開戦から4年目に入るのを前にして、ウクライナ戦争の「終わり」がようやく見え始めた。ただしそれは、当初予想された形ではない。
ウクライナと、支援してきた「西側」とが、ロシアに敗北する。日本もまた武器輸出こそ行わなかったものの、ずっとウクライナの側に立ってきたのだから、そうした「敗戦」を受けとめることを強いられるだろう。
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とはいえ、人は「見通しの誤り」を認めるのが難しい。とりわけ、プーチンが池乃めだかのように「これぐらいにしといたるわ」と負け惜しみを言って終わる、と予想してきた過去があったりすると、なかなかつらそうだ。
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かくして「受け入れられない敗戦」が迫るとき、人間はどうふるまうのか。今日のウクライナ有事は未来の日本有事であるから、しっかり観察しておくことは非常に大切だ。最適なサンプルが落ちていたので、ご紹介しよう。
以下のラジオの放送日は今年の1/9で、トランプが米大統領に就く目前だ。選挙戦中は「24時間以内に停戦させる」とブラフをかけたのが、さすがに現実的な物言いに切り替えたことに関して、日本の国際政治学者はこう語る。
東野篤子(41:50頃から)
「24時間で解決できるはずがないっていうですね、そういったツッコミがなされていたんですけど、もしこれが『6か月、できればそれよりだいぶ前』っていう風に〔トランプが〕言い出したんでしたら、どれだけこの問題を解決することが難しいかということが遅まきながらわかってきたんだろうと思うんですよね。
やっぱりそれはトランプさんに対するインプット、『これはこういう状況にあって、したがって24時間っていうのは非現実的ですよ』とか『こういう解決法しかないですよ』ってこと、一生懸命叩き込んでいかないといけないですし、叩き込み甲斐はあるんだろうと思うんですよね。
(中 略)
だから変えていくっていう、トランプをいかに変えていくかっていうことをもう少し意識した方がいいのかなと思うんです」
強調は引用者
なんでこんな上から目線なのかは不明だが、和平の仲介に当たって最大の交渉力を持つ国を、自分にとって都合よく改心させられるくらい、日本人のセンモンカ・パワーはすごいと思い込んでいるらしいことはよくわかる。
こうしたご都合主義には、先例がある。いまから80年前、太平洋戦争で敗色が濃くなる日本の政府と軍の一部が、日ソ中立条約を結んでいたソ連に「有利な講和の仲介」を期待していたことは、よく知られる。
そうした現実逃避がどれほど妄想の域に達していたかを、実証史家の伊藤隆が著書に書いている。前回ご紹介したとおり、ハンガリー事件を機に徹底した反ソ・反共に転向したあの人が、である。
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1945年の3月3日、内大臣だった木戸幸一はーー
木戸は宗像〔久敬。日銀〕に、ソ連は共産主義者の入閣を要求してくる可能性があるが、日本としては条件が不面目でさえなければ、受け容れてもよい、という話をしている。
そればかりか、木戸は「共産主義と云うが、今日はそれほど恐ろしいものではないぞ。世界中が皆共産主義ではないか。欧州も然り、支那も然り。残るは米国位のものではないか」「今の日本の状態からすればもうかまわない。ロシアと手を握るがよい。英米に降参してたまるものかと云う気運があるのではないか。結局、皇軍はロシアの共産主義と手をにぎることゝなるのではないか」と述べ、宗像を驚かせている。
伊藤隆『日本の内と外』中公文庫、345頁
(強調を附し、段落を改変)
木戸ひとりが変だったのではなく、海軍重鎮の岡田啓介(元首相)・野村吉三郎(元外相)、皇族の東久邇宮稔彦(敗戦後に首相)、哲学者の西田幾多郎も似た考えだったとして、名前が挙がっている。錚々たるメンツである。
「世界中が皆共産主義」がまちがいとは言えなくて、米国も当時は社会主義的なニューディール政策だったし、英国も労働党政権への交替が迫っていた。いま風に言いなおせば、「世界中が皆自国ファーストではないか。トランプは異常な人ではない、叩き込めばわかる!」といったところか。
……もっとも、日本人の都合に世界が合わせる義理はないので、早くも木戸発言の1か月後には、ソ連が中立条約の実質廃棄を通告。同じように(?)大統領就任後のトランプも、変わらずプーチンとの妥協に向かっているが、しかし日本のセンモンカは「叩き込み」を諦めない。
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2月16日。
匿名のリプライの方が
リアリズムを踏まえているのが
笑えますね(笑えません)
つくづく不思議なのだが、同じ理屈で「プーチン(政権)に憤ったり、出てくる案を全否定したりするだけで終わってしまっては、何にもなりません」とも言えるのだけど、なぜこの人はそう発言せず、むしろ逆のことを開戦以来ずっと叫んできたのだろうか。
客観的に見て、いかなるディールをしようと、侵略で獲得した占領地をロシアにすべて放棄させることは、トランプには不可能だろう(その気もないであろう)。できるのは、プーチンだけである。
どうして、ウクライナの4州を手にしてもロシアは失うものの方が多いと「遅まきながらわからせ」、「プーチンさんに対するインプット」を「一生懸命叩き込んで」、「プーチンをいかに変えていくか」は考えないのだろうか。聞いても本人は答えないだろうが、答えはもう80年前に出ている。
周知のとおり戦前、共産主義は非合法で、木戸は鎮圧にあたる内務大臣だったこともあった(平沼騏一郎内閣)。それでも開戦後に東条英機と組み、対米講和の機会を潰し続けた自分の面子を守るためなら、ワンチャン「スターリンさんに対するインプット」で難局を打開できれば、それがベストだったのである。本人以外にはワーストでも。
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東京裁判で裁かれる木戸幸一。
判決は終身禁固だが、
1955年に仮釈放となった
(写真はWikipedia より)
戦争責任と言ったとき、しばしば議論は開戦の過程や、戦地での残虐行為に集中する。むろんそれらも大事な課題だが、同じことは「終戦責任」についても、当然ながら問われなければならない。
昭和天皇の存命中は、そんなことは自明だった。「もっと早く ”ご聖断” が下っていれば」と、一度も思わなかった日本人などいないだろう。しかし30年余の平成を経て、すっかりそうした記憶は薄れ、ぶり返すように日本人の悪癖が戻ってきたことを、令和のセンモンカの姿は教えてくれる。
繰り返すが、今年は戦後80年。それは私たちにとっては、「敗戦後」80年でもある。ウクライナでの新たな敗戦まで迎えようとするさなか、私たちがいま追及すべき責任の所在はどこにあるのか、誰の目にも明らかである。
(ヘッダーは、読売新聞の歴史記事より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年2月日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。