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(前回:『地域福祉社会学』の「縁、運、根」)
カンザスシティに出かける
『地域福祉社会学』(1997)は、類書にない「台湾・台北調査データ」や「人生の達人」研究成果を含んでいたからか、刊行後1年で3刷になった。この年の前半はそれを講義で使いながら、台湾調査で収集した未整理のデータと「人生の達人」の事例をまとめていたが、8月にアメリカのカンザス大学があるローレンス市とカンザスシティに出かけることにした。
これはカンザス大学を卒業され、当時北海道医療大学に勤務されておられた「音楽療法」の専門家である栗林助教授が夏休みに実家のあるローレンス市に帰省されるので、同行してアメリカ中西部を視察しようと思いたったからである。
彼とは北海道テレビ(HTB)で同じ時期の番組審議会の委員であり、もう一人の委員だった弁護士の高橋氏と合計3人の短期旅行になった。テレビ局の番組審議会は法律によって毎月一回の審議が決められているので、この委員をしている間は、毎月会っていた。気心の知れた団塊世代ならではの交流が続いており、その縁でのアメリカ行きになり、これは学外での社会貢献活動では珍しい体験であった。
ゲートウェイアーチに感動
学会大会発表などではないため、全額自費の旅行であったが、楽しいアメリカ経験になった。メインは現地に詳しい栗林氏を観光ガイドとした中西部旅行であり、カンザスシティから5時間ほどのセントルイスにはアムトラックの高速列車に乗って出かけた。ミシシッピ川河畔に建てられた西部開拓の象徴であるゲートウェイアーチからの眺望は素晴らしいものであった。
マグワイアのホームランを直に観た
たまたまセントルイス・カージナルスのホームグランドでの公式戦があり、観戦切符を事前に手に入れていたので、マグワイアの60本目のホームランを直に観ることができた。
2001年カージナルス時代のマグワイヤ(編集部)
Wikipediaより
少年野球時代から巨人ファンというよりも王と長嶋にあこがれていたので、王さんの日本新記録55本を大リーグのマグワイアが破ったことで、大リーグの実力のほどを現地で知った。そのうえ彼は、その翌年にMLB新記録となる1シーズン70ホームランを打った選手でもあり、その1年前の試合を観たことになり、後から振り返ると思い出に残る大リーグ野球観戦になった。
ダクラスカウンティ高齢者サービス公社(DCSS)での観察と調査
さて、毎日3人一緒では何かと疲れるので、自由行動の日を設けた。その日私は、ローレンス市にあるダグラスカウンティ高齢者サービス公社(DCSS)がやっている福祉施設に、単独で飛び込み訪問した。公報担当の方から活動についての説明を聞きながら、心の中では日本の福祉施設と比較していた。
同じようなサービスメニューをもち、デイサービス、コミュニティ・サービス、娯楽と学習、高齢者向けの食事、移送サービス、ボランティア活動の機会の創造などは、洋の東西を問わず似たような内容であると実感した。
ただ日本と全く異なっていたのは、それらの活動内容を記載した資料すべてに、つぎのようなまことにアメリカらしい宣言が明記されていたことが印象的であった(金子、1998:154)。
DCSSの収入源
この公社の収入源は、①ダクラスカウンティ工場税46%、②連邦政府補助金20%、③独自の収入プログラム15%、④寄付金5%、⑤介護のためのクーポン4%などで構成されていた。このうち寄付金による食事プログラム(減塩や低砂糖分のダイエット食も可能)は、訪ねた施設でも月曜から金曜日まで昼食のみ高齢者(60歳以上とその配偶者)に提供されていた。
ローレンス市内の施設ではその2階がレストランになっていて、訪問時では人種の異なる30人ほどが一緒にランチを食べていた。また月曜から金曜まで、登録した100人の在宅高齢者にも昼食が配送されていた。
人種問題と高齢者問題が重なり合う危険性
施設の建物や設備は日本の類似施設と比べても、格段に優れていたわけではないが、サービスメニューの豊富さと無償ボランティアの活動が目についた。
ともすれば、人種問題(レイシズム)と高齢者問題(エイジズム)が合わさって深刻化する危険性を帯びている中で、金銭面だけではなく「訪問プログラム」を含めた活発な各種サービスの提供がなされており、たくさんのボランティアがそこで活動していた。広報担当からの簡単な説明では、人種問題と高齢者問題の深刻さは聞き取れなかった。
沖縄調査に参加する
話は少し前後するが、台湾・台北調査をしていた1996年には、長寿社会開発センターの「沖縄・長野調査」にも誘われ、那覇市と今帰仁村に出かけ、一月遅れで長野県富士見町にも出かけ、その後も数年かけて何回か通った。
これはまず70歳代の健康な高齢者のライフスタイルを観察することから、男女ともに世界一の長寿であった沖縄と同じように長寿であった長野の高齢者にその秘訣を学ぼうという問題意識から始まった。
長寿社会開発センターが集めた公衆衛生学、社会学、心理学、社会福祉学などの専門家の合同調査であり、1997年度末までの2年間継続した。この縁で、それから20年間、センターが毎年刊行する『生きがい研究』の編集委員(後半は委員長)を引き受けることにもなった。
日本一長寿県への関心が芽生えた
97年8月中旬に帰国して、アメリカ体験を少しまとめたところで、9月から長寿県沖縄と長野での調査が再開した。事前に資料を読むと、ある時期まで沖縄県は男女ともに世界一の長寿県であったが、その頃は長寿県の男性1位は長野県で、2位は沖縄県、女性の1位 が沖縄県で、2位が長野県であった。
そのため、この経験を活かして、3年後にこの両県で日本一長寿の理由を探るというテーマで、私個人の科学研究費の申請をすることになる。
ただし、内科や循環器などの医学や公衆衛生学からも同じような「日本一の長寿」の原因が探求されていた時代だったので、図1のような「高齢者集合図」を作成して、このうちのH:在宅健康者(D:一人暮らし、F:夫婦のみ、T:3、4世代同居)を主な研究対象に位置づけた。
図1 高齢者集合図
(出典)金子、1998:20.
B(病院施設・入院入所)は医学系専門家に、C(在宅要介護)は社会福祉の専門家に任せて、マジョリティであるHを引き受けたのである。
研究テーマも「高齢者のライフスタイルと生きがい」に絞り込んで、インタビュー調査による記録作成と調査票を配布して、その有効回収データを計量的に分析する方法を使い分けた。
日本一長寿の要因
合同研究の成果は多岐にわたるが、簡単にまとめると、沖縄と長野の「日本一長寿」には
- 精神的健康・・・・・・自立心と前向きな姿勢、生きがいとなる活動の実践
- 身体的健康・・・・・・日常活動能力に優れている、健康な身体の形成
- 社会的健康・・・・・・家族・親族との強いつながり、地域における日々の活発な交流
などが相乗作用していると結論した(長寿社会開発センター編、1997)。
沖縄県の特徴
ただし、沖縄県では「家族との団欒」、「孫と遊ぶ」、別居しても子供夫婦が徒歩圏内に住んでいる比率が高いために「自転車に乗る」などのライフタイルが目立った。沖縄県では、全島に鉄道がないこともあり、バスとクルマに加えて、「自転車」が重要な役割を果していた。
長野県の特徴
一方長野県では、それら以外にも「仕事をしている」、「旅行をする」、「新聞、雑誌を読む」などの割合が多く出た。
リンゴやブドウに代表される果樹園で健康が許す限り「仕事をする」高齢男女が多かった。果樹の現状のチェック、薬剤散布、下草刈り、収穫などの作業で、ほぼ毎日坂道を長く歩くことなどが、精神的、身体的、社会的な「健康」づくりに貢献していた。
食事を一緒に楽しむ
社交性はともに十分認められたが、どちらでも食事を友人・仲間や家族・親族・近隣の身近な人々と一緒に楽しむ姿がみられた。もちろんこの事実は沖縄県や長野県の高齢者だけに認められるのではない。私もそれをテーマにして、北海道余市町で調査を始めていた。
北海道豊浜トンネル崩落事故
1996年2月に北海道余市町と積丹半島東岸の古平町を結ぶ国道229号の「豊浜トンネル」で崩落事故が発生した。不幸なことにその崩落に数台の車が巻き込まれ、懸命な救出作業が行われたが、20名が亡くなられた。岩盤が硬すぎて、最終的に全ての遺体収容が出来なかった。
崩落したトンネルは塞がれて、その後に近くを迂回して新しいトンネルが造られて、出口に慰霊碑が建立されている。
ニッカウヰスキーの故郷
余市町には、「日本のウィスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝が、1934年に大日本果汁株式会社(日果、ニッカ)を設立したところである。
余市町はリンゴが特産で、ニッカはリンゴジュースを製造販売して、それを基にしたブランデーにも手を伸ばし、2年後には大麦を仕入れてウィスキー製造に踏み切った。その出荷開始は1940年になり、2001年にアサヒビールの完全子会社となったが、今日までウィスキーの製造は続けられてきた。
余市町の「豊楽会」
たまたまだが、96年のアメリカ視察旅行から帰国した夏の終りに、余市町社会福祉協議会で「小地域ネットワーク事業」についての講演会を行った。それが済んでから会長はじめ数名の職員と懇談していたら、豊浜地区にある「豊楽会」という平均年齢が70歳の女性だけの助け合いグループを教えていただいた。
その頃の余市町では「小地域ネットワーク事業」が盛んであり、97年度の第47回北海道社会福祉大会で「優良団体」として表彰も受けていた。
そこで、後期の授業が始まる直前に、そのグループを直接訪問した。11名の会員のうち集まられた8名と3時間のインタビュー調査を行った。その代表が今田さん(仮名)であり、夫が病死した後「一人暮らしは寂しいので、ご近所の同じような高齢者に声をかけて、「一品持ち寄り」の昼食会や夕食会を週に5回は開くというものであり、90年から続けられていた。
「豊楽会」の長続きの秘訣
たとえば8人ならば、食卓に手作りの8品が並ぶことになり、「孤食」よりもずっと楽しい会話が弾む食事に変貌する。
今田さんから「豊楽会」の長続きの秘訣も特別に教えてもらった。いくら「向こう三軒両隣り」の関係であっても、①それぞれのプラバシーには踏み込まない、②子どもとは「バカ話が出来ないが、ここでの集まりではバカ話も積極的にする」、③それぞれの家の玄関に、緊急入院の際に必要な「身の回りのものと若干の現金」を、「病院用」と大きく書いたダンボールに入れて置いておく、の3点であった。
確かに全員が一人暮らしであるので、③の準備があれば、みんなで「すぐに対応」できる。だから今までのところ「孤独死」はないとのことであった。
新書版でまとめたい
学生の頃から、パッペンハイム『近代人の疎外』(岩波新書、1960)、丸山眞男『日本の思想』(岩波新書、1961)、中根千枝『日本のタテ社会』(講談社現代新書、1967)など新書版の名著を読んできたので、これまで紹介したアメリカDCSSでの体験、日本一長寿県である沖縄県と長野県での調査結果、単独で調べた余市町の「豊楽会」の成果などを「新書版」で広く訴えたいと願うようになった。
『人間にとって都市とは何か』(NHKブックス)を手掛かりにした
95年には講談社現代新書で『高齢社会・何がどう変わるのか』を出してはいたが、内容が重なることを恐れて、他社の新書版を候補として思い浮かべた時に、磯村英一『人間にとって都市とは何か』(NHKブックス、1968)を書棚の隅で発見した。
磯村先生は日本の都市社会学の先覚者であり、たくさんの研究書と一般書を刊行されていたが、これは学部の「卒業論文」準備の際に読んだ経験があり、「都市」に関心をもった私にとって貴重な指針になったことを思い出した。
NHKブックス編集部に持ち込んだ
ともかくも目次と一部の原稿を編集部あてに送ったら、向坂編集長から電話があり、この企画はタイムリーなので、もっと話を聞きたいと札幌にお越しになった。その際、どうしてNHKブックスからの出版にしたいのかを尋ねられ、学部卒論で磯村本を精読した経験を話したら、納得されたようであった。
それからは電話や手紙で内容について数回のやり取りがあり、正式に出すことが決まり、執筆を開始して98年の3月にはいちおう脱稿した。
北海道での介護保険モデル事業の責任者
ただし、NHKブックスはいわゆる新書版とは異なり、版型が一回り大きくて、400字詰の原稿用紙では400枚ほどが必要であった(当時の新書は300枚程度)。それで、内容を追加する必要が生じた。
1997年12月に成立した介護保険法はもはや「老人問題」対応の域を超えていて、社会全体での取り組みのための切り札的な期待が寄せられていた。
そこで厚生省は、2000年4月からの「介護保険制度」立ち上げに際して、各都道府県の高齢者福祉課にそのための「体制整備検討委員会」の設置を義務付けていた。『都市高齢社会と地域福祉』と『高齢社会・何がどう変わるか』を出していた関係で、私は北海道高齢福祉課からその委員長を打診されて、3年間務めることになっていた。
3年間のモデル事業
96年からの第1回のモデル事業は、全国で60の市町村を選び、在宅50人、施設入所50人を対象にして、介護保険の要となる「要介護認定」の実践に力を入れた。
47都道府県から原則は1自治体を選び、合計で100人を対象にするモデル事業であったが、面積が広い北海道や人口が多い東京都を含むいくつかの府県などは、都心部と郡部の2自治体で合計200人を対象にした。
第二回、第三回モデル事業
97年度の第二回モデル事業で北海道では16地区34市町村に広がり、98年度の第三回モデル事業は全国3300市町村のすべてで2000年4月以降と同じ様式で実施された。
詳細は拙著に譲るが、一次判定と二次判定間のズレをいかに縮めるか、介護認定調査員に誰を委嘱するか、戸別訪問では移動に時間がかかりすぎるが、これをどうするか、「二次判定」では「要介護度が高くなりがち」な傾向がある、対象者が複数の医師(内科、耳鼻科、皮膚科、眼科など)に診察を受けている場合の「かかりつけ医」をどう定義するか、介護認定調査員の1件当たり「報償費」が1700円、「かかりつけ医」のそれが3000円では安いのではないか、などが毎回委員会の議論のテーマになった。
だから追加のうち1章分の候補は、この3年間のモデル事業の顛末を記録しておくということにした。それは第3章「福祉資源としての介護保険」として収録した。
老年化指数で少子化が高齢化の促進要因と知る
もう一つは『高齢社会・何がどう変わるか』(1995)の準備過程で、高齢化の促進要因として少子化があることに気がついていた。なぜなら、
という公式から、出生数の減少と死亡者の増加の同時進行によって総人口は減少するからである。
95年の国勢調査では子ども人口(年少人口数)は2003万人まで低下しており、一方で高齢者数は1828万人にまで増加してきていた。老年化指数(高齢者人口を分子として年少人口を分母とする比率)は91.3までに上がっていて、2000年では119.1となって、2025年では実に265.0までに増大しており、高齢者圧力がますます強まってきたことになる。
「子育て共同参画社会」を初めて使用する
当時も日本の少子化克服には、30年間定番の位置を占めた待機児童ゼロ作戦や仕事と家庭の「両立ライフ」の推進が叫ばれてはいたが、国民全体にわたる社会的不公平性の解消という観点は皆無であった。
しかし私は、男女、世代、都市と過疎地域、既婚者と未婚者、両立ライフ実践者と専業主婦などの両方の立場に配慮して、「社会全体」で「子育て共同参画社会」づくりを目ざすことが、「少子化する高齢社会への軟着陸」の指針になると当時から考えていた。
森永卓郎「少子化メリット論」
ただ97年時点の国民世論は、まだ少子化にはメリットもあればデメリットもあるという段階であり、先般亡くなられた森永卓郎氏などは、いわば積極的な「少子化メリット論」の代表的論者であった。
森永氏は少子化のメリットとして、①住宅問題の解消、②財政の好転、③通勤地獄の解消、④レジャーコストの減少、⑤高齢者や女性の基幹的雇用の促進、⑥交通渋滞の解消、⑦食糧自給率の向上、⑧自然環境の維持、⑨大都市集中の緩和をあげられていた(森永、1997)。
ただ残念なことに、これらには詳しいエビデンスがなく、私は本書で森永少子化メリット論の限界についてもいくつか指摘しておいた(金子、1998:44-47)。
少子化メリット論の上滑り
どうして少子化メリット論が出てきたのかといえば、図2のような整理の仕方をする論者が多かったからである。
とりわけ結婚による「機会費用」の増加、子どもの出生後の「機会費用」の増加、育児の直接的経費の増大、子育て者の時間的・体力的な限界などが大きな「デメリット」として共有されて、逆に「子どもは生まない・育てない」が雑誌の特集にもなっていた。
図2 出生率の動向とその影響
(出典)金子、1998:51.
たとえば、朝日新聞が出していた『AERA』(1998年1月12日号)では、最終的には「論理的に考えたら子どもなんて持てなくなる」という結論まで掲載していた。
緊急の論点
メリット・デメリットではなく、まずは少子化対策とは何かを首相自らが公言する。そして少子化対策の社会目標を明示して、既存の数多くの少子化対策関連事業を精査する。
第二点としては、過去十年間の保育を最優先した「新旧エンゼルプラン」や仕事と家庭の「両立ライフ」支援を越えて、必要十分条件による網羅的な少子化対策に転換する。
少子化に関連する法律には「社会全体で子育てに取り組む」とわざわざ明記してあるのに、肝心の「社会全体」が定義されていない。私は、既婚未婚の区別もなく、子育てをしていてもしていなくても、30歳以上の「社会全体」構成員は次世代育成に一定の義務があるとみてきた。
国民に子育ての辛さを尋ねると、「経済的な負担の重さ」が最も多かった。この負担を社会全体で共有する制度をつくることが、「社会全体」からの取り組みの第一歩になる。それはちょうど介護保険と同じ理念である。
もちろん、子どもを生む、生まないは個人の自由である。しかし、次世代を育てる義務は誰にでもある。子育ての環境を向上させ、子どもが生まれやすく育てやすい社会システムを作らなければ、高額の医療制度を含む健康保険制度や年金制度などの「公共財」がいずれ壊れて、やがて「福祉国家」が成り立たなくなるからである。
ただ不幸なことに「公共財」の一部である「介護保険」は、その時代から30年後の2025年ではもはや解体に直面する事態を迎えている。
倒産・休廃業・解散した「介護事業所」の増加
図3は2024年までの5か年で、倒産・休廃業・解散した「介護事業所」の総数である。毎年平均で600程度の事業所が撤退していて、24年では784事業所に増加した。これでは団塊世代全員が後期高齢者になった25年以降では要介護者も増えることから、「すべての高齢者は救えない」とした雑誌特集の説得力が増すであろう。
図3 介護事業所の倒産件数
(出典)『週刊 東洋経済』第7228号(2025年4月19日号)
それは図4に象徴されているように、「要介護認定者の増加」に「訪問介護職員数」が追いつけない状況が日常化してきたからである。
具体的にいえば、23年度の「訪問介護職員数」は2000年4月からの歴史で初めて減少に転じた。そのせいもあり、ケア・マネージャーからの紹介があっても、「人手不足」の理由により事業所がその「訪問介護」を断る事例が出てきたのである。そのうえ「要介護度」が低ければ、事業所にとってそれは「不採算事業」でしかない。
図4 介護職員数と要介護認定者数の推移
(出典)『週刊 東洋経済』第7228号(2025年4月19日号)
さらに「訪問介護職員不足が及ぼす影響」として、「利用者の受け入れ抑制」、「勤務時間の長さ」、「業務負担の重さ」、「介護の質の低下」などが指摘されるようになって、「訪問介護事業」の「崩壊」可能性まで論じられている(週刊 東洋経済編集部、2025:39)。
書名へのこだわり
3年間の北海道での「介護保険導入時点のモデル事業」の経験、それに少子化対応としての「子育て共同参画社会」を追加することで、本書全体が完成した。
全体的には高齢化関連が8割程度なので、『高齢社会と福祉資源』というような書名を考えていたが、向坂編集長は「NHKブックス」がもつ「時代の半歩先を読む」という理念からも、「高齢化」も「少子化」も読者としての「あなた」の問題だから、『高齢社会とあなた』を強く主張された。
社会的ジレンマ論の応用
本文でも社会学の「社会的ジレンマ論」を使い、「社会にとって利益があることでも、個人にとっては不利益になる」(逆もまた真)を「少子化」論でも応用していた。それで、「あなた」という読者個人にこの「社会的ジレンマ」をしっかり受け止めていただければ幸いだという趣旨で、この書名に賛成した。
結果的には読者の「あなた」は増えて、6年間で6刷まで行った。通常の新書版ではなかったが、それでもハードカバーの専門書とは異なった書き方と増補できた内容によって、多くの読者を得ることができた。
おわりに
末尾では、望み豊かな「高齢社会」創造のために、マザー・テレサの言葉やロックフェラーの「60歳の10原則」(表1)なども紹介した。これは高齢者だけではなく、すべての日本人にも通用するライフスタイルと考えたからである。読者として新しい縁が生じた「あなた」に、著者からのささやかなプレゼントのつもりであった。
表1 ロックフェラーの「60歳の10原則」
(出典)金子、1998:231.
【参照文献】
- 長寿社会開発センター編,1997,『沖縄長寿総合調査報告書』同センター.
- 金子勇,1998,『高齢社会とあなた』日本放送出版協会.
- 森永卓郎,1997,『<非婚>のすすめ』講談社.
- 週刊東洋経済編集部,2025,『週刊 東洋経済』第7228号(4月19日).
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