トランプ・イスラエルのイラン攻撃と中東の正義

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ミネルヴァのフクロウは夕闇に飛び立つ

2月28日、トランプ政権下の米国とイスラエルは、イランに対する大規模な先制攻撃を開始した。最高指導者アリ・ハメネイ師の暗殺を含む政権中枢、核施設、弾道ミサイル基地、海軍、空軍を標的としたこの作戦は、核兵器開発阻止と体制転覆(regime change)を一応の目的に掲げる(イスラエルとトランプで温度差がある)。

攻撃開始から約1週間、イスラエルはテヘランへの13回目の波状攻撃を敢行し、米国は精密爆撃でイランの地下ミサイル発射装置を破壊。イランのミサイル攻撃は90%減少したと米中央軍が発表している。トランプ大統領は「無条件降伏」以外認めないと宣言し、次期最高指導者の選出に自ら関与する意向を示した。

イランは報復として、ペルシャ湾岸諸国やイスラエルへのミサイル・ドローン攻撃を継続。ホルムズ海峡封鎖の危機、周辺国への戦火拡大(サウジ、UAE、クウェートなど13カ国に及ぶ)が起きている。

3月第1週末時点で死者はイラン側で1,300人超、米国・イスラエル側も犠牲者が出ている。トランプは「中東全体の平和のため」と主張するが、攻撃の理由は「差し迫った脅威の阻止」「核・ミサイル能力の破壊」「代理勢力(ヒズボラなど)の弱体化」と変遷気味である。

さて、正義はどちらにあるのだろうか?

哲学者ヘーゲルは、著書『法哲学要綱』の中で「ミネルヴァのフクロウは夕闇に飛び立つ」と書いた。知恵や哲学は物事が終わった「夕暮れ」にしか現れず、歴史や出来事の真の意味は、それが終わった後に初めて理解されるという意味の比喩表現だ。いわば対立的事象に於いて正義はどちらにあるかは、事後的、後付けでしか確定しないという事である。

今、中東はまさにその夕闇の中にある。夕闇の中で、フクロウの目はイランの体制崩壊か、中東全体に広がる長期泥沼戦かを注視している。

正義とは端的に言えば、秩序の別名だろう。そして対立する正義(秩序)がある場合、どちらがより正義であるかは、下記不等式で判定されると思われる。

秩序Aの齎す幸福の総量 > 秩序Bの齎す幸福の総量 ± 移行等に伴う流血と破壊の総量

※ この不等式が成り立つとき、秩序Aが正義となり、不成立の時には悪となる。

トランプ&イスラエルの始めた今回のイラン攻撃とその後の展開が、中東地域と世界のより良い秩序構築に繋がれば結果的に正義となり、そうでなければ悪となるだろう。

国際法は慣習法と言えども尊重すべきであり通常の有用なツールだが、上記の不等式に当て嵌めて事後的に書き変えられて行く部分が出て来る。

そして戦況は今まさに鬩ぎ合っており、即ち正義も鬩ぎ合っている。

ユダヤ教とイスラム教

前述の大本営発表とは別に、イラン攻撃にこのタイミングを選んだ事については、ネタニヤフ、トランプ両者の支持率低迷からの挽回策があると言われている。

ネタニヤフについては汚職追及からの回避。トランプについては関税政策、インフレ批判、中間選挙に向けキリスト教福音派(イスラエルによるエルサレム神殿再建を熱望)からの支持強化、そしてエプスタイン文書での性的疑惑からの回避が言われていた。

エプスタイン文書については、トランプ関与の非公開部分が3月5日にリリースされ、ホワイトハウスはシロである事が判明したと主張している。トランプ自身が本当に真っ白だったかはともかく、エプスタインについても単なる個人的性欲、性的倒錯、金銭欲、権勢欲だけで巨大ネットワークを築いたと考えるのは無理があり、何らかのバックが居たという見方が強い。

仮に少なくともその一部がイスラエルでありその諜報工作機関のモサドであったなら、今回のイラン攻撃も含めて色々な符牒は合う感もある。

これらはさて置くとして、今回のイラン攻撃を含め、イスラエル vs イランの背景のより根底にはユダヤ教とイスラム教の対立構造がある。

古代に中東で興ったユダヤ教からキリスト教が派生し、その後イスラム教も派生した。これらは共に一神教であり、特にユダヤ教とイスラム教では、一応愛の宗教であり宗教改革を経て近代化したキリスト教と比較して、肥沃な土地と水が限られる中東で牧畜の個人事業主間の契約を裁く掟としての側面が強い。

このため特にユダヤ教の経典に於いては、現代では到底受け入れられぬような、戦闘によらない殺戮、拉致、略奪、略奪婚等、総じてジェノサイド(民族浄化)も肯定的に描かれ述べられている部分も少なくはない。

こうした経典の野蛮さは、現在にも顔を出す。ユダヤ教徒はキリストを殺した民族であるという事と偏狭な選民思想から欧州で差別され拗らせて怨嗟を溜め込み、帝政ロシアのポグロムとナチスによるホロコーストで徹底的に差別、殺戮され、その償いから第二次大戦後大量入植し西欧諸国にイスラエル建国を容認された。

だが数度の中東戦争を経て、2023年以降のガザにおける破壊と殺戮が報復の範疇を超える過酷さで行われるに至って、今や第二次世界大戦の犠牲者としての「ホロコーストの貯金(道徳的資産)」も底を尽き掛けている感がある。

一方のイスラム教は、宗派、国々によって異なるが、イスラム革命によって先祖返りしたイランに於いては、国内の思想統制、言論統制、監視、処刑が苛烈を極め、その他の国々でも児童婚やレイプ「被害者」の処刑等が行われている例等もある。またテロ国家や組織的集団も多い。

一神教とは縁なき衆生である筆者としては、両者とも個人的には距離を置きたい宗教であり、何れ相応の宗教改革を経て近代化する局面がやってくると考えるが、現下では双方の安定した世俗派穏健派を除いては、なかなか道徳的側面について現状どちらにも軍配を上げる事は難しいだろう。そしてその難しさは、そのまま今回のイラン攻撃についての国際世論の動向とも一部シンクロしている。

我が国の判断と対応

さて縷々若干脱線したが、宗教の道徳性がどうであろうが、ミネルバのフクロウが飛び立つのが夕闇だろうが、現在進行形の世の中を生きる我々は只事態を見守っている訳には行かず、何らかの予測を立てて対処する必要がある。

筆者はアブラハム合意でイスラエルと湾岸諸国との妥協が生まれ、盟主であるサウジアラビアもこれに加わる流れがある中では、今回のイラン攻撃はこれを行わなかったと想定した場合よりもよりマシな秩序の形成に資する可能性の方が高いと見る。

だが、戦況は流動的であり究極、第三次世界大戦に繋がる可能性も排除出来ない。このような中で我が国としては、今回のイラン攻撃について理解若しくは一歩踏み込んで支持を表明する場合も、アブラハム合意の進展を中心とした新秩序形成に繋がる限りと言う条件を付すべきと考える。

これにより、イスラエルと米国が湾岸諸国の理解を得て行き過ぎることなく、かつ出口戦略を適確に遂行するための継続的牽制機能の一翼も担う事が肝要だろう。

外交の要諦は、国際的大義を伴う長期的国益の追及である。現高市政権委は、この機軸からブレずに事態の進展に応じた主体的対処を求めたい。

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