「ポケット」より「五四青年服」が物語る異形な独裁国家の上意下達

11月7日の「台湾有事」高市答弁についての反応が、日本国内の反日派や親中派あるいは無能ぶりを「炙り出す」結果を生んでいるとの論がある。「炙り出す」のこうした語法は、『産経』の阿比留瑠比記者が十数年前から使い始めたと記憶するが、実に言い得て妙だなあ、と今更ながら感心する。

この高市答弁に対する中国の極めて異様な反応について、筆者は16日の拙稿で「高市首相の『台湾有事』答弁と外交巧者ぶり」に対する中国の「狼狽え」と断じたが、台湾は勿論、米国や欧州から日本と高市発言を支持する投稿や声明が相次いでいる状況は、その「狼狽え」を一層昂じさせているようだ。

高市首相の「台湾有事」答弁と外交巧者ぶりに狼狽える中国
14日の中国共産党中央委員会の機関紙「人民日報」(日本語版)は、「日本の高市首相の台湾関連の誤った言動に中国外交部 『火を弄ぶ者は、必ず自らその火に焼かれる』」との見出しで、「台湾有事」に関する高市答弁について中国外交部林剣報道官が...

即ち、米国はグラス大使に加え、20日にもピゴット国務省副報道が「日米同盟や日本が施政権下に置く尖閣諸島を含む日本の防衛に対する我々の責務は揺るぎない」とXに投稿した。同日、日米欧などの国会議員らで構成する「対中政策に関する列国議会連盟(IPAC)」も「日本支持」を表明したのだ。

が、国内には高市氏を難じる野党議員やメディアが跋扈する。「僕らは撤回の機会与えた」発言の質問議員然り、見出しを「日中関係悪化もたらした高市答弁」とする『赤旗』や、「野党に無理くり“責任転嫁”するのが流行中 物議呼ぶ高市首相答弁への援護射撃なのか…脅かされる民主主義」の『東京新聞』然り、まさに「炙り出」されている。

こうした中、外務省の金井アジア大洋州局長が中国のカウンターパートとの「協議」のため訪中した。これを難じる声もあった。が、筆者は「丁寧に対応することと下出に出ることとは違う」と肯定的だった。そして18日、外務省のサイトは以下のように極あっさりと「協議」の内容をアップした。

11月18日、金井正彰アジア大洋州局長は、劉勁松(りゅう・けいしょう)中国外交部アジア司長と北京において協議を行い、日中関係等について意見交換を行いました。

金井局長から劉司長に対し、先般、薛剣在大阪中国総領事が、極めて不適切な発信を行ったことに対し、改めて強く抗議し、早急に適切な対応をとることを強く求めました。また、中国政府による日本への渡航注意等の一連の発表についても申入れを行い、日本国内の治安が決して悪化などしていないことを反論し、改めて中国側が適切な対応をとるよう強く求めました。併せて、在留邦人の安全の確保についても申し入れました。

また、劉司長から中国側の立場に基づく発言がありましたが、金井局長からは反論し、我が国政府の従来から一貫した立場を説明しました。

外交上、こうした「協議」の詳細を相手国との「調整」なしに一方的に公表することを、そうした儀礼を知らない某国を違って、我が国はしない。が、せめて、この訪中が今般の出来事を「協議」するためだったのではなく、既に予定されていた「定例協議会」だったことくらいは述べるべきだろうに。

外務省は建前を守るが、ネットの世界では真相が暴露される。自民党の青山繁晴議員は20日、自身の36分余りのネット番組で、直前まで行われていた自民党外交部会・外交調査会の合同部会に出席した金井局長が、「中国は一番高く振り上げた拳をどうおろすか策がない」などと発言したことに言及した。

記者上がりの青山氏が克明にメモした同部会での金井発言の要点を文字起こしすれば(太字は筆者)・・

「協議は4時間おこない、うち3時間が普通の定例協議だった。そこでは(中国による)レアアースの輸入規制や尖閣諸島への海警局の船の侵入は遺憾であると、強く抗議した」と述べた。

「残りの1時間は劉司長と1対1で食事を摂りながら話をし、そこでは中国が日本の治安が悪化しているので、中国の人々に渡航しないように呼びかけているのは事実に反していて極めて遺憾であると、強く抗議した。行政府どうしはいくら喧嘩しても良いが、市民に不安を与えることは愚の骨頂ですと言った」と述べた。

金井氏は、自身の「印象として」との断りを入れ、(この問題で)「中国側は、1番高く振り上げた拳をどうして下ろして良いか策がない」、「プロの外交官として、そういうことに毅然とと対処した」、「習近平国家主席まで上がって、そこから下に降りてきての対応だということが、協議を経て分かった」と述べた。

太字にした「中国側は、1番高く振り上げた拳をどうして下ろして良いか策がない」、「習近平国家主席まで上がって、そこから下に降りてきての対応だということが、協議を経て分かりました」については、多くの国民がそう感じていたところだが、プロの外交官がそう確信したのだから間違いなかろう。

中国中央電視台(CCTV)が撮影した協議後の画像が公開され、劉司長がポケットに両手を入れたまま金井局長に対応する場面が世界中に拡散した。が、ポケットなら岸田首相の訪米に同行した木原誠二官房副長官が両手をポケットに突っ込みつつ、首相の会見を後ろで聞く様子の方が筆者には衝撃だった。

金井正彰 外務省アジア大洋州局長と会談した劉勁松 中国外交部アジア司長

図らずもCCTV画像が伝えてしまったポケットより重要なことは、劉司長が纏っていた学生服様の上着だ。それは「五四青年服」と呼ばれる「抗日」を象徴する服装なのである。ポケットに手を入れる演出はその場でも出来る。が、金井局長との「協議」に「五四青年服」で臨むには事前に準備が必要だ。

劉局長の着ている「五四青年服」こそが、この問題が「習近平国家主席まで上がって、そこから下に降りてきての対応」であることを何よりも雄弁に物語っている、と筆者は思う。この「五四」とは「五四運動」のことで、『山川 日本史小辞典』はこう解説している(「コトバンク」より)。

1919年(大正8)5月4日、北京の学生デモを契機とする反日・反帝の民衆運動。19年のパリ講和会議において中国は対華二十一カ条の要求の撤回、山東権益の返還を要求したが、いずれも否認され、中国民衆の憤激を招いた。学生デモは「二十一カ条破棄」「講和条約調印拒否」などのスローガンを掲げて軍警と衝突し、北京のデモに呼応して各地の労働者・商業者が罷業を始め、上海では6万人をこえる労働者が罷業に参加した。この大衆運動は、中国政府に親日官僚の曹汝霖らの罷免、講和条約の調印拒絶という態度をとらせるに至った。5・4運動は中国革命の指導理念にマルクス主義を持ち込み、中国共産党結成の基礎をおくことになった。

その「五四運動」でデモ学生が身につけたのが「五四青年服」である。その由来は、日清・日露の後に大勢訪日した中国留学生が、日本の学生服を真似て取り入れたとの説が有力だ。習氏が偶に着る「人民服(中山服)」には立折襟と両胸に蓋つきのポケットがあるから、「五四青年服」とは明らかに異なる。

つまり、劉司長の出で立ちこそ中国が「高市答弁」を「対華二十一カ条要求」並みに針小棒大化して、「五四運動」のように抗日活動をやりますよ、というシグナルなのだ。

その中国は今世紀に入り、2005年、10年、そして12年に大規模な「抗日デモ」を行っている。

戦後60年に当る05年には、日本が目指した国連安保理常任理事国入りに反対し、5月4日から中国各地で週末に大規模デモを行い、日本公館や日系スーパー・料理店などに大損害を与えた。中国国連大使が総会会合で18日、「日本に常任理事国資格なし」と述べたのは、20年前のリマインダーである。

が、そのデモの裏には東シナ海のガス田問題や4月5日に「新しい歴史教科書をつくる会」教科書の検定合格があった。4月22日のバンドン会議50周年会議で小泉首相は、アジア諸国への侵略と植民地支配に対する「痛切な反省とおわび」を表明した(武藤秀太郎『“抗日”中国の期限』)。

民主党政権下の10年と12年のデモは尖閣絡みで、中国漁船による海保巡視船への体当たりと尖閣国有化が理由だった。つまり常任理事国入りも尖閣問題も「高市答弁」と同じく中国の言掛りであって、根は「五四運動」を底流とする「抗日」活動なのだ

くれぐれも高市氏は小泉氏の顰に倣ってはならず、自由と民主主義を標榜す諸国と連帯しつつ、冷静かつ丁寧に中国に対処することだ。