
令和人文主義を覚えているだろうか。昨年末に炎上してむしろ有名に(?)なったこの概念が、今月久しぶりにまた話題になった。しかしというか、当然というか、もっぱら否定的な形である。

いずれも2026.2.7-8
もちろんきっかけは、劇的だった2/8の総選挙だ。日本の分岐点となり、それこそ人文的な価値が根こそぎになるかもしれない局面で、「マーケティングで敵を作らない」よう逃げ出す識者は、見下されても文句は言えまい。
完勝したのは高市自民党で、逆に壊滅したのが中道改革連合だが、選挙戦の終盤、平成以来のアジりの「覇王」と呼ぶべき麻生太郎氏が煽った調子をもじれば、こんな感じだろうか。

令和人文主義について、「人文ってなんですか。何の人文なんですか」と疑問。「憲法改正をするんですか、しないんですか?……人文です」などと例え、「人文って何も決めないってことなんでしょうか」とやゆした。
J-castニュース、2026.2.6
文言を改め、強調を付与
もちろん学者が、みな “政治的” でないといけないわけじゃない。セーケンとかケンポーとか興味ないっす、な人が居てもいい。だが「人文学」ではここ数年、日々を生きる上で誰にも無視できない論争が続いてきたはずだ。

「コロナで自粛するんですか、しないんですか?……人文です」「生権力に賛成ですか、反対ですか?……人文です」などと例え、「人文って何も言わないってことなんでしょうか」とやゆした。

「トランス女性は女湯に入れますか、入れませんか?……人文です」「生物学的な性別はあるんですか、ないんですか?……人文です」などと例え、「人文って何も言わないってことなんでしょうか」とやゆした。
そのとき自分の(そして国民の)権利を守るために闘わず、首をひそめていた臆病者が「でも俺ら、キラキラしてる新しい人文主義なんすよぉ!」とドヤって嗤いものになったのは、いいことだ。が、本人は不満らしい。
「令和人文主義」の造語者で、つまり炎上のはじまりを作った哲学者の谷川嘉浩氏は、1/2に公開したnoteで、前年末に寄せられた批判に “反論” している。だが、その中身は空っぽだ。

私は「令和人文主義」という言葉を、特定の集団やメンバーシップを指す言葉として使ったことは一度もありません。……なので、誰かが「私は令和人文主義者です」と自称しているわけではありません
谷川嘉浩氏note、2026.1.2
強調箇所を変更
少なくともあなたは違うよね? 自分で書いてたじゃない(笑)。
読書界とビジネス界をまたいで、「令和人文主義」が席巻している。株式会社COTENの深井龍之介、株式会社baton(QuizKnock)の田村正資、文芸評論家の三宅香帆、広告代理店勤務で大阪大学招聘准教授の朱喜哲などが代表格だ(私もその一角にいるだろうか)。
谷川嘉浩「令和人文主義と「斜め」の知性」
『Voice』2025年11月号、32頁
「代表格だ」という表現は、令和人文主義なるものが実体として “ある” ことを前提とする。いざ炎上したら、ボクの見方を語っただけで「そんな集団はいません」と逃げ出すのは、みっともない。
谷川氏がnoteで反論の対象にしたのは、最も “バズった” 令和人文主義批判の1つである「飲茶」氏の次のものだ。どうも、ボクたちを単なる商業主義のように印象づけているが、ぜんぜん違う! と言いたいらしいが――

飲茶さんの記事は、全体として首をかしげるところばかりでした。というのも、全体的に「言っていないこと」ばかりだからです。
(中 略)
飲茶さんの記事は、こうした「成果主義への抵抗」や「ファスト教養への抵抗」、「競争化する学びへの抵抗」という背景を捨象し、単なる「わかりやすいコンテンツ消費」の話へと矮小化してしまっている
谷川嘉浩氏note、2026.1.2
令和人文主義は、「わかりやすいコンテンツ消費」とは違ったのか。ふぅん。じゃあ、炎上より後に掲載されたこの記事は、なんだろう(苦笑)。

アイドルや俳優が書籍を推薦し、それをファンが買うという流れがある。……読書好きで知られるIVEのチャン・ウォニョンは、韓国語訳された『超訳 ブッダの言葉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)に言及し、ベストセラー入りした。
谷川嘉浩「韓国発の若者読書文化「TEXT HIP」」
『Voice』2026年3月号、34頁
この『超訳 ブッダの言葉』は、自己啓発系の僧侶として一時市場を席巻した小池龍之介氏の著書だが、その後、本人がかなりまずい状態にあったらしいことは、以降のコンテンツからわかる。
自分は一貫して小池龍之介氏の批判者ですが別に面識があるわけじゃなし、人柄みたいなものは全然知らなかった。けど今回の音声など聞くに、これは「精神に問題のある人を宗教メディアが面白がって覚者のように持ち上げ、本人がその気になって壊れた」みたいな事案だったように思う。いかんだろこれは。
— OGAWA Kandai (@grossherzigkeit) March 19, 2019
また谷川氏は、「飲茶」氏が、令和人文主義の特徴に「専門外の分野であってもAIを駆使してリサーチし……コンテンツとして提供する」点を挙げて批判したことに対しても、
AIの話題はマジでどこにも書いていなさすぎてビビる
谷川嘉浩氏note、2026.1.2
と言うのだが、シラの切り方がマジですごすぎてこっちがビビる(失笑)。
先に引用した『Voice』の昨年11月号や、朝日新聞系のサイトへの寄稿で、谷川氏は令和人文主義を紹介する際、共に「株式会社COTENの深井龍之介」という人を真っ先に挙げている。この会社は、なにをするところか。
同社に「AIリサーチャー」として勤めているらしい人が、語ってくれていた。明治維新と邪馬台国の例を挙げて、AIが適切な評価を出力できるよう奮闘中らしい。もちろん、そんな形で歴史を「専門」にする学者はいない。
ここまで底の浅い “すぐ割れる嘘” が書けるのには驚くが、読者の前で「どーよ、言い返したジャン!」なポーズが取れれば、それでいいのかもしれない。前にもそんな “イマドキの学者” と論争したから、よくわかる(笑)。

彼女の振る舞いは、日本語を読み解く力の低い「読者」を想定し、彼ら彼女らの前で「元になった與那覇の文章などに当たるまでもなく、私(=北村氏)が論破していることは明らかだ」というパフォーマンスを見せることに、主眼を置いたもののように思われる。
(中 略)
その背景にあるのは重度の人間不信――「自らの読者・視聴者も含めて、どうせ世の中の人間の大半はバカなのだから、真摯に説得するより『騙して』操ったほうが効率的だ」といったニヒリズムの社会的な蔓延であると、私は考える。
拙稿、2021.11.22
一方で谷川氏にクレームを入れられた「飲茶」氏は、直接それに応じてはいないようだ。だが、谷川氏の記事からほぼ1週間後の彼(?)のnoteは、どこか物言いたげな風にも読める。
もしも、これが “暗喩的” な形で反論に応答したということなのであれば、それは人文書の周辺に、ますますニヒリズムが繁殖してきたことの徴候だ。率直に言って、感じがよくはない。
世の中で「10万部突破! ベストセラー!」という肩書きを振り回して、偉そうにイキっている作家を見かけたときは、少し立ち止まったほうがいい。
その10万部は、はたして「刷り部数」なのか? もし実売部数であれば、同じ10万部でも、意味はまったく違う。(ちなみに、意識高い&自己啓発系の新興出版社だと、実売部数の可能性が高い。なので、派手な部数を見かけたら、どこの出版社から出ているのか、よく確認してみよう)
「飲茶」氏note、2026.1.10
ちなみに、谷川氏の(一般向けの)主著のレビューはこちらで、版元は『超訳 ブッダの言葉』と同じなようだ。とりあえず、それはファクト。
さて、こんな論争(?)をわざわざ採り上げたのは、もちろん理由がある。
すでに論じたとおり、2/8の選挙で中道改革連合――というか旧・立憲民主党が自滅したのは、自らの支持層を内心低く見て、「こんなんで満足やろ?」と粗悪なファンサービスを繰り返してきた、長年のツケによるものだ。
学者や論客が同じように “読者層のゾンビ化” を試みて打ち上げた「令和人文主義」が、同じ蹉跌を踏む前に大破したのは朗報だ。それを “死体蹴り” のように確認する機会を作った点では、総選挙の惨状にも意味はあった。
昨年末からすでに、令和人文主義をゾンビに喩えていた年間読書人氏は、そうした風潮を放置した場合の行く末を、こう書いている。
野党がいつまでも焼け野原では、もし政権が暴走し「人文主義」に襲いかかっても止められないから困るが、 “知のゾンビ・タウン” は増える前に焼き払った方がいい。それこそがあの選挙の後の、今年の人文学の課題である。
「令和人文主義をありがたがる人」たちの問題は、「100円ショップ」に満足してしまって、「品質が高いけれど、値段も高い」ものを、「もう必要ないよ」と、そう感じている節が見受けられる点なのだ。
(中 略)
「谷川嘉浩の方が、優れているよ。デリダみたいに、訳のわからない、無駄に難解な書き方をするのではなく、谷川さんは、難しいことを、わかりやすく語ってくれるんだから、谷川さんの方が上等なんだよ」
年間読書人氏note、2025.12.30
参考記事:


(ヘッダーは、2025年10月のReHacQより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年2月24日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







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