国際機関が指摘、差し迫った核の危機は存在せず:米イスラエル、イラン攻撃の裏側

アメリカとイスラエルによるイランへの軍事攻撃で、中東地域の安全保障環境が一気に緊張状態となっている。

攻撃の公式な理由の1つは、イランの核開発疑惑や地域の安全保障上の脅威だった。しかし、専門機関の調査によると、攻撃時点での核の脅威と政治的主張には大きな隔たりがあった。

両国による今回の攻撃は、2025年6月に発生した「12日間戦争」に続く二度目の軍事行動となる。米国とイスラエルが共同でイランの核施設や軍事拠点を標的とする空爆を行い、短期間であるが大規模な軍事衝突が発生した。

トランプ大統領 ホワイトハウスXより

核査察組織の見解――攻撃直前

ウィーンに本拠地を置く国際原子力機関(IAEA)は、核兵器の不拡散を目的として1957年に国連傘下で設立された。加盟国の核施設への査察や核物質の監視を通じて、核の平和利用を確保する役割を担っており、核開発の疑惑が生じた場合には独立した立場で調査・報告を行う。

今回の攻撃直前、IAEAはイランが米国に対して差し迫った核兵器の脅威をもたらす活動を行っているという証拠を確認していなかった。アメリカのトランプ大統領やイスラエルのネタニヤフ首相も、進行中の核兵器開発を示す具体的な証拠は提示していない(出所:Arms Control Association)。

攻撃後の3月2日、グロッシーIAEA事務局長は記者会見で「イランに核兵器を製造する体系的なプログラムは見当たらない」と明言した。また翌日のCNNインタビューで「イランが数日または数週間で核爆弾を製造できる状態にあったか」と問われ、「ノー」と回答した(出所:Arms Control Association)。

この発言は、攻撃の正当化根拠を根底から揺るがすものといえよう。

国際原子力機関(IAEA) IAEA公式サイトから

核開発懸念の背景

そもそも、なぜIAEAがイランの核施設を査察していたのか。

イランは1970年に核兵器不拡散条約(NPT)に署名し、核兵器を開発・保有しないことを国際的に約束した。NPT加盟国はその義務の履行を証明するため、IAEAとの間に「保障措置協定」を個別に締結することが求められる。イランは1974年にこの協定を締結しており、これによってIAEAによる核施設への立入査察と核物質の監視が法的に可能となった。

NPT加盟国はいずれもIAEAの査察を受けるが、その強度は一律ではない。日本のように平和利用が前提として信頼されている国には、核物質の量や動きが申告通りかを確認する定期的な査察が行われる。一方、過去に条約違反や秘密核施設の発覚があった国に対しては、抜き打ち査察や立入範囲の拡大など、より厳格な査察体制が適用される。

イランがこの厳格な監視下に置かれるようになった転機は2002年である。

イランに反対する亡命組織「イラン抵抗国民評議会(NCRI)」が同年8月、ワシントンで記者会見を開き、それまで秘密にされていたナタンズのウラン濃縮施設とアラクの重水施設の存在を暴露した。その後、商業衛星写真によって建設工事の存在が確認され、イランが保障措置協定を結びながらIAEAに申告せずに主要核施設を建設していたことが明らかになり、国際社会に大きな衝撃を与えた。

これをきっかけにIAEAはイランに対する査察を大幅に強化し、2006年には国連安全保障理事会がイランに対してウラン濃縮の停止を要求する決議を採択した。

過去の核兵器研究(〜2003年)

米国の情報機関は、2007年の評価で、イランが1980年代後半から2003年まで「AMADプロジェクト」と呼ばれる核兵器開発計画を進めていたと判断している。その後、公式には活動は停止したとされる。この評価は、過去にイランが核兵器を追求した可能性を示すものであり、国際的懸念の基礎となってきた。

IAEA査察における問題点

IAEAは2018年から、イランの過去の核活動に関する第二次本格調査を開始した。この調査の過程で、イランが申告していない核物質や活動の存在が疑われる事例が確認された。イラン国内の未申告の施設3か所から核物質が検出され、そのうち2か所(トゥルクザバードおよびヴァラミン)については、イランから技術的に信頼できる説明は最後まで提供されなかった。IAEAはこれらが、2000年代初頭まで続いた未申告の体系的核プログラムの一部であると結論付けている(出所:Arms Control Association)。

ウラン濃縮度について

2025年5月時点でIAEAは、イランが核兵器級に近い60%純度のウランを400kg以上備蓄していると報告した。この量はさらに濃縮すれば複数の核兵器に使用できる量に相当する。

一般的な原子力発電用燃料は4〜5%濃縮ウランで十分であり、研究炉でも20%程度あれば足りる。核兵器には90%以上の濃縮度が必要であり、60%はその中間に位置する。60%濃縮ウランは兵器級には至らないものの、さらに短期間で90%に到達可能であり、核兵器製造の潜在的リスクを示す指標として国際社会は注目していた。

専門家は「民間利用が目的なら4〜5%濃縮ウランを蓄積するはずだが、イランは60%の生産に集中しており、民生需要をはるかに超えている」と指摘している(出所:Institute for Science and International Security)。

2025年6月のIAEA理事会決議と12日間戦争

2025年6月12日、IAEAの理事会は、イランが保障措置協定に違反しているとする決議を採択した。これは2005年以来20年ぶりの措置であった。

2005年の最初の決議は、2002年の秘密核施設の発覚を受けてIAEAが調査を進めた結果として採択されたものである。

その後、イランは国際社会との交渉を経て2015年に核合意(JCPOA)を締結し、査察受け入れと引き換えに制裁緩和を得た。

しかし2018年に米国がJCPOAから一方的に離脱すると、イランは段階的に核活動を拡大・再開し、IAEAへの協力も縮小していった。2025年の決議は、こうした長年の懸念が再び臨界点に達したことを示すものだった。

翌13日にはイスラエル軍がイランに対する先制攻撃を開始し、これが「12日間戦争」の発端となった。攻撃開始時、イスラエルは「イランが数か月以内に核兵器を製造できる段階に近づいている」と警告し、核施設・ミサイル工場・軍指導部を標的とした。

米国は6月22日に参戦し、ナタンズ・フォルドウ・イスファハンの核施設を空爆した。

ただし攻撃の実際の効果については評価が割れており、米国防情報局は「核能力の後退は数か月程度」と見積もった一方、CIA長官は「復旧には数年を要する」と述べた(出所:英国下院図書館調査リポート)。

戦闘は6月24日、停戦をもって終了した。

外交の失敗

米・イランの外交交渉は、12日間戦争の前後を通じて断続的に続けられていた。

オマーンはイランと米国の間で長年にわたり仲介役を担ってきた国であり、両国が直接交渉を避ける局面でも対話の橋渡しをしてきた実績を持つ。

2025年4月にはオマーンの仲介で高官協議が始まり、その後イタリアでの会合も行われた。12日間戦争による中断を経た後も交渉は再開され、今年2月にはジュネーブでの交渉へと発展した。

この交渉では、イランが核爆弾製造に使用できる核物質を保有しないことを前提に、査察の受け入れと核物質管理の透明性向上を軸とした議論が進められていた。オマーンの外相は「歴史的な合意が手の届くところにある」と述べており、外交的解決への期待が高まっていた(出所:Arab Center DC)。

しかしこの外交努力の進展がある中で、攻撃が行われた。

米国・イスラエル側にはレジームチェンジ(体制交代)という戦略的目的が存在した可能性も指摘されており、イランの現政権を弱体化させて地域の安全保障構造に影響を与えることを意図していたとされる。外交努力が続く中での攻撃強行は、国際社会から「軍事圧力優先」の判断として批判を招いた。

専門家はまた、今回の軍事行動が逆に核拡散を促すリスクを孕むと警告する。「核兵器を先に開発すれば米国主導の政権交代を避けられる」というメッセージが他国に送られる可能性があり、北朝鮮などの核開発に影響する恐れがある(出所:Stimson Center)。

懸念は無根拠ではないが

イランの核開発に関する懸念は、長年の観察と査察結果に基づく事実から生じており、無根拠ではない。2002年の秘密核施設の発覚に始まり、未申告の核物質、60%高濃縮ウランの大量備蓄、査察への妨害的対応など、積み重なった事実が国際社会の警戒を高めてきたことは否定できない。

しかし、今回の攻撃開始直前時点で差し迫った核兵器の脅威は存在せず、IAEAも明確にその可能性を否定していた。過去の核兵器研究や高濃縮ウランの備蓄は懸念材料ではあるが、短期的な軍事行動を正当化する根拠としては限定的であり、外交的解決の可能性を損ねるリスクも高かった。

イラン核問題をめぐる主な出来事

1957年 IAEAが国連傘下で設立される

1970年 イランが核兵器不拡散条約(NPT)に署名

1974年 イランがIAEAと保障措置協定を締結

1980年代後半 イランが「AMADプロジェクト」と呼ばれる核兵器開発計画を秘密裏に開始(米国情報機関評価)

2002年8月 亡命組織「イラン抵抗国民評議会(NCRI)」が、ナタンズのウラン濃縮施設とアラクの重水施設の存在をワシントンで暴露。商業衛星写真が存在を確認

2003年 イランがAMADプロジェクトを公式に停止(米国情報機関評価)

2005年 IAEA理事会がイランの保障措置協定違反を認定する第一次決議を採択

2006年 国連安全保障理事会がイランにウラン濃縮停止を要求する決議を採択

2015年 イランとP5+1(米英仏中露+独)が核合意(JCPOA)を締結。査察受け入れと引き換えに制裁緩和

2018年 トランプ米大統領(第一期)がJCPOAから一方的に離脱。イランは段階的に核活動を拡大・再開

同年 IAEAがイランの過去の核活動に関する第二次本格調査を開始

2025年4月 オマーンの仲介で米・イラン高官協議が開始

同年5月 IAEAが、イランの60%高濃縮ウラン備蓄が400kg超に達したと報告

同年6月12日 IAEA理事会がイランの保障措置協定違反を認定する第二次決議を採択(2005年以来20年ぶり)

同年6月13日 イスラエルが先制攻撃を開始。「12日間戦争」の発端となる

同年年6月22日 米国が参戦。ナタンズ・フォルドウ・イスファハンの核施設を空爆

同年6月24日 停戦成立。12日間戦争が終結

今年2月 オマーン仲介のもとジュネーブで米・イラン交渉。外相が「歴史的合意が手の届くところにある」と発言

同年2月28日 米国・イスラエルがイランへの大規模軍事攻撃「エピック・フューリー作戦」を開始。最高指導者ハメネイー師が死亡

同年3月2日 グロッシーIAEA事務局長が記者会見で「イランに核兵器を製造する体系的なプログラムは見当たらない」と明言

同年3月2日 国連安全保障理事会が緊急会合を開催。決議・声明ともに採択されず


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2026年3月14日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。

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