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社長こんなことを考えていませんか?
多くの社長はこう思うだろう。
「コンサルタントが代わりに話してくれれば楽なのに」と。
ではひとつ問いたい。自社のことを自分で語れない社長を、銀行は信頼するだろうか。
多くの財務系コンサルタントはこう言う。「私に任せてくれれば、銀行から融資を引き出せます」と。
もうひとつ問いたい。銀行はコンサルタントにお金を貸すのだろうか。銀行にお金を返すのは誰なのだろうか。そして、借りられれば会社は本当によくなるのだろうか。
これが私が銀行交渉の代行をメインとしない理由である。
しかし、同席はする。
同行ではない——この違いには明確な意味がある。
なぜ同席するのか。対話になっていないからだ。社長が話していることと銀行が聞いていることは、多くの場合、まったく噛み合っていない。私が同席するのは、何がずれているかを双方に伝える通訳としてであって、社長の代わりに説明する存在としてではない。
ニッキンが「対話」と書いた日
3月27日、金融業界専門紙・ニッキンが企業価値担保権特集の最終回を掲載した。タイトルは「変わらぬ対話の大切さ」。読んで、確信した。
記事はAIによるスコアリングの進化を紹介する。Fivotという会社が、財務資料・面談記録・ウェブ情報からAIが定量・定性スコアを算出し稟議書を生成すると紹介した。横浜銀行はコベナンツ管理によるモニタリングを「企業価値担保権付融資の根幹」と位置付け、「コベナンツに抵触した際も、一律に一括返済とはせず、対話によって原因を特定し、救済措置を検討する」と述べた。
制度も、テクノロジーも、確かに進化している。
しかし記事の中で「対話」という言葉は一度も定義されていなかった。
そしてFivotの菅井COOはこう締めた。「結局は信頼関係」と。
誰もが正しいことを言っている。しかし肝心なことが抜けている。
対話とは何か、という問いがない。
二つの独白が、同じ部屋で起きている
私が現場で繰り返し目撃してきたのは、こういう場面だ。
社長は「うちは成長しています」と言う。銀行は「財務数値が示す根拠は何ですか」と返す。社長は「数字には表れていないが、確かな手応えがある」と続ける。銀行は頷きながら、手元のシートに何かを書き込む。
会議は和やかに終わる。しかし、何も伝わっていない。
社長は夢を語り、銀行は指標を追う。二人は同じ部屋にいて、それぞれの孤独の中にいる。これは対話ではない。二つの独白が、同じ部屋で起きているだけだ。
対話が成立するには、三つの条件がいる。
一つ目は、共通の言語だ。「将来性」「事業価値」「成長」——同じ言葉を使っていても、銀行にとってそれは格付けモデルの変数であり、社長にとっては人生を賭けた確信だ。座標系が違う。同じ言葉で、別の世界の話をしている。
二つ目は、自分の認知フィルターを自覚することだ。銀行員は面談前から「この会社はCランク」という先行評価を持っている。その後の社長の言葉はすべて、その評価を確認するデータとして処理される。本人は「傾聴している」と思っている。
三つ目は、権力の非対称を意識的に手放すことだ。融資を判断する側とされる側という関係の中では、社長は「聞いてもらえる言葉」を選んで話す。これは対話ではなく、審査への適応だ。どちらも演じているから、本音の世界が交わることがない。
AIはFivotの事例が示すように、面談記録を処理することができる。しかしAIは「噛み合っていない」という事実を検出できない。コベナンツという銀行側が設定した格子を通じた「対話」は、最初から経営の本質を捨象している。スコアリングが精緻になるほど、その捨象は深くなる。
AIが代替できないのは、計算の精度ではない。計算が成立する前提を作ることだ。
訪問回数を増やしても、何も変わらない
変わるべきは、AIの使い方でも、訪問回数でも、面談の頻度でもない。
日本銀行が金融庁と構築した共同データプラットフォームの分析が、それを証明している。地域銀行の中小企業向け越境貸出において、非メイン行の信用格付けがメイン行より高い債権が全体の13%に上った。大・中堅企業向けの3%と比べて、明確に高い数字だ。
なぜか。訪問頻度が低いからだ——と読むのは表層だ。
地銀関係者はこう振り返っている。「地元であれば当然のように得られる信用情報や社長の評判を、越境融資では拾えないケースが少なくない」と。フィンテック企業幹部はこう指摘する。「久々に出向くと社長が変わっていたり本店が移転していたりするケースも珍しくない」と。
これは訪問回数の問題ではない。何を見るべきかを知っているかどうかの問題だ。
何を見るべきかがわかっていれば、久々の訪問でも変調は掴める。わかっていなければ、毎週訪問しても何も見えない。AIが面談記録をスコア化しても、記録された言葉の背後にある文脈は拾えない。
対話とは、訪問することでも、言葉を交わすことでもない。共通のスタートラインに立てているかを確認する作業だ。
そのスタートラインとは何か。社長が自社の現実と将来を自分の言葉で語れているか。銀行がその言葉を、格付けモデルではなく事業の文脈で受け取れているか。この二つが揃って初めて、対話の土台が生まれる。
そのスタートラインを作れる者だけが、社長の変調を数字になる前に掴むことができる。これが「目利き力」の正体だ。情報処理能力ではなく、対話の土台を作る能力のことだ。
二つのリスクを、社長は知らない
前回(第12回)でこう書いた。日本の社長は、リスクを取りすぎている。個人保証、自宅の担保、家族の連署。リスクの構造を知らないまま、「そういうものだ」と受け入れてきた、と。
今回はもう一つのリスクを加えたい。
多くの社長は、銀行との対話ができていないという事実を知らないまま、対話しているつもりでいる。
会議室で言葉を交わした。銀行員が頷いた。融資が通った。——それを「対話ができた」と思っている。しかし伝わっていない。理解されていない。ただ、審査を通過しただけだ。
前回が無知のリスクなら、今回は対話不在のリスクだ。
どちらも、行動する前に勝負がついている。
ニッキンの記者はこう書いた。「やっぱり不動産担保と経営者保証でしょ」という現場の声が取材先から返ってくる、と。
この言葉は、対話の結果ではない。対話を始める前に既に出ている結論だ。その結論がある限り、どれだけ精緻なAIスコアリングを導入しても、訪問回数を増やしても、現場は変わらない。
銀行が変わるのを待つ必要はない。
自分の言葉で、語れるか
社長への問いはシンプルだ。
自社のことを、自分の言葉で語れるか。なぜ成長しているのか。3年後にどこへ向かうのか。その根拠は何か。それを自分で語れる社長だけが、企業価値担保権という新制度を本当の意味で武器にできる。
コンサルタントに代わりに語らせた瞬間、それは社長の言葉ではなくなる。銀行はコンサルタントにお金を貸すのではない。社長にお金を貸すのだ。返すのも社長だ。
在りようを磨くとは、数字を覚えることでも、話術を磨くことでもない。自分の会社の現実と将来を、自分の言葉で語れる社長になることだ。
第12回でこう締めた。「バックミラーを磨くことに人生を使うな。フロントガラスの向こうを見据え、霧の中を進む覚悟を持て」と。
その覚悟は、対話の土台でもある。
霧の中を見据えている社長の言葉には、銀行員には聞こえる何かがある。格付けモデルには表れない、その何かを受け取れる銀行員だけが、本当の意味での伴走者になれる。
制度が変わるたびに、対話の土台を持つ社長と持たない社長の差は広がる一方だ。
それが、令和を生き抜く経営者の在りようだ。







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