石破首相の商品券が問題になっているが、「みんな普通にやっている」という話もあり、岸田前首相も否定していないからやったのだろう。一般人の感覚では、初対面の人と会う前に10万円の商品券(現金と同じ)を渡す感覚は理解できないが、この背景には意外に根深い自民党の体質がある。

フジテレビより
贈与で共同体のメンバーを拘束する「ポトラッチ」
昔、自民党を取材したとき、議員が日常的に派閥を「村」と呼ぶのに驚いた。派閥は公式の組織も入会資格もない非公式の村であり、その結束を支えるのが贈与である。贈与が社会秩序を支えることはモース以来よく知られている。
贈与は契約よりはるかに古い。人類史の大部分では、交換より贈与のほうが普遍的だった。中でも北米先住民のポトラッチと呼ばれる贈与システムは、儀式に招待した客に家に貯蔵した食物をすべてふるまったり、財産を村中に配ったりする。

ポトラッチ(Wikipediaより)
これは一方的な贈与だが、他のメンバーはそれに返礼する義務を負う。ポトラッチは祝祭であり、酒や音楽で多くの人を楽しませる仕掛けがある。部族の人々はそこに自発的に参加し、自分もそれにお返しすることで部族の一員になるのだ。
この贈り物は村の外では価値のない土偶のような浪費が望ましい。有用な物は返礼しないで持ち逃げできるが、土偶を持ち逃げしても、村の外では役に立たないからだ。バタイユもいうように交換で満たされるのは利己的な欲望だけだが、贈与によって名誉を得ることができ、社会秩序を支える協力が生み出されるのだ。
贈与で「メンバーシップ」を維持するタコ部屋構造
これは経済学的には自己拘束的な契約である。約束は囚人のジレンマで、借りた金は返さないことが合理的(ナッシュ均衡)なのでペナルティが必要である。現代では民事訴訟があるが、それでもひろゆきのように判決を無視する悪党がいる。
村に贈与してあとから取り返すしくみになっていると、贈与を取り返すまで裏切ることができない。贈られた人は返礼の義務を負い、返さないと村から追放される。この戦略は強力で、囚人のジレンマを一般化した共通利益ゲームではつねに最適解が実現できる。
自民党はまさにこのようなタコ部屋であり、そこには近代的な契約の概念はない。約束はすべて口約束で、あとから知らないといえるので、その実行を担保するのがカネである。今回の商品券は、新人議員に贈与するポトラッチなのだ。
こういう構造は日本の企業にも普遍的である。年功序列や徒弟修行などのタコ部屋構造で個人を会社に閉じ込めるメンバーシップ雇用は、高度成長期の日本企業の競争力の源泉だったが、それは雇用が流動化して長期的関係が失われると足枷になる。
首相から商品券をもらった議員はお返しの義理を負う。今回のように返すと義理はなくなるが、石破政権では出世できない。しかし石破内閣の寿命はたかだか数ヶ月なので、長期的関係を破っても失うものはない――そう考えて商品券を返し、朝日新聞にネタを売り込んだ新人議員は合理的である。