「年金をもらいすぎていたら、働いているわけがないだろう」「高齢者は十分に納めてきた」論の誤りについて

日経新聞の記事を引用して「いまの高齢者はもらいすぎ」とポストしたところ、

「年金をもらいすぎていたら、働いているわけがないだろう!」
「高齢者は十分に納めてきた!」

という間違った意見がそれなりに集まってきたので、反論しておきます。

なお、現在の年金は

・デフレを言い訳に、本来やるべき受給調整策(マクロ経済スライド)を怠ってきた
・半分は国庫負担金(税金)が投入されている
・現役世代の負担は過去と比べ物にならないほど重たくなっている

点から「もらいすぎ」であるとの表現はまったく誇張ではないと考えています。

まず

「年金をもらいすぎてたら、こんなに高齢者が働いてるわけないだろう!」

という意見についてですが、年金だけで暮らさない・暮らせない人がいるのは当然の話です。

年金だけで何不自由なく暮らせる制度設計が少子高齢化の今できるわけがないし、するべきでもない。

年金がいくらもらえるかは、各人がそれぞれ大体はわかっているわけですから、それを見越して人生計画を立てる。

必要であれば年金受給開始後も自助努力として働きながら、仕送りを受けながら、あるいは貯金を崩しながら年金の助けを借りて老後を過ごしていく。

その年金に著しい世代間格差と現役世代への負担過多が生じており、本来マクロ経済スライドで減額すべきであった分をはじめ、歳出削減等の是正が必要ということです。

続いて「高齢者もたくさん保険料を納めてきた!」論ですが、明確に誤りです。

【国民年金保険料】
発足時(昭和36年):
月100円 ※35歳以上150円
現在:
月16,980円

【厚生年金保険料率】
発足時(昭和17年):
4,9% ※その後昭和35年まではさらに下がって2.3%
現在:
18,3%

自分で納めた分だけでは現在の年金支給額をカバーできないのは明らかで、いま支給されている年金の半分は国庫負担(税金からの支出)となり、現役世代は当時とは比べ物にならないほど重たい保険料負担に青息吐息となっています。

この明らかな格差を無視することは、それこそ「世代間の対立を煽る」ことにならないでしょうか

負担を増やすのではなく歳出を削減し、世代間に公平で持続可能な制度を構築することが急務です。

今年は年金改悪法案が国会に提出見込みとなっている勝負の年。粘り強く社会保障制度改革の必要性を訴え、丁寧に説明を尽くしていきます。

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編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2025年2月2日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。