日本の歴史は「天皇を縦糸とする2000年のつづれ織り」だったのか

安倍晋三氏が皇国史観について熱く語っている動画を見て、これが今度の奇妙な養子案に自民党(特に麻生氏)がこだわる原因だろうと思った。

安倍氏は「2000年の伝統」が男系天皇で続いてきたという皇国史観を語るが、それは「合理主義ではない」と認めている。つまり史実ではないが、天皇を信じることで日本人はまとまってきた。天皇は2000年の歴史のつづれ織りをつなぐ縦糸のようなもので、それが抜けるとバラバラになってしまうという。

明治以降の伝統を古来の伝統と混同する保守派

このように明治以降の伝統を日本古来の伝統と混同するのが、日本の保守派の特徴である。「男系の皇統」は古来の伝統ではなく、明治憲法とともに天皇を絶対君主として神格化するために井上毅の発明した軍国主義のイデオロギーだった。

公平にみると、植民地支配の脅威に直面した日本が近代戦に勝ち抜くために富国強兵を進めたことは正しかった。江戸時代のバラバラの幕藩体制では、とても近代戦を戦えなかった。

国に命を捧げるには、個人の生命を超えた価値を信じる必要がある。それはヨーロッパではキリスト教だったが、日本にはそういう価値観がなかった。伊藤博文は天皇を「機軸」にして国民を統合しようと考えた。

このときも福沢諭吉や大隈重信はイギリス型の議院内閣制の憲法を提案したが、井上はこうした立憲派を追放し、天皇を絶対君主とする明治憲法を起草した。これは主権者たる天皇に実質的な決定権がないという矛盾を抱えており、それが後の暴走につながる。

日本の歴史は何度も切れている

つまり「歴史のつづれ織り」は1本の縦糸でつむがれてきたのではなく、明治の前で切れているのだ。天皇に関していえば、世襲になった継体天皇とそれ以前の豪族政権で切れている。南北朝でも切れている。政治の実権という点では、12世紀に武士に実権が移ったとき切れている。

その中で「男系」が縦糸だった歴史もない。『日本書紀』が中国の皇帝を模倣するために「天皇」という言葉をつくり、過去に遡及して男中心の神話を書いただけだ。それも一つの伝統ではあるので、麻生氏がそういう美意識をもつのは自由だが、政府が神話をもとに立法する神権政治は、近代国家にはありえない。

これを機会に、日本の伝統とは何かを考えてみるのも意味があろう。それは中国の皇帝とはおよそ正反対の地縁集団(家)の連合体だった。その中の紛争は話し合いで解決し、外との紛争は取引で解決する。「家」を支える原理は血統ではなく能力主義だったので、長男が無能なときは婿をとるのは当たり前だった。

こうした日本の伝統についての見方は、歴史学ではほぼ常識になっているが、高校までの教科書には書いてない。今度の騒ぎをきっかけに、日本の伝統とは何かを考えてみるのもいいのではないか。拙著『平和の遺伝子』は、こういう問題をまとめたものだ。

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コメント

  1. 早川蒼真 より:

    記事の指摘は鋭い。
    しかし、記事の中心にある「『男系の皇統』は古来の伝統ではなく、井上毅が発明した軍国主義のイデオロギーだった」という断定については、率直に申し上げて、承服しかねます。

    ここで一番大切なのは、二つのことを混同してはいけない、という点です。

    一つ目は、「男系男子に限定する近代の法律」です。これは明治にできたものです。二つ目は、「父方の血筋をたどる男系継承が、歴史上どれくらい実際にあったか」という事実です。

    この二つは、まったく別の話です。前者が明治の産物だからといって、後者まで「明治の発明」になるわけではありません。ここを一つにまとめてしまうと、議論が大きく飛躍してしまいます。

    では、本当に「男系は井上毅の発明」だと言えるのでしょうか。それを確かめる方法は、実はとてもはっきりしています。初代から第126代までの天皇を、一人ずつ並べて、「男系である」「男系でない(女系など)」「(史料が古すぎて)よく分からない」の三つに仕分けた一覧表をつくればよいのです。「男系は発明だ」と強く主張するなら、まずこの表を示すのが筋ではないでしょうか。

    仮にこの表をつくった結果、「男系はせいぜい全体の6割で、残りの4割は女系や、血筋のまったく違う人物だった」となれば、「男系という考えは後からつくられた」という主張にも、確かに勝機が出てきます。しかし、たとえば「弥生土器の時代のことはよく分からない」といった古代の不確実さを差し引いて、126人中100人が男系で残りが不明、というような結果になるならば――つまり「男系が8割以上」であれば、「男系は明治の発明だ」という命題は、もはや成り立ちません。明治に発明されたものが、どうして明治より前の歴代天皇の系譜に、ずっと記録されているのでしょうか。

    井上毅が起草の場で行ったのは、それまで慣習として受け継がれてきた男系継承の原則を、近代国家の「成文法」として書き起こしたことです。それは「明文化」であって、「無からの発明」や「捏造」とは違います。歴史が明治によって歪められたというより、歴史の大原則が明治の法典に受け継がれた、と見るほうが自然だと思います。

    記事は、政治の実権が何度も移ったことを根拠に「縦糸など存在しない」とされます。しかし、ここで問われているのは「政治的実権の連続性」ではなく、「血統としての男系継承の連続性」です。実権が藤原氏や武士に移っても、皇位そのものが男系で受け継がれてきたかどうかは、別の問題です。この二つを一つにまとめて「だから縦糸はない」と結論づけるのは、論点のすり替えに見えてしまいます。継体天皇にしても、応神天皇の五世孫として男系でつながるという伝承の上で即位したのであり、これは当時の人々が血統の連続性を重んじていたことの、むしろ証拠だと思います。

    また、記事にある「家を支える原理は血統ではなく能力主義で、長男が無能なら婿をとるのが当たり前だった」という指摘についてです。確かに皇室にも、人物の評価が分かれる天皇はいました。たとえば

     ★第57代の陽成天皇は、9歳で即位し17歳で退位しましたが、宮中での乱行や粗暴なふるまいが伝えられています。
     ★第63代の冷泉天皇も、病弱であったことや奇行の伝承が語ら在位は967年から969年までの約2年でした。

     一般の武家や商家の「家」についてはその通りだとしても、それを皇位の継承原理にそのまま当てはめるのは乱暴だと感じます。

    もちろん、私も「2000年ずっとまったく同じ形で続いた」という単純な言い方には注意が必要だと考えています。神武天皇から欠史八代あたりを、近代的な意味での完全な史実として扱うのは慎重であるべきです。継体天皇以前の系譜や、南北朝の正統性をめぐる問題も、簡単に片づく話ではありません。だからこそ、古代の不確実な部分は「不明」として正直に扱えばよいのです。それでもなお相当数が男系で説明できるのであれば、結論は「男系という伝統は確かに存在した。ただし、それを近代に男系男子限定の法律として固定したのが明治だ」となるはずです。これは「男系そのものが明治の発明」という主張とは、まったく違います。

    繰り返しになりますが、私が一番申し上げたいのは、この一点です。「男系は井上毅の発明だ」と主張されるなら、まず126代の天皇それぞれについて、男系・非男系・不明の別を一覧として公表していただきたい、ということです。これは決して無理な注文ではなく、自分の説のための、最低限の作業のはずです。

    失礼を承知で申し上げれば、その検証を抜きにして「井上毅の発明である」と言い切ってしまうのは、証拠を出さずに「河童を見た」「一つ目小僧に出会った」と語るオカルトと同じレベルに思えてしまいます。「歴史学ではほぼ常識だ」とおっしゃるのであれば、なおさら、その常識を支えるデータを示していただきたいのです。

    養子案や、女系・女性天皇をめぐる議論にも、いろいろな立場があってよいでしょう。
    だからこそ、その議論の出発点となる事実認識だけは、印象論やレッテル貼りではなく、データに基づいたものであってほしいのです。

    ぜひ、池田先生の豊かな知見をもって、歴代天皇126人の男系・非男系・不明の一覧をお示しいただき、より深みのある議論につなげていただければと願っております。