産経新聞の小中学生アンケートにはあきれたが、最大の皮肉は、産経が誘導尋問でいわせようとしたのとは逆に、子供も「選択的夫婦別姓に賛成」という答が多数派だったことだ。
企業でも旧姓を使うことを認めない社はゼロなので、今度の民法改正はこの実態に合わせるだけだ。産経が反対する理由はない。
これは選択的夫婦別姓についての普通の世論調査と同じである。たとえば日経新聞の昨年7月の調査では、7割が賛成である。
例外は内閣府の調査で「夫婦同姓を維持した上で旧姓の通称使用を設ける」という作為的な選択肢を設け、単純に選択的夫婦別姓の賛否を問う世論調査をしたことがない。自民党が調査に介入するからだ。
いずれにせよ少数派の自民党以外のすべての会派が(公明党も含めて)選択的夫婦別姓に賛成であり、自民党も党議拘束しない方針らしいから、次の国会で民法・戸籍法が改正されることは確実である。不可解なのは、こんな自明の法改正に28年もかかり、産経まで必死に反対することだ。
強制的夫婦同姓は明治の家父長主義のなごり
この話の発端は、1996年の法制審答申に神社本庁(神道政治連盟)が反対して閣議決定を阻止したことだ。神社本庁は各地の神主の組織なので、そこに遺族会や日本会議などの古い支持団体が集まってきた。当時はこういう戦前世代が自民党の個人後援会を仕切っていたので、自民党もこれに迎合し、妻が夫に従属する家父長主義を守ろうとした。
しかしそれは古来の伝統ではない。夫婦同姓は明治31年(1898)にできた民法で初めて決まったもので、それまで日本の家族制度は夫婦別姓だった。それも武士だけの話で、百姓には姓がなかったので、伝統もへったくれもない。
このような昭和保守の家父長主義は、戦時体制で天皇を神格化するため学校で教え込まれたもので、その鏡像が家長を頂点とする家制度だった。しかしそんな権威主義的な天皇制は誰も信じていなかったので、敗戦とともに雲散霧消してしまった。
「昭和保守」にはもう守るべき価値がない
ところが錯覚だとわかっても、昭和保守は結論を変えないで理由を二転三転させた。高市早苗氏は「旧姓を公文書で使えるようにすべきだ」と主張し、総務相だったとき1000本以上の法律を改正したが、旧姓で仕事するためなら民法と戸籍法を改正すればすべて解決する。
「夫婦の姓が別になると一体性がなくなる」という反対論もあったが、それは当の夫婦が決めることで、他人が干渉する問題ではない――と一蹴されたら、今度の小中学生アンケートが出てきた。これも子供にも否定されてしまった。
ここまで産経が追い詰められたのは、昭和保守にもう守るべき価値がないからだ。かつては憲法改正が旗印だったが、安保法制で解釈改憲した今は、条文の改正に大した意味はない。残るのは男系天皇ぐらいだが、これも古来の伝統ではない。
男系男子の皇室典範は、明治政府の法制局長官だった井上毅の決めたものだ。万世一系の皇統譜は大正時代に宮内省の編纂したもので、その血筋を裏づける一次史料はほとんどない。多くの王朝では王位継承をめぐってしばしば戦争が起こったが、権力のない天皇の血筋には意味がなかったからだ。
今年は戦後80年でもある。昭和保守の脳内には、まだ80年前にマッカーサーに支配された屈辱が残っているのかもしれないが、そんな記憶はもうほとんどの人にはない。今年は昭和を清算して後ろ向きの話はやめ、未来に向けて日本をどう再構築するかを考えよう。