6月11日に、日本学術会議を法人化する法案が成立した。いわゆる「6名の任命拒否」問題が浮上したのは2020年10月だから、4年半超をかけての決着で、太平洋戦争より1年長い。
法人化に伴い、日本学術会議の会員は、①総理大臣による任命ではなく、会議が自ら選ぶ形となる。一方で、②運営の評価や監査を行う役職は、会員以外から総理大臣が任命する。
この場合、国からの独立性が「高まった」とも、「低まった」とも、一面的には言えないだろう。それが素直な、法案の読み方だ。

ところが、わざわざ審議中の国会の前に押し寄せ――それも覆すことはまず不可能な参院での審議中にやってきて、法案が通ったら「学問の自由の敗北です!」と、叫びまくる学者さんたちがいた。問題の発端である、任命拒否された当人も交じっていた(ヘッダー写真の中央2名)。
当事者にそう言われてしまったら、カンケーないわれわれ一般市民としては(ぼくは学者やめたからね)、「よう知らんけど、現に本人が『負けだ』って言ってるんだから、学者さん負けたのね」と感じざるを得ない。
つまり「私たちはもうすぐ負けます!」とのPRを、自ら国会前のマイクで喧伝し、本当に「負け」を作ってしまったようなものだ。何をノリノリで野外カラオケしてるのか、元同業者のぼくにもまったく不明だった。
#日本学術会議法案 採決を許さない座り込み。「一緒に闘いましょう」と言った上野千鶴子さんに続いて本田由紀さん。「全く理不尽、全く筋が通らない。政府に気に入らないことを言う組織や学者を潰そうとしている。私たちは監視し続け、目撃し続け、批判し続ける長い抵抗の運動を続けていく必要がある」 pic.twitter.com/2ZY795fNtZ
— 朝岡晶子 (@asaoka_akiko) June 9, 2025
とはいえそうなるにも、理由はある。
後出しではなく、2020年10月に問題が顕在化した際にぼくは、直前のコロナ第1波では政府の「要請」にヘコヘコ従い、キャンパスや図書館を封鎖して恥じなかった大学人が、たかだか6名の任命拒否で「学問の自由」を言い出すのはおかしい、とはっきり書いた(『歴史なき時代に』に再録)。
①自粛の強要に対するホンモノの抗議を行わず、②著名な学者を看板にしたニセモノの抗議で「俺らって政府にモノ言ってるじゃないすかぁ!」とPRするのは、二重の意味でみっともない。それが見え透いているから、当初はバズっても、国民にすぐ飽きられたわけである。

任命拒否にいきり立つ学者たちが行っているのは、典型的な代償行動だと言わざるを得ない。
「学問の自由」を言うのであれば、自粛の要請下で各大学が自らキャンパスを封鎖したこと。各種の図書館が一時は完全な閉館になり、先学の成果を参照しつつ「政府の対応の科学的な妥当性や、合憲性」を検証する機会が、国民から奪われたこと。
これらこそが自由の侵害だったことは明白であり、大学教員たちはその共犯者であった。
『歴史なき時代に』315-6頁
(強調と改行を追加)
初出「論座」2020年10月9日
いかに民意がさっさと学術会議を見捨てたかは、世論調査でわかる。任命拒否のスクープは20年10月1日の『赤旗』だが、11月8日の『毎日新聞』に載った調査結果では、任命拒否を「問題とは思わない」人が、早くも問題視する声を上回った。嗚呼、学術会議応援団、わずか1か月の命。

これが外れ値でないことは、以下の労作Blogからわかる。10~11月の2か月を経て、調査媒体を問わず、任命拒否という「対応」への賛否は拮抗していった。政権は十分に「説明」しているか、と訊かれれば、政府批判の声が強かったが、学術会議の「改革」については、支持が圧倒的だった。
要は学術会議の推薦どおりに首相が全員を任命する、当時のやり方を「守るべき学問の自由」と見なす人は、一瞬で消えてゆき、ただ政府の側も「きちんと説明しようね」が民意だった。これが、実証された史実である。
以下は今回、法案の審議に際して東京大学新聞社が行ったアンケートの回答集だが、学術会議の改革に反対するのは「文系のさらに一部」のみであることが示されたとして、評判になった。
天下の東大テニュア教員たちが、おおむねこぞって匿名でしか答えないのは情けなくもあるが、4年半をかけて、あの抗議活動は「最初から空騒ぎで、ニセモノでした」と立証されたとも言える。
ところが騒動のど真ん中から、現実をまったくズレた目で捉えていた人もいるようだ。マスコミの取材が殺到し、ずっと「任命拒否の女王」扱いだった、歴史学者の加藤陽子氏である。
加藤氏は東大教授で、専門は日本の近現代、最も「いま」に直結する時代の研究者だ。歴史家である以上は、渦中で記した文章がその後の歴史に照らして評価されるのもまた、本望と思うが――
発足時は64%あった内閣支持率がすぐ落ちた一因は、任命拒否問題だったことは、記憶されてよい。さらに署名や声明のかたちでも明示された世論が、政府の姿勢を「変えた」といえるのではないか。
文庫版、89頁
初出『毎日新聞』2021年6月19日
第一に、①政府の姿勢が「変わらなかった」ことは、この度の法案への本人を含む反対ダーぶりが立証している。より大きな問題は、②当時すでに判明していた「任命拒否と改革の容認」への世論の転換を隠蔽し、問題発覚当初の内閣支持率の下落に話をすり替えていることだ。
加藤氏の叙述は『毎日新聞』の連載が初出だから、同紙の調査で任命拒否を可とする意見が多数派になった事実を、彼女が知らないはずはない。さすがに「反対こそが民意だ」とはもう書けないので、抗議に勢いがあった時点の事象(支持率低下)を持ち出して、印象操作をしたのだろう。
いわゆるチェリー・ピッキングだが、歴史学者も自分のこととなると「けっこう歴史修正主義するんだね」という後味を残した感は、否めない。ふつうに考えてそれは、学問の信用を落とす。

加藤氏自身によると、今回の学術会議の改革は「学問の自由」を毀損するらしいが、だとするとさらなる疑問が湧く。そんな帰結に陥るなら、③そもそも騒がずに元の制度を維持した方が賢明だったのではなかろうか?
当時の菅義偉首相や、彼が長年仕えた安倍晋三元首相の「ファン」であるなら、名指しで任命を拒否られたらショックだろう。しかし、安倍・菅政治にずっと反対してきた人が、政府の側から「あなたとは一緒に働きたくない」と言われた程度で、なにをイキリ立つ必要があったのか?
「別に御用学者をめざして研究してませんので、それで結構です。むしろ私と一緒に働きたいと言ってもらえる政権を、いつか作るべく今後も努力します」とでも返しておけば、遥かにスマートだったはずだが、任命拒否者のうちそう振る舞ったのは、わずかに宇野重規氏のみだった。

コロナで早々と「学問の自由」を放棄したカッコ悪さを、江戸の敵を長崎で討つ的に「学術会議で挽回だ!」と吶喊してすべてを失う顛末は、日中戦争の泥沼を「対米英開戦で打破できる!」と思い込んで、国を焦土にした故事そのままである。
まさに『それでも、学者たちは「戦争」を選んだ』だが、もしコロナがひと段落していたあのとき、日本学術会議が安易な自粛へのすり寄りを反省し、文理の枠を超えて「なぜ専門家はまちがえたか」を検証する提言でも出しておけば、いま学者への信頼度は雲泥の差であったろう。
……といった話もしている動画が、6月27日からYouTubeの「ニュースの争点」チャンネルに上がっている。かねてお知らせしている通り、ぼくの次の本は専門家に依存する社会の批判がテーマなので、その顔見世でもある。

「負け戦」の責任は、誤った戦略を立てた者に、明確に取らせなければならない。それ抜きでは、日本人は「無責任の体系」を繰り返す。これが数少ない、いまも通用する歴史の教訓なことは、いくら歴史学者が無教養でもわかるだろう。
日本学術会議の敗戦は、学問の終わりではない。新たな始まりである。
2020年代、学問の「自由」を担うに値する「責任」をまるで果たさず、失敗を認めずに世論の耳目を逸らすことだけに邁進した人びとの罪を、問い続けることが必要だ。いま学術会議の「A級戦犯」を裁くことが、民主国家を担う学問再生の第一歩になる。そしてその判決は今度こそ、外国ではなく国民の手で、下されなければならない。
参考記事:




編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2025年6月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。