中学・高校と、自分の日本史の恩師だった人が急逝し、お別れの会に出てきた。逝去もお通夜も、先月末のことである。
ご本人にも確認したが、同月に対談した成田龍一先生とは大学院が同窓で、面識もあったそうだ。わずか数日の差で、記事を目にしてもらえなかったと思うと、いっそう悔やまれてならない。

昨年夏の同期会にも、担任として見えていたのだが、じっくりお話ししたのは23年の2月が最後になった。社会科の別の恩師も交えた3名での会食で、東京が異例の大雪だったのを覚えている。
そのとき「地政学という概念が、どうしてこうも気軽に復権したんだろう」という話題が出た。自分が高校生だった1990年代の半ばには、地政学といえば「あってはならない ”政治的に正しくない” 学問」といったニュアンスがあり、授業でもそう言及されていたからである。
気候や地形を中心とした地理的な決定論に基づいて、領土の拡張や植民地支配の正当化に用いられた、帝国主義時代の「よろしくない過去の負債」というのが、その頃は地政学のイメージだった。
なので大学(院)に進むと、現役の学者の書くものにも、地政学という語がちらほら登場すること自体に驚いた。ただ、2000年代の前半まではなんていうか、こんな感じの使われ方だったと思う。

岩波書店の『思想』2002年1月号。
載れば査読論文3本に相当という神話が
残っていた最後の時代でした
要は、世界の政治や経済を動かす非情なメカニズムを「地政学」と呼んで、それに晒される私たちの足下を見つめ直しましょう、みたいな用法だった。自分の立ち位置を限界づけるもの、ガクモンっぽく言うと存在被拘束性に焦点を当てるための、比喩として地政学の語を使ったわけだ。
そうではなくもっとベタに、学べばみるみる国際政治がわかり「最強のポジション」を見つけられる的な感じで、文字どおりの地政学が復権したのはゼロ年代の後半だろう。今やコンビニやキオスクでも、『読めば〇〇できる地政学入門』式の俗っぽい本が置いてあるのは、珍しくない。
当時は中国のGDPが日本を猛追していて、追い抜くのは2010年である。日本が世界を動かせる余地がむしろ乏しくなってゆく時期に、地政学の用法が「ぼくらを拘束するもの」から「使いこなせるもの」へと変わったのは、いま思うと不思議の感もある。一種のコントロール幻想かもしれない。
Illusion of control – Wikipedia
90年代からゼロ年代といえば、おなじみの歴史教科書問題の季節でもあった。「歴史修正主義」という用語が、極右やネオナチと同義なくらい絶対悪の代名詞として定着した時期だけど、あたりまえだが歴史の学説を改めること自体が、悪い営みであるはずはない。
問題は、歴史についてもまた、現在の自分たちを拘束し限界づけるものとしてではなく、いまの都合にあわせて切ったり貼ったりできちゃう、自由なコントロールの対象に変えてしまう態度にあるのだ。政治的に不利になりそうな昔の挿話は、記録から抹消で、みたいなのが典型である。

しかし、コントロールできる(と見なされる)範囲が広がることは、そもそもいいことなんだろうか。楽しかったり、得をしたりするんだろうか?
2020年からコロナが広まったとき、しゃかりきにそれを「コントロールしよう」とした結果、いまだに全員マスク姿のサービス業が続いているのは日本だけだ。22年からのウクライナ戦争では、戦後由来の諸々で日本は「コントロールできる」範囲が狭かったけど、逆に結果として割合よい感じのポジションに、いま居るのかもしれない。

歴史はもう「なくなってもいいのか」といったことを、ぼくはここ数年考えてきたわけだけど、なくなったらマズいのはこのコントロールできないものがあるという感覚であって、歴史それ自体ではないのかもしれない。だいたいそのあたりが、結論になりそうな気がしている。
一身にして二生を経る、という福沢諭吉の有名なことばがあるけど、もちろん生物学的には、一生しか経ているはずはない。なんで「二生を経る」と言ったかといえば、自分を取りまき拘束する「時代のあり方」として、1種類でなく2種類、つまり江戸と明治とを体験したんだよ俺らは、という意味で言っている。

戦後とポスト戦後、昭和と平成というのも、かなり「二生を経る」のに近いほど大きな違いで、いまやポスト・ポスト冷戦などと呼ばれるのだから、ぼくらの世代は「三生を経る」ことになるのかもわからない。
というかぼくの場合は個人的に、病気をする前と後とで「勝手に二生を経て」生きている感じがあるので、これは結構、大変なことである。
まだ亡くなる年ではなかった恩師の急逝が、ひたすら残念だけど、そんなぼく個人の「二生」のどちらでも、お話しする機会のあったことがせめてもの幸いだった。会えるとき、会うべき人と会っておくことの大事さを、いまほど強く感じるときはない。
(ヘッダー写真は、『小早川家の秋』より)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。