
ある人が「臨床人文主義」というジャンルを提唱するのを聞いて、なるほどなぁと思った。狭い意味の医学書ではなく、(主にメンタルの)ケアや治療から見える知見を鍵に、人間社会の本質を探究する著述を指すものだ。
そんな提案が出るのも、自然科学が暴走し人文的な価値を踏みにじるのを黙って見ていながら、「もう売れた本が “人文主義” だぜうおおおお!」と叫ぶ、あさましい空気が業界にあるからだろう。ほとほと呆れた話である。

平成の終わり(2018年)に当事者研究の形で、メンタルの体験から「時代の病」をどう捉えるかを論じたぼくも、まぁ臨床人文主義のハシリなのかもしれない。実際に令和に入ってからも、そんな診断を続けてきている。

秋に出す『なぜ「まちがえた」と言えないのか』でも、視聴者が正誤を問わず専門家の断言を “絶対視” してしまう、コロナ禍以来の現象を、依存症として捉える観点から掘り下げている。
どんな風に臨床の知をそこで使うかは、これまでもチラ見せしてきた。

発売中の『表現者クライテリオン』7月号に対談(後編)が載っている、カウンセラーの信田さよ子さんは1970年代、まさに依存症の臨床からキャリアを始めた人だ。そこでうかがった体験は今日、とても示唆が深い。
戦後の日本は “平和” な社会で、もちろんそれはいいことなのだが、結果として「心と社会」の捉え方にも、固有のバイアスを生んだ面がある。
信田 70年代初頭に私が精神科の病院でアルコール依存症の患者さんから聞かされた話の多くが満州での従軍体験だったんです。今から思えば、彼らの飲酒の背景に戦争トラウマがあったことの証左だったのですが、当時はまったく思いが及びませんでした。……1958年に誕生した断酒会の理念にも、「戦争の影響」などは一切見当たりません。
(中 略)
アルコール依存症の背景は働き過ぎだとされ、戦争のせの字もなかったんです。昨年は戦後80年という区切りの年で、戦争から帰ってきた男性たちの子供世代の人たちの証言によって、戦争トラウマの悲惨さが初めて注目されましたよね。それを考えると、なぜ60年代の断酒会に一切戦争の影がなかったのか、すごく興味深いです。與那覇 過去の戦争に触れるのは「タブー」な上に、将来も戦争は「しない」ことが前提になっていた。いちばん人の心を病ませるのは戦争なのに、その体験から隔離された状況で、戦後日本の心理学は形成されたと。まさに箱庭的というのか……。
信田 そうです。あれはやはり異様でしたね。戦争に対して無菌室のような状態だったと思います。
129-130頁
表記を改め、強調を付与
思い出すのもつらいトラウマなので、本人が記憶を無意識へと押し込み「忘れたことにする」メカニズムが抑圧だが、個人でなく学問ぐるみ・社会ぐるみでそれが起きることは、現にある。
対談でも議論するとおり、アメリカでは60~70年代のベトナム戦争を通じて、精神医学でPTSDの概念が練り上げられ、1980年には正式な病名に採用される。つまり歴史と現在、社会と心は、切り離されていない。
ところが日本は平和だったぶん、誰もが体験したはずの戦争を「いま」の症状とは切り離し、過去(のトラウマ)が現在を支配するという視点に気づくのが遅れた。歴史の忘却はその意味で、戦後の最初の日から始まっていた。
日本で「PTSD元年」と呼ばれるのは、戦後50年でもあった1995年である。同年1月の阪神・淡路大震災により、被災者の心のケアが注目を集めたためだが、そこにも秘かな盲点があった。
たとえば河合隼雄は、同年11月に行った村上春樹との有名な対談で、「ぼくははじめから予言していたんですが、PTSDは欧米などにくらべると少ないです」(25-6頁)と言っている。なぜか。
河合 日本人の場合は〔トラウマの〕衝撃を個人で受け止めなくて、全体で受け止めているのですよ。だから、家庭内でブツブツけんかしたりとか、そういう形で出るのですね。ところが、そのなかのだれかが神経症的な症状をはっきりと露呈するということは少ないのです。
これはぼくははじめはちょっと喜んでいたのですが、プラス・マイナスの両方考えられるのですね。症状を出してくる人が少ないということは、つまりそれをがっちり一人で受け止めて悩む力がないという言い方もできるのです。
(中 略)
日本は集団というか、場のレスポンシビリティー〔責任〕ですからね。だから、神戸に地震が起こったということを、なんとなく神戸全体で受け止めているのです。ところが、欧米人の場合はあくまで個人のレスポンシビリティーですから、それをまたグッと受け止めて辛くなった人はノイローゼになってしまったりするんですね。
新潮文庫、26-7・29-30頁
個人として自分の人生を生きている人は、戦争や天災など “どうにもならないもの” でそれを破壊されると、猛烈に傷ついて病気になる。それに比べたとき、苦しいのは「みんな一緒じゃん?」で乗り切るやり方が、必ずしも悪いとは言えない。
ところが場や集団でトラウマを受けとめると、「あの家は誰も戦死してないぞ!」「なぜアイツらだけ補償を貰う?」のように、最底辺の不幸に全員を合わせようとする同調圧力が沸き起こる。昭和も令和も、変わらない。

いちばん醜悪なのは、オイシイものは “個人” でいただき、ネガティブな話は “みんな” になすりつけていいトコどりを目論む輩だ。「衆愚」とはそんな人の謂いだが、いまや有識者も同様である。
バズりそうなあいだは「見て見て俺のこの概念!」してたのに、炎上に転じるや「あくまでふわっとした空気の話で、誰もそんな主張はしてません」と手のひらを返すのは典型だ。さしずめ “令和人文主義しぐさ” とも言える。

そんな時代を、どうまともに戻すか。
そもそも「まともさ」は、なんらかの「おかしさ」との対で、初めて定義される。つまり人間の本質に照らした、健康と病の選り分けが欠かせない。
だからホンモノの人文主義を育てるのは急務であり、「臨床」こそが最大の切り口になる。専門家依存の病を診る『なぜ「まちがえた」と言えないのか』は、まさに嚆矢をめざすので、期待して待ってくれたら嬉しい。
参考記事:対談の前編は1つめを



(ヘッダーは、ザラブ星人が化けたニセモノと戦う有名なシーン。テレビマガジンより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年6月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。







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