会計不正に続いて品質不正:カリスマ永守なきニデックはどこへ行く

ニデックが、会計不正に続いて品質不正の疑いに揺れている。モーター部品などで、顧客の確認を受けない部材・工程・設計変更があった疑いが判明し、試験・検査データの不適切な取り扱いや、生産地の不適切表示も指摘されている。

1000件の品質不正

ロイターによれば、不適切事案の96.7%は顧客確認なしの変更であり、日本経済新聞は品質不正が1000件超に及ぶ見通しと報じている。ニデックは現時点で製品機能や安全性に影響する事象は確認されていないとしているが、製造業にとって品質は信用そのものだ。ここで失った信頼は、簡単には戻らない。

今回の問題が深刻なのは、単なる現場のミスでは済まないからだ。ニデックはすでに会計不正を受け、東証から特別注意銘柄に指定されている。理由は、監査報告書に「意見不表明」が記載され、内部管理体制に改善の必要性が高いと判断されたためである。

つまり同社はすでに「この会社の内部統制は危ない」と警告されていたのに、今度は品質不正である。会計だけでなく製品にも不正が疑われているとなれば、経理部門だけでなく、会社全体に目標達成を最優先し、都合の悪い情報を上に上げない体質があったといわれてもしょうがない。

「すぐやる、必ずやる」の副作用

ニデックといえば、永守重信氏の会社だった。プレハブ小屋から世界的モーターメーカーを育て上げた功績は大きいが、彼は今年年2月、会計不正の責任をとって名誉会長を辞任し、「名実ともにニデックから完全に身を引く」と表明した。

だが、カリスマ経営には光と影がある。「すぐやる、必ずやる、できるまでやる」は、成長期には強力なエンジンだったが、成熟した巨大企業では、それが過剰な業績プレッシャーとなり、現場を追い詰める危険もある。

ロイターは、第三者委員会の報告が、永守氏による利益目標達成への過度な圧力を指摘し、多くの事業部門が目標達成のために会計上の工夫に走ったと報じている。永守氏が不適切会計を直接指示した証拠はないが、一部を容認していたとの結論は避けられない。

現場が語り始めた意味

興味深いのは、品質不正の情報が、旧経営陣の退場後に急増したとされる点だ。もしこれが事実なら、現場は問題を知らなかったのではない。知っていたが言えなかったのである。

これは日本企業でよく見られる不祥事の構図だ。現場は薄々危ないと感じている。中間管理職も問題を把握している。しかし「納期を守れ」「利益を出せ」「できない理由を言うな」という空気の中で、誰もブレーキを踏めなくなる。やがて不正は例外ではなく、現場の「仕事のやり方」になってしまう。

ニデックの危機は、会計不正や品質不正という個別の問題にとどまらない。問われているのは、カリスマの号令で走る会社から、普通のガバナンスで動く会社に変われるかどうかだ。

上場廃止の可能性も

ニデックには時間がない。特別注意銘柄に指定された企業は、内部管理体制の改善を求められる。日本経済新聞も、適切に整備されていなければ上場廃止となる可能性に触れている。今回の品質不正により、会計だけでなく品質管理、内部通報、取締役会の監督機能まで含めた再建が必要になった。

6月の株主総会では、海外投資家やアクティビストから厳しい追及を受けるだろう。ここで問われるのは、美しい再発防止策の作文ではない。都合の悪い事実をどこまで開示するか。誰が責任を取るのか。現場が本当にものを言える会社になるのか。その具体策である。

「ポスト永守」は創業者離れから始まる

創業者のカリスマで大きくなった会社は、いつか必ず「普通の会社」になる宿命がある。普通の会社とは、凡庸な会社という意味ではない。個人の突破力ではなく、制度、監査、取締役会、現場の声、顧客との約束で動く会社という意味だ。

カリスマ永守なきニデックはどこへ行くのか。答えは二つしかない。ひとつは永守時代の成功体験を捨てきれず、「数字のためなら多少の無理は仕方ない」という企業体質を温存する道である。その先にあるのは、信頼の喪失と上場廃止リスクだ。

もうひとつは今回の不正を最後の膿出しとし、創業者依存から脱却する道である。ニデックが本当に世界企業として生き残るには、「永守氏がいたから強い会社」ではなく、「永守氏がいなくても信頼される会社」にならなければならない。

PIVOTの「案件動画」に問題はなかったのか

動画メディアPIVOTは、2023年9月に永守重信氏へのトップ経営者インタビューを行い、その後、ニデックの「案件動画」を多数制作した。これはニデックから数百万円の広告料を取って制作したものだが、ジャーナリズムとして取材しないで一面的にPRしたPIVOTに責任はないのか。

特に問題なのは、編集コンテンツと「案件動画」の境界が曖昧なことだ。ドキュメンタリー風の番組は、視聴者に「学び」や「経営の知見」として受け取られやすい。そこにスポンサー案件が混ざれば、企業広告でありながら報道や評論のように見える危うさがある。

ニデックが問われているのはカリスマ経営の負の遺産だが、PIVOTが問われているのは、その神話を動画メディアで増幅した責任だ。みずからの編集姿勢を検証するとともに、広告は広告と明示する必要がある。

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