3/11にサウジアラビアでの協議で、米国とウクライナが「暫定停戦案」に合意した。もっともロシアが乗らなければ意味がないので、今後の帰趨はトランプとプーチンのディールに委ねられよう。
先月末にホワイトハウスで「停戦を拒否している!」と痛罵されたゼレンスキー大統領には、欧州諸国から同情が寄せられた。しかし実際のところ、戦争が始まったときのようには、すでにどの国も本気で相手をしていない。

たとえば2/14に、ゼレンスキーは「ロシアがチェルノブイリ原発を攻撃した」と発表している。本当なら大事件だが、なんの反響もなかった。

いちいち言うのは野暮だけど、せっかく米国との直接対話が始まるという時期に、ロシアがそんな挑発行動をとる理由はない。「欧米のみなさん、見捨てないで!」とPRするウクライナの自作自演でしょ? と、どの国も内心思ってるから、つっこまずにスルーしたのだろう。
2022年9月のノルドストリーム爆破事件の際は、ロシア側にメリットがないことは明らかにもかかわらず(ガス供給で脅すなら、元栓を締めればよい)、「ロシアの犯行だ!」と専門家がメディアで断定して、みんなが頷いていた。わずか2年半でえらく変わった果ての、今回の停戦案である。

遠からず示されるだろう「米露主導の和平案」でも、ウクライナが領土の割譲を強いられることは、ほぼ確実だ。それ、おかしくない? ウクライナの主権に対する侵害を止めるために、戦争を続けてきたんじゃなかったっけ?
これは看過してよい問題ではなく、私たちはウクライナか、「あらゆる主権国家一般」か、どちらかを切り捨てるよう迫られているのかもしれない。
実はそもそも、プーチンの言い分に従えば、ウクライナは主権国家ではない。開戦当初は、そんな「妄言」は無視するのが西側のコンセンサスだったが、いまやそうも行かないのが現状だ。

上記の年表を作る際に参照した、ソ連史研究の泰斗である下斗米伸夫氏の『プーチン戦争の論理』に、重要なことが書いてある。一言でいうと、ソ連邦が正式に消滅する目前の1991年冬、CIS(独立国家共同体)が結成されて以来、ロシアとウクライナはずっと同床異夢だったという指摘だ。
ロシアがCISのなかに求めたのは、旧ソ連諸国における後継国家、さらには「リーダー」としての役割であった。ところが、ウクライナやモルドバといった独立国は、CISを「旧ソ連地域の各国が、ロシアと円満に離婚(文明的離婚)するためのもの」と考えた。……この温度差が様々な摩擦や軋轢を生み、現在のウクライナ危機のような複雑な関係をもたらすに至った。
177頁(強調は引用者)
要するにCISがソ連に代わる「新会社」なのか、単なる「清算事業会社」なのかで、認識が正反対にズレていたわけだ。もしCISがソ連の後継国家なら、これは大変なことで、そもそもウクライナは最初から完全な主権国家ではなく、いま起きているのはCISの「内戦」に過ぎないことになる。
むろん2014年のマイダン革命を経て、ウクライナは18年にCISからの離脱を表明している(ポロシェンコ政権下)。ところが面倒なのは、クリミアが有名だけど、同国には旧ソ連の下で「増やしてもらった」領土があることだ。
なのでプーチンに言わせると、ウクライナがCISから出ていく場合は、増やしてもらった分を置いていく義務があることになる。下斗米著では189頁から解説されるが、プーチン本人の悪名高い「一体性」論文から、激越な調子を引いてみよう。
自分の国家を創設したいのですか? どうぞやってください。しかし、どのような条件で創設するのかという問いは残る。
ここで、新生ロシアの最も著名な政治家の一人であるサンクトペテルブルク初代市長A.ソプチャクの評価〔1992年〕を思い出してみよう。法律家として高い専門性を有した彼は、……「連邦創立メンバーの共和国は、1922年の〔ソ連邦結成の〕条約を自ら破棄した後は連邦加盟時の国境に立ち戻るべきであり、それ以外の領土については、その根拠は破棄された為に、すべて議論と交渉の対象であるべきだ」と述べた。
つまり、「持っていたものだけを持って立ち去れ」ということだ。この論理には反論しがたい。
2021年7月(段落を改変)
ソプチャクとは大学でのプーチンの師で、
彼を副市長に抜擢した人物
さて、プーチンが善良な指導者かは措いて、私たちの前にあるのは、以下のような問いである。
今回のウクライナ戦争をCISの「内戦にすぎない」と見なすなら、それはプーチンの論理に丸ごと乗っかることだが、あくまでも問題を旧ソ連圏に特殊なものとして処理できる。ウクライナがいくら領土を割譲されても、それは同国に固有の問題で、他の「主権国家一般」には波及しない。
一方で、ウクライナはソ連邦の解体以降、まっとうな主権国家だったのであり、プーチンの侵略は国際法に違反すると考えるのが、従来の私たち西側の立場である。が、これだと主権国家だろうがなんだろうが「敗けたら領土を獲られる」のが、この戦争を終えた後の、世界のルールとなろう。

また増えてきてますね、
「新ヤルタ体制」論。
2017年のNYTより
ここにあるのは国際法の問いのみならず、倫理の問いであり、かつ主権国家が絶対ではなかった時代を知っている歴史の問いでもある。ちなみに、私は最後の問題の「専門家」なので(笑)、お役に立てることはいっぱいある。

こうした「近代世界の原則が崩れゆく時代」を議論した、浜崎洋介さんとの文春ウェビナーが、3/10に配信された。今回から完全なYouTubeの番組となり、誰でもフルサイズで視聴できる(代わりに広告は入るかも)。
戦後80年の1回目にふさわしい内容と自負していますので、多くの方にご視聴賜れれば幸いです!
(哀感の迫るヘッダーは、2/14のロイターより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年3月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。