
1. 「ただ野球ができればいい」という病
多くの中小企業経営者が抱えている病がある。それは「現状維持」という名の、緩やかな死だ。
「借金が返せればいい」「社員に給料が払えればいい」「今の売上が続けばいい」。
一見、謙虚で堅実な言葉に聞こえるが、これは経営における「目的の不在」を告白しているに等しい。
かつて、一人の男がいた。ドラフト3位でロッテオリオンズに入団した、当時25歳の落合博満である。
遅咲きのプロ野球選手として1軍と2軍の間を行き来していた頃、彼には高い打撃技術はあった。しかし「何のために」という明確な意志が、まだそこには欠けていた。
転機は、信子夫人との出会いだ。
彼女が経営するスナックに通う一軍半の落合に、信子夫人はこう言い放った。
「才能のあるアンタが何で年俸360万円なの? 私よりも稼ぎが少ないじゃない! アンタはプロ野球選手として一体何を目指しているの?」
問い質された落合は答えた。「三冠王になりたい」と。
その瞬間から、落合博満という「システム」のOSが書き換えられ始めた。それまで漠然と「野球をする」という低い抽象度にいた彼が、「三冠王を獲って、この人を幸せにする」という、現状の外側にある巨大なゴールを手にした瞬間である。
信子夫人はすぐに数百万円を工面して歯の治療・矯正を受けさせ、食事改善で体重を増やし、落合の打撃を徹底的に支え続けた。その結果、入団4年目・28歳にして日本プロ野球史上最年少での三冠王達成——さらにその後、史上唯一の3度の三冠王という前人未到の記録を打ち立てた。
社長、あなたの事業計画はどうだろうか。銀行に見せるための、前年踏襲の数字の羅列になっていないか。それは「ただ野球ができればいい」と言っていた頃の落合と同じではないか。
目的がなければ、事業計画はただの「記録」に過ぎない。目的があって初めて、計画は「未来を支配する道具」に変わるのである。
2. 目的が「スコトーマ(盲点)」を外す
落合氏が三冠王を目標に掲げた瞬間、彼の脳内で何が起きたか。それまで見えていなかった「配球」「体調管理」「打撃フォームの微細な違和感」が、強烈なリアリティを持って立ち上がってきた。これを認知科学では「スコトーマ(盲点)が外れる」と言う。
経営者も同じだ。高い目的を設定した瞬間に、今まで見過ごしていた「資金繰りの予兆」「社員の認知の歪み」「市場のわずかな変化」が、解くべき課題として可視化される。「課題の設定ができれば、問題は9割解決している」という私の持論は、ここに基づいている。
目的がない社長は、暗闇で目隠しをして走っているようなものだ。「不安だ」と嘆き、税理士に丸投げし、銀行の顔色を伺う。それは課題を設定していないからだ。
落合が「三冠王」という座標を決めたように、あなたが「経営の目的」という座標を定めれば、事業計画に書くべき数字は、もはや「作られた数字」ではなく、到達すべき「必然の通過点」へと変貌する。
3. 「独白」を捨て、「真理」と対話せよ
落合博満という男の凄みは、その「思考の独立性」にある。鈴木忠平氏の著書『嫌われた監督』第10章で、東大出身のプロ野球選手・井手峻はこう証言している。落合が既存の指導法やコーチの言葉を鵜呑みにせず、「どうすればボールを遠くへ飛ばせるか」という物理的な真理と、たった一人で対話し続けていた——その姿に、井手は驚嘆を隠せなかった、と。
多くの社長は、銀行員との面談を「対話」だと思っている。しかし、それは「二つの独白」に過ぎない。社長は「夢」を語り、銀行員は「指標」を追う。互いに自分の認知フィルター越しに相手を見ているだけで、そこには「共通の真理」が存在しない。
落合は、他人の評価(メディアやファン)に一切耳を貸さなかった。彼が対話していたのは、自分のバットと、ピッチャーが投じるボールの軌道だけだった。経営者が事業計画を書く際も、こうあるべきだ。
「世間がこう言っているから」「銀行がこう望んでいるから」というノイズを捨て、自社の事業価値という「真理」とだけ対話する。自社の強みは何か。なぜ顧客は選んでくれるのか。3年後、社会にどんな付加価値を遺すのか。それを「自分の言葉」で語れるようになったとき、初めて銀行員との間に「真の対話」の土台が生まれる。
4. GM職の「失敗」と、構造構築の壁
しかし、落合博満にも限界はあった。それが中日ドラゴンズのGM職での苦闘である。監督として「現場の実装」において最強だった彼も、GMとして「組織の構造(インフラ)」を構築する段階では、多くの摩擦を生んだ。
これは、経営における「ティーチング」と「コーチング」の難しさを象徴している。社長が自分一人で「三冠王(最高売上)」を叩き出すのは、個人の能力(ティーチングの延長)で可能かもしれない。しかし、社員一人ひとりに目的を持たせ、組織全体を「繁栄」へと導くには、GM的な「構造の設計」が必要になる。
落合氏のGM時代が「失敗」と評される一因は、彼があまりにも「個の自立」を求めすぎ、組織としての「共通言語の構築」にリソースを割かなかった(あるいは、その必要性を感じなかった)ことにあるのではないか。
社長、あなたの役割は、現場のトップバッターであると同時に、組織というシステムの設計者(GM)でもある。事業計画を書くということは、単に数字を積み上げることではない。社員たちが、それぞれの「目的」を見出せるような、透明度の高い「構造」を作ることだ。そこに「認知の歪み」があれば、どんなに正しい計画も伝わらない。聞くトレーニング、話すトレーニングを組織に実装しなければ、計画は画餅に帰す。
5. 「死後の評価」に生きる孤独
鈴木忠平氏の著書『嫌われた監督』エピローグで、落合氏はこう漏らしている。
「別に嫌われたっていいさ」
「俺が本当に評価されるのは……俺が死んでからなんだろうな」
これは諦めではない。究極の「自立」だ。他者評価という麻薬から脱却し、自分の立てた「目的(義)」に対してのみ誠実であるという、冷徹なまでの覚悟だ。
他者評価とは、麻薬に似ている。褒められるたびに快感を覚え、やがて同じ量では満足できなくなる。承認を求めて動き回るうちに、いつの間にか「他人の期待に応えること」が目的にすり替わってしまう。
しかし落合のように「死後に評価されればいい」という覚悟を持つ人間は、そもそも他者評価を必要としない。外からの評価に左右されないということは、常に安心の中にいるということだ。それが、どんな逆境でも揺るがない経営者の精神的な土台になる。
経営者は、孤独だ。「義利合一」を貫こうとすれば、短期的には「綺麗事だ」「欲がない」と批判されることもあるだろう。あるいは、不正や馴れ合いを排しようとすれば、落合氏のように「嫌われる」こともある。
しかし、それでいい。あなたの事業計画の評価者は、今目の前にいる銀行員でも、不満を漏らす社員でもない。10年後、20年後——あなたが引退した後も続く会社を継ぐ、次の世代だ。彼らがあなたの仕事を振り返ったとき、「あの時、あの社長が目的を見失わずに、この事業計画を完遂してくれたから、今の私たちの繁栄がある」と言ってくれるかどうか。
結びに:今すぐ、バットを置け
社長、もし今、あなたが資金繰りに窮し、人の問題に悩み、出口の見えない暗闇にいるのなら、一旦、目の前の「作業」を止めてほしい。
そして、問い直してほしい。「私は、何のために、この会社をしているのか」
落合博満が信子夫人と出会い、三冠王という目的を手に入れたように、あなたも自分自身の「義」を再定義することから始めてほしい。その目的が定まったとき、あなたが手にするペンは、もはや単なる事務用品ではない。未来を切り拓き、次の世代へと繁栄を手渡すための、最高級の「バット」になるはずだ。
「死後に評価される」仕事を、今、この瞬間の事業計画に刻み込もう。それこそが、令和を生き抜く経営者の、唯一にして最強の「在りよう」なのだから。







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