繁栄からの転落と財政規律の喪失:アルゼンチン100年の軌跡と「財政従属」の教訓

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かつての富裕国が問いかけるもの

20世紀初頭、アルゼンチンは「南米のパリ」と称され、世界有数の富裕国として繁栄を謳歌していた。しかし、その後の100年は、慢性的なインフレ、通貨危機、そしてデフォルトの連鎖であった。なぜ、これほどの転落が生じたのか。

その根本原因は、単なる経済環境の変化ではない。それは、国家が「財政規律(Fiscal Discipline)」を放棄し、その穴埋めとして中央銀行を従属させる「財政従属(Fiscal Dominance)」の構造を常態化させた点にある。

本論考では、1910年以降のアルゼンチンの財政・金融政策の変遷を、「ルール対裁量」の崩壊過程として読み解き、現代への教訓を導出する。

1910年代:金本位制の動揺と「裁量」への誘惑

20世紀初頭のアルゼンチンの繁栄は、厳格な「ルール」によって支えられていた。1899年の兌換法により設置された兌換局(Conversion Office)は、ペソと金(ゴールド)を固定し、通貨発行を金の裏付けに限定するカレンシーボードとして機能していた。この規律が、投資家の信頼と低インフレをもたらしていた。

事実、1910年から1913年の「黄金時代」において、インフレ率は平均2.5%と極めて安定しており、実質GDP成長率は平均5.9%という驚異的な高成長を記録していた。当時の1人当たりGDPはフランスやドイツを上回り、世界のトップ10圏内に位置していたのである。

しかし、1914年の第一次世界大戦勃発が転機となる。戦争による資本流入の停止と金流出のリスクに直面した政府は、金兌換の停止(サスペンション)を決断する。さらに、非常時対応として、アルゼンチン国立銀行が商業手形を兌換局で現金化できる仕組みを導入した。これは、厳格な通貨発行ルールに「裁量」の余地を持ち込む歴史的な転換点であった。当初は限定的な措置であったが、一度開かれた「抜け道」は、後の政治的要請によって拡張される運命にあった。

1920年代〜1930年代:世界恐慌と制度化される「財政従属」

1920年代、世界経済の回復とともに、アルゼンチンは1927年に金本位制へ復帰する。しかし、その基盤は脆弱であった。1929年の世界恐慌は、輸出依存度の高い同国経済を直撃し、わずか2年で兌換局は閉鎖に追い込まれた。その打撃は凄まじく、1930年から1932年にかけて実質GDPは約14%縮小し、物価はデフレ圧力によりマイナス圏で推移した。

ここから、危機対応を名目とした「財政ファイナンス」が常態化し始める。1931年、歳入不足に直面した政府は「愛国債(Patriotic Loan)」を発行し、その現金化を許可した。これは事実上の財政赤字の貨幣化(マネタイゼーション)の始まりであった。

さらに決定的な変化は、1935年のアルゼンチン中央銀行(BCRA)の設立である。近代的な金融政策を目指して設立されたBCRAであったが、兌換局のような機械的なルールから、裁量的な政策決定への移行を意味していた。皮肉にも、経済安定化のために作られたこの「裁量」の器が、後に政府の放漫財政を支える「打ち出の小槌」へと変貌していくのである。

1940年代〜1960年代:ペロニズムと「ストップ・アンド・ゴー」の悪循環

1946年に成立したペロン政権下で、「財政従属」は決定的なものとなる。中央銀行は国有化され、産業化と所得再分配のための財源として徹底的に利用された。政府は公的機関への補助金や公的銀行への再割引を通じて市場に資金を供給し、その原資は中央銀行の赤字ファイナンスで賄われた。

これによりインフレは構造的な問題として定着した。1940年代前半には一桁台だったインフレ率は、1951年には37%、1952年には39%へと急騰した。

1950年代から60年代にかけては、公共部門の肥大化による慢性的な財政赤字が続いた。政府は「閉鎖経済」モデルを採用し、資本規制を強化することで、国内資金を強制的に国債消化に向かわせる「金融抑圧」を行った。しかし、外貨不足による国際収支危機が周期的に訪れ、その都度、緊縮と成長を繰り返す「ストップ・アンド・ゴー」政策に陥った。

財政の構造改革を先送りし、その場しのぎの金融操作に終始した結果、経済の体質は著しく弱体化した。

1970年代〜1980年代:自由化の失敗とハイパーインフレの地獄

1970年代に入ると、矛盾は爆発する。1975年の「ロドリガソ(経済調整策の失敗)」により、物価は制御不能となり、インフレ率は1975年の182%から翌年には444%を記録した。

軍事政権下で実施された1978年の「タブリータ政策(あらかじめ告示された為替切り下げ)」は、インフレ抑制を狙ったものであった。しかし、肝心の財政赤字が解消されないまま為替レートだけを管理しようとしたため、実質為替レートの増価と対外債務の急増を招いた。対外債務は1975年の約80億ドルから1981年には350億ドル超へと爆発的に増加し、システムは破綻した。

続く1980年代は「失われた10年」となった。1982年の債務危機により国際金融市場から締め出された政府は、財政赤字と「準財政赤字(中央銀行自身の赤字)」を埋めるため、猛烈な勢いで通貨を発行した(シニョリッジへの依存)。

その帰結が1989年のハイパーインフレである。この年、インフレ率は年率3,079%に達し、実質GDPは7.0%のマイナス成長を記録。貧困率は一時47%まで上昇し、中間層の没落と社会崩壊を招いた。

1990年代:「厳格なルール」の復活と新たな罠

ハイパーインフレの反省から、1991年、カバロ経済相の下で「兌換法」が導入された。これはペソと米ドルを1対1で固定し、マネタリーベースを100%外貨で裏付けるという、1910年代のカレンシーボード制への回帰であった。中央銀行による財政ファイナンスは法律で禁止され、究極の「ルール」支配が復活した。

初期には劇的な成果を上げた。インフレ率は1991年の84%から1994年には3.9%へ激減し、同期間の実質GDP成長率は平均約8%の高成長を達成した。

しかし、このシステムには致命的な欠陥があった。「金融政策の手足は縛ったが、財政政策の手足は縛らなかった」点である。通貨発行ができなくなった政府は、赤字の穴埋めをドル建て国債の発行に求めた。公的債務は膨張し続け、アジア通貨危機等の外部ショックに耐えられず、2001年に未曾有の経済危機とデフォルトを招いたのである。

この崩壊の衝撃は計り知れない。財政への不信からカントリーリスク(EMBI+スプレッド)は4,000bp(金利上乗せ幅40%)を超え、資金調達は不可能となった。実質GDPは2001年から2002年にかけて累積で約15%縮小し、失業率は21.5%に達した。兌換法の廃止に伴う通貨切り下げにより、2002年のインフレ率は41%へと再燃した。

2000年代以降:歴史の繰り返し

2001年の危機後、アルゼンチンは再び「財政従属」の時代へと回帰した。

2000年代半ばこそ、一次産品価格の高騰(コモディティ・ブーム)により「双子の黒字」を享受したが、ブームが去った2010年代には再び財政赤字が拡大した。国際市場へのアクセスが制限されていたため、政府は再び中央銀行からの借入(通貨発行)に依存し、インフレ率は再び上昇基調(2019年で50%超)となった。

財政規律なき繁栄はない

アルゼンチンの100年の歴史は、「ルール(金本位制・兌換法)」と「裁量(財政ファイナンス)」の間を極端に揺れ動く振り子のようである。しかし、どの時代においても共通する真実は、「財政規律の欠如を、金融政策や為替制度の変更だけで解決することはできない」という点だ。

金本位制であれ、中央銀行制度であれ、あるいはカレンシーボードであれ、政府が自らの財政運営について、「税収と市場が許容する債務の範囲内」でコントロールする能力(異時点間の予算制約を守る意志)を持たない限り、あらゆる制度は最終的に崩壊する。

たとえ一時的な財政赤字が許容されるとしても、危機対応として導入された「例外的な裁量」が、政治的な甘えにより「恒久的な財源」へと変質し、国債残高が経済規模に見合った水準を逸脱し続けるとき、国家の衰退は始まる。アルゼンチンの事例は、財政の持続可能性(Sustainability)こそが通貨の信認と経済安定の唯一のアンカーであることを、残酷なまでの明瞭さで我々に教えている。

【参考文献】

  • Buera, F. and Nicolini, J. P. (2018). “The Monetary and Fiscal History of Argentina, 1960–2017,” Federal Reserve Bank of Minneapolis.
  • della Paolera, G. and Taylor, A. M. (2001). “Straining at the Anchor: The Argentine Currency Board and the Search for Macroeconomic Stability, 1880-1935,” University of Chicago Press.
  • Gadea, M. D., Sabaté, M. and Sanz, I. (2011). “Long-Run Fiscal Dominance in Argentina 1875-1990,” University of Zaragoza.
  • Saxton, J. (2003). “Argentina’s Economic Crisis: Causes and Cures,” Joint Economic Committee United States Congress.