報道の危うい共犯関係に警鐘を鳴らす:信じたい人と信じさせたいメディア

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はじめに:「偏っているから危険」ではない

前回の拙稿で、『報道特集』という番組を通じて、メディアリテラシーと視聴者側のリテラシーの重要性について触れた。

TBS『報道特集』に見る偏向報道体質とメディア権力の構造
なぜTBS『報道特集』の「みんなでつくる党」報道に違和感を覚えるのか 4月19日、TBS『報道特集』は、「みんなでつくる党」の関係者と思われる人物が「遺書」なるものを残し自死した件を大きく取り上げた。 しかし、私はこの報道に強い...

今回は更に深掘りして今の報道のあり方と情報の受け手である我々について深掘りしてみたい。

かつてのように、テレビや新聞の肩書きだけで情報が信頼される時代は終わった。SNSやYouTubeを通じて、誰もが情報の発信者になれる現代、人々は情報の洪水の中で、自分にとって“心地よい真実”を無意識に選び取っている。

だが、そこで問い直すべきは、「メディアがどこに向かって報道をしているのか」という問題だ。本稿では、前回同様TBSの『報道特集』を例に取りながら、現代メディアが特定の思考や感情に寄り添いすぎている現実と、その危険性について掘り下げたい。

視聴者とメディアの“共犯関係”

見たいものしか見ない時代へ

私たちは、自分が信じたいことを信じる傾向がある。これは「エコーチェンバー」と呼ばれる心理現象であり、SNS時代の象徴として語られてきたが、テレビや新聞の報道にも同じ構造がある。

たとえば、あるニュース番組に出演する論者に強い共感を持つ人は、その番組を“安心して見られる情報源”と認識するようになる。すると、番組側もそうした視聴者層に合わせた編集方針を強める。
こうして、情報の偏りが強化されていく。

情報バイアスの構造(エコーチェンバー化の過程)

視聴者の思考

信じたい情報を選ぶ

メディアがその層に迎合する

視聴者の共感が強化される

思考が固定化・硬直化

再び同じ情報を欲する
(以下ループ)

TBS『報道特集』はなぜ問題なのか?

TBSの『報道特集』は、ジャーナリズム精神を標榜する一方で、出演者の選定や構成が極めて一方向的な傾向にある。

公平性よりも“共感性”を優先し、特定の視点から社会を切り取る構図は、視聴者に「これこそが正義」と錯覚させてしまう危うさを孕む。

しかもそれが・・・

以後、

メディアの「選択と誘導」構造を疑え
・選挙結果に見る「草の根共感」の力
・結論:思考を預けるな、問い続けよ
・おわりに

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。