
旧知の青山直篤さんが、『みすず』の「読書アンケート2025」を送ってくれた。で、ぼくは初めて知ったのだが、毎年の同特集が名物だったこのPR誌は2023年8月で休刊になっていたらしい。
なんとも寂しい話だが、有料の年報のような形で、読書アンケート号は存続している(900円+税)。いわば1冊の「本」となり、2段組みかつ201ページの分厚さで、寄稿者の数もすごい。
ほぼ面識のある方ぞろいなのが、ぼくの人徳の高さと低さのどちらを示すのかわからないが、言及してくださった方への御礼を込めて、該当する箇所を集めておく。いずれも強調等はぼくによる。
そして実は、きわめて深刻な文脈でも、ぼくの名前が出てきて心底驚愕している。目次で最後の「佐藤文香さん」(この方だけ面識がない)まで飛んでもいいから、ぜひ、ひとりでも多くの人が目を通して考えてほしい。
青山直篤さん(朝日新聞アメリカ総局員)

・倉田百三『新版 法然と親鸞の信仰』講談社学術文庫、2018年
・山本七平編『内村鑑三文明評論集』全4巻、講談社学術文庫、1977-78年
・與那覇潤『江藤淳と加藤典洋――戦後史を歩きなおす』文藝春秋、2025年私がアメリカに関心を持つのは、この国との関係に自らのありようの根幹を規定されてきた日本と、その進路について考えたいからだ。「トランプのアメリカ」がもたらす世界秩序の変化は、日本にとって危機でもあると同時に、極めて重要な戦略的好機でもある。
私は、日本という文明が内側に持つ強靭さと、世界における価値を疑ったことはない。2025年に読んだこの3冊は、何を守るべきなのか、何を変えるべきなのか、考えるよすがを与えてくれた。
80頁
数字等の表記、段落を改変
原武史さん(思想史)

歴史学者を廃業したと称する評論家による見事な文芸評論であるばかりか、江藤淳と加藤典洋の仕事を受け継いで戦後史を描く試みにもなっている。両者とも最終的に大学教授になったが、それまでに紆余曲折があったことが独自の作品を生み出す母体となった。
著者もまた評論家となるまでにさまざまな体験を経ている。その体験が両者の思想の核心をとらえるのにどれほど重要だったかが伝わってくる。まさにこの著者にしか書けない本だと感じた。
32頁
上野千鶴子さん(社会学)

推薦を頼まれてこう書いた。「戦後批評の正嫡を嗣ぐ者が登場した。文藝評論が政治思想になる日本の最良の伝統が引き継がれた思いである」。著者と対談もした。江藤と加藤が立てた「成熟」の課題は、正統に引き継がれるべきであろう。
あとがきに、本書は「わたしなりのフェミニスト批評の企てでもある」とあるが、その点では物足りない。続編を期待したい。
111頁
國分功一郎さん(哲学)

與那覇潤氏の『江藤淳と加藤典洋――戦後史を歩きなおす』(文藝春秋、2025年)に接し、2025年の日本に対してこの論点を突きつける必要性を感じ取った氏の批評家としての勘には脱帽した。その意味についてはまた機会を改めて論じるつもりであるが、取り急ぎここでは、本書とあわせて、大澤真幸氏の『我々の死者と未来の他者――戦後日本人が失ったもの』(集英社インターナショナル新書、2024年)を読むことをお勧めしたい。
與那覇氏の書籍の帯に上野千鶴子氏が寄せた「戦後批評の正嫡を嗣ぐ者が登場した。文藝評論が政治思想になる日本の最良の伝統が引き継がれた思いである」の一言はこの本と一体化したものとして読まれるべきである。上野氏が江藤淳の『成熟と喪失――”母” の崩壊』(講談社文芸文庫、1993年。原著は1967年刊)に寄せた解説「『成熟と喪失』から三十年」は、上野氏の文藝批評家としての最高傑作の1つであり、そこからこそ與那覇氏のやりたかったことの意味も見えてくる。
139頁
誤記を修正
ここまでは、昨年刊の拙著『江藤淳と加藤典洋』をめぐるコメントだ。が、まったく別の文脈でも、ぼくの名前に言及してくれた方がいる。
noteでの言論活動を採り上げてもらったのだから、本来それもまた “嬉しい” ことのはずだが、さすがにあまりにも由々しき事態すぎて、素朴に「あざーす!」と喜ぶわけにもいかない。
佐藤文香さん(社会学・ジェンダー研究)

私事で恐縮だが、2025年いっぱいですべての所属学会を離れる決断をした。ジェンダー研究業界を席巻しつつある「混乱」に触れるような本を毎年とりあげてきたが、今回は冒頭で書籍以外の紹介を含めることをご容赦いただきたい。
きっかけとなった日本女性学会での顛末は、千田有紀「フェミニズムと自由の危機」『情況』2025年夏号が簡潔にまとめている。オンライン上でも、日本女性学会元代表として幹事有志と共に出した「日本女性学会への声明の背景に対する説明とガバナンスの機能不全について」が読めるし、第三者として與那覇潤が「”学会乗っ取り” の背景」をnoteに書いている。
69-70頁
言及されているnoteは、『江藤と加藤』の刊行と同じ昨年5月に公開した次のものだ。佐藤氏の筆致からは、特定の思想や圧力団体に「学問の自由」を売り渡す学者たちの問題が、その後も解決しなかったことがうかがわれる。

ぼくなりにこの問題はきちんと追及し、同年の『正論』11月号でも記事にして残した。その間、学問の自由のオイシイ看板だけを盗み「うおおお、ガクジュツ・カイーギ!」と叫んでいた面々は、むろんなにもしていない。

ぼく自身は9年ほど前に大学を辞める際、属した学会にも退会届を送ってあるが、こうして見えないところで「学問の自由」を気にかけてきた。それに対して、敬意を払わなかった者がいる。侮辱を重ねてきた者もいる。

当然に “報復” がなされなければならない。すでに日本女性学会の問題についてのnoteを出した際、そう通告し何名かの旧知の学者とは縁を切った。今年出す「専門家批判」の書籍も含めて、徹底的に行ってゆくつもりだ。
2025年を総括する『みすず』への、佐藤文香氏の寄稿はこう結ばれている。「後世から」の視点を問えない者には、研究も批評も語る資格はない。その点にこそ、かつその点だけに、歴史が学問に不可欠となる理由がある。
すべての研究者は、沈黙を含めた行為への責任を必ずや後世から問われることだろう。
71頁
参考記事:



編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年3月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







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