
「最低限度の生活」とは何か
京都市で単身の生活保護を受けると、月に約11.8万円が支給される。生活扶助が約7.6万円、住宅扶助が最大4.2万円だ。医療費は別途、原則タダである。
さて、これを聞いてどう思うだろうか。
実家を離れて暮らす大学生の仕送りを思い浮かべてほしい。全国平均は月6〜7万円台。もちろん医療費は自己負担だ。
「学生には親という強力なバックがある」と反論したくなるかもしれない。しかし実態はどうか。機能不全家族、DV、縁切り。
精神科の外来をやっていると、実家が「強力なバック」どころか逃げ場にすらなっていない人を日常的に目にする。学生の貧困問題が近年可視化されてきたのも、このあたりに理由がある。
では、生活保護費の水準はどう決まっているのか。
厚生労働省は全国家計構造調査の所得下位10%の消費水準と比較する、という手法をとっている。これが「健康で文化的な最低限度の生活」の根拠とされている。
ところが、これは原理的におかしい。
所得下位10%には何が含まれるか。本来生活保護を受けるべき人、資産を取り崩している高齢者、家族に援助してもらっている人、学生、低年金者……様々な理由で収入が少ない人が混在している。その消費水準を参照して「最低限度」を決めるということは、貧困状態をそのまま追認しているだけだ。
さらに問題がある。仮にその下位10%が生活保護を受けるようになれば、消費水準が底上げされ、次の「下位10%」の基準が上がる。それを参照してまた基準が上がる。いたちごっこだ。
「最低限度の生活」を測るはずの指標が、最低限度以下で暮らしている可能性がある人たちの消費実態を自己参照し続けている。これは外部基準ではなく、制度が自分の尾を追いかけているだけだ。
現物支給は嫌がらせか
「だからこそ、きちんと管理すべきだ。食料や日用品を現物で渡せばいい」という意見がある。
これは一見もっともらしいが、実際には非合理だ。
誰が何を選ぶのか。誰が調達するのか。そこには必ず裁量が生まれ、利権が生まれる。そして決定的な問題として、受給者が「同じものを買う」なら現金と等価、「違うものを買いたい」なら現金の方が厚生水準が高い。現物支給が現金より合理的になるケースは、理論上ほぼ存在しない。
もし安く提供したい現物があるなら、同額の現金を渡せばいい。それでは買えないという人向けには、その現物を売る仕組みを作ればいい。生活保護受給者以外も使えるようにして。そもそもそれが成立するなら、市場にとっくに存在しているはずだ。
バウチャー方式も同じ問題を抱えている。強制集住も同様だ。これらの「管理」志向の政策は、受給者を「信用できない客体」として扱いたいという感情的動機が制度設計に紛れ込んだものだ。合理的根拠は乏しい。
パチンコに使うのは自由、ただし…
「現金を渡したらパチンコやギャンブルに使ってしまう」という反論は根強い。
しかし考えてほしい。最低限の現金の中で何に使うかは、本人の自由だ。それが許されないというなら、パチンコやギャンブル自体の問題として正面から規制を議論すべきで、生活保護制度に持ち込む話ではない。
一方で、生活費を使い果たして本当に困窮してしまうほどなら、話が変わる。それはもはや意志や道徳の問題ではなく、ギャンブル障害・依存症という疾患だ。
精神疾患の診断基準には「生活機能の障害」が含まれており、生活に困ることそのものが診断の根拠になりうる。であれば医療的に介入すべき問題であり、生活扶助の設計とは切り離して考えるべきだ。
福祉制度と医療制度は、混ぜず、それぞれの役割で機能させる。これが原則だ。
モラルハザードの本体
現行制度の最大の欠陥は、「働くと損をする」構造にある。
就労収入が増えると保護費が減る。勤労控除で一定程度は緩和されているが、就労コストを考慮すると低賃金帯では働くことの実質的メリットが薄い。
さらに深刻なのが医療扶助の崖だ。生活保護を脱した瞬間に国保加入・医療費自己負担が発生する。慢性疾患や精神疾患を抱えた人間にとっては、むしろ脱却のインセンティブが消える。
モラルハザードは審査を厳しくすれば防げるものではない。給付水準そのもので設計するしかない。
「給料を上げればいい」論について
よく聞く反論がある。「生活保護費を下げるより、最低賃金を上げて給料を上げるべきだ」というものだ。
しかし生活保護費は最低賃金と連動している。最低賃金を上げれば、原理的に生活保護の基準も上がる。いたちごっこは別の場所でも起きる。
そして最低賃金を強制的に引き上げれば、その賃金に見合う価値を出せない人が職を失い、雇用できなくなった企業や店が潰れる。低賃金でも働きたい人と、低賃金でも雇いたい事業者の双方から選択肢を奪う。最低賃金と生活保護の連動については、別稿で詳しく論じている。

では、どう設計し直すか
以上を踏まえると、改革の方向性はシンプルだ。
受給要件は「資産なし+申請のみ」でよい。就労能力の審査は原則不要だ。デフォルトを「健常」に置き、問題があれば医療的評価へ接続する、という順序にする。生活保護受給者にはケースワーカーによる定期観察があるので、問題が顕在化した時点で医療へつなげばいい。
生活扶助は学生水準に引き下げる。本来は働けばいいだけだからだ。これで「働いた方が必ず手取りが増える」構造が自動的に生まれ、モラルハザードは制度的に抑制される。
住宅扶助は現行の地域別上限方式をそのまま継承する。東京と地方で家賃が違うのは当然で、ここは今と同じ評価でよい。
障害・疾患がある場合は、医療的証明を条件に障害者福祉で上乗せする。精神疾患も通常の手帳・医療要否意見書の手続きで対応できる。
医療扶助は別枠で維持する。ただし現行の「受診すれば0円」という構造は軽症の頻回受診を合理的選択にしており、見直しが必要だ。筆者の案は、月1000円程度の医療扶助を現金で給付し、償還方式の1割自己負担を課すというものだ。軽症受診の抑制と受給者の受療権確保を両立できる。
詳細はこちらを参照してほしい。

就労支援はさらに別枠で対応する。「仕事のためにパソコンが必要」という話は、生活扶助ではなく就労支援の文脈で補助すればいい。
感情論を排し、合理的なセーフティネットへ
資産さえなければ誰でも申請すれば通る。ただし保護費は本当に最低限。障害や疾患があれば別途上乗せ。医療と就労支援は別枠で手厚く。
シンプルで、モラルハザードが構造的に防げて、生存権と医療が一元管理できる。
「最低限度」を自己参照的な相対指標で決め続ける限り、この制度の根拠は永遠に最低限度にも満たないままだ。生活保護に必要なのは、受給者への嫌がらせではない。本当に最低限度の基礎保障と、医療・障害・就労支援を切り分ける制度設計だ。
編集部より:この記事は精神科医である東徹氏のnote 2026年5月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は東徹氏のnoteをご覧ください。







コメント