出産育児一時金は100万円にすべきだ:保険診療化より市場原理を

東 徹

保険診療化という選択

政府は出産を公的医療保険の対象にする方向で検討を進めている。出産費用の自己負担を減らし、妊婦の経済的負担を軽減するという趣旨だ。動機は理解できる。しかし、この方向性には重大な問題がある。

保険診療化とは、要するに価格を国が決めるということだ。

診療報酬の点数が適切に設定されれば問題はない。だが日本の診療報酬の歴史を振り返れば、必ずしもそうはならない。精神科の慢性期病棟や療養病床の点数を見れば分かる通り、「とりあえず低め」に設定されたまま放置され、気づいたら施設が立ち行かなくなる、というパターンが繰り返されてきた。

出産も同じ轍を踏む可能性が高い。地方の小規模産院が真っ先に打撃を受けるだろう。産科医師不足が深刻な中で価格の公定化を進めれば、産院の多様性を奪い、競争の芽も摘むことになる。

保険診療化にも公的資金が必要だ。同じ公的資金を投入するなら、より効率的な手段があるのではないか。

50万円給付が生んだ最悪の構造

現在、出産育児一時金として50万円が支給されている。

厚生労働省のデータによれば、2023年度の正常分娩による出産費用の全国平均は約50万6千円(室料差額等を除く)だ。2024年度上半期にはさらに上昇して約51万8千円となっている。

給付額と出産費用がほぼ一致している。これは偶然ではない。

2023年4月に出産育児一時金が42万円から50万円に増額されると、翌月の出産費用は前月比で約1万4千円跳ね上がった。「便乗値上げ」という言葉がメディアにも出たが、経済学的には合理的な動きだ。なぜそうなるのか。妊婦側の価格感度がゼロになるからだ。

「どうせ給付金で賄える」と思えば、妊婦は産院の費用を気にしない。産院の側も、「給付額に合わせて」価格を設定するインセンティブが生まれる。結果として出産育児一時金は実質的に産院への補助金として機能し、妊婦の手元にはほとんど残らない。

実はこれは筆者自身も経験していることだ。子供が三人いるが、当時、出産費用と出産育児一時金を無意識に同一視していた。手元に残るお金を考えたことがなかった。今になって振り返ると、おかしな話だ。しかし当時はそれが自然だった。「どうせ一時金で消える費用」として処理していたのだ。

この感覚が日本中の産婦に共有されているとすれば、50万円という設定は消費者の価格感度を完全に消滅させる、最悪の中途半端な金額だということになる。競争も起きない。施設を選ぶ動機も生まれない。給付金は自動的に産院に吸収される。

100万円にすると何が変わるか

では、出産育児一時金を100万円に引き上げた場合、何が起きるか。

まず、産院が値上げをする可能性はある。しかし、給付額が費用を大きく上回れば、妊婦の手元に「残るお金」が生まれる。産院に60万円払えば40万円手元に残る。産院が値上げして70万円を要求すれば、手元は30万円になる。この差を、妊婦は出産後の育児費用に回したいと考えるだろう。

出産は医療行為だ。同等の医療水準であれば、より安価な選択肢を探す合理的な行動が生まれる。これが競争原理の端緒になる。

仮に産院が大幅に値上げしたとしても、それはそれで問題ではない。産院の収益が上がれば産科への参入インセンティブが高まり、供給が増える。妊婦への支援になるか産院への支援になるか、どちらに転んでも少子化対策・産科維持という政策目標に沿っているのだ。

100万円という数字に特段の根拠があるわけではないが、実態上の意味はある。国内の正常分娩費用が100万円を大幅に超える施設はほぼ存在しない。最も高額な東京都でさえ平均は60万円台だ。100万円は現在の出産費用の実態上限を超える設定であり、「残余が生まれる額」として妥当な水準と考えられる。

この提案の三つの意義

整理すれば、出産育児一時金の100万円への引き上げには次の三点の意義がある。

  1. 産科の維持・拡充支援
    産院に入る資金が安定・拡大することで、経営基盤が強化される。保険診療化による低点数リスクを回避できる点でも、現実的な代替案として機能する。
  2. 市場原理の導入
    妊婦に価格感度が生まれ、施設間競争の萌芽が生じる。厚労省が現在進めている「出産費用の見える化」(出産なび)も、消費者が価格を比較するインセンティブがあって初めて意味を持つ。情報開示と競争はセットだ。
  3. 給付の経済効率
    出産は一度の高額支出であり、消費行動への波及が即時かつ確実に生じる。月次の児童手当を数年間配布するより、経済的インパクトが集中する。

なぜ保険診療化でなく現金給付なのか、という問いへの答えもここにある。保険診療化は価格を均一化し、産院の多様性と競争を失わせる。現金給付は価格を市場に委ねつつ需要を支援する、より自由主義的な手段だ。これはバウチャー理論の応用でもあるが、使途を産院に限定しない分、バウチャーよりも自由度が高い。

想定される反論

  • 「地方では産院を選べない」
    その通りだ。しかし地方で産院が一つしかなければ、それはそれで希少価値として費用を高く設定できる。逆に費用が高すぎれば一定の需要は近隣都市へ流れ、それが地方産院の新規参入を誘導する。市場価格で決まること自体は正当だ。
  • 「高止まりするだけでは」
    高止まりしたとしても、それが市場の評価した価格だ。重要なのは、妊婦に「産院に払うか、育児に回すか」の選択肢が初めて生まれることだ。今はその余地がない。
  • 「所得制限を設けるべき」
    所得制限は行政コストを増加させ、貧困の罠を生む。少子化対策として実施する以上、高所得者であっても出産世帯への支援に経済的根拠はある。一律給付の方がシンプルで効率的だ。
  • 「財源が足りない」
    保険診療化しても公的資金を投入することに変わりはない。その資金を現金給付に振り替えると考えれば、財源論としては同じ土俵の話だ。その上で言えば、出生数約70万人に100万円で年間約7,000億円であり、現在の少子化対策関連予算や児童手当との組み替えで対応できる水準だ。

自由主義的な留保

本稿を締めるにあたり、立場を明示しておく。

筆者は本来、補助金や再分配の拡大に積極的ではない。

少子化対策自体、国家が個人の選択に介入するという点で自由主義的な問題をはらんでいる。

ただ、少子化対策と産科維持を政策目標とする現実を受け入れた場合、どの手段が市場原理と最も整合的かを問うことには意義がある。

その答えとして、保険診療化よりも出産育児一時金の100万円給付の方が筋が良い。中途半端な金額で競争のない補助金漬けを続けるより、給付を十分な水準に引き上げて市場を機能させる方が、同じ公的資金の使い方として合理的だ。

50万円? 保険診療? どちらもケチくさい。

どうせ公的資金を投入するなら、100万円の方がキャンペーン効果もあり、少子化対策としても機能する。

戦力の逐次投入ほど愚かしいことはない。


編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2026年4月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。

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