいながら遊ぶ」ことの意義は、民主主義の危機が言われるいま、かつてなく遊びごとでなくなっていると思います。
参考記事: 上は製品の公式ページ
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年12月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください