へんてこなタイトルでも申し訳ないです。以前からすごく気になっていたテーマで一度、これについて皆様のご意見を頂戴したいと思っていたことです。
KY(空気読めない)は場の雰囲気をつかめていないことを言いまず。LINEがメッセージの既読システムを取り入れたのち、相手が読んでくれない状態を未読スルー、それに返事をくれないことを既読スルーと言ったりします。女子高生あたりから火がつく傾向なのですが、なぜ、相手のメッセージに反応する必要があるか、といえばそれが暗黙のルールだからでしょう。それができなければKYとなるわけです。

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10代の子にしてみれば相手にLINEしたのに返事どころか、既読にすらならない、ならば私のことは何とも思っていないのだ、という意識に繋がるのはよくわかります。それが時としていじめにも発展するので、いつ何処でもスマホは離せなくなります。そしてトイレにいる時でも、誰かと会話している時もメッセージが入ればあらゆることを中断して最優先にメッセージの返信に勤しむのでしょう。
この世代の人たちが社会人になると少し変わってきます。それは「失敗しない生き方」であります。自分が恥ずかしい思いをしたくない余り、知識武装するのです。オタクのような深掘りをする方もいますが、大抵は生活情報全般の一般的知識を広く薄く習得しようと必死になるわけです。その為にネットで様々な「お勉強」をします。流行のファッション、人気グループのメンバー情報、トレンディーなレストラン、知っておくべき楽曲…これらの知識の情報源はネットに掲載された記事だけではなく、そのコメント欄や点数がその判定の基準になります。そして「どうやってこの店、選んだの?」と聞けば「ネットのコメの評価が高かったの」であり、この店の評価は高いのだ、という先入観もあり満足できる、という流れであります。
この傾向は特に女性にみられるのですが、それはこだわりと共にオールラウンドに一定の知識を持っていることで社会に同化し、失敗しないという意識なのかもしれません。もちろん、全員に当てはまるわけではないし、男性にもその傾向はあります。就活の際、男女ともに見事に紺色のスーツを着るのはその好例でしょう。
何故、そのような社会トレンドが生まれたのでしょうか?一つには社会の変化スピードが早くなる中、LINEなどSNSで繋がっている仲間からの情報において自分だけ知らなくて取り残されないための生きる術ではないか、という気がするのです。
お前はこの傾向をどう感じているのか、と言われると無知な人が少なくなる一定の底上げ効果はある一方、薄く平べったく、一皮むけば何も知らなかったというタイプの方が増える点は懸念材料かもしれません。この分野については絶対にひとに負けない知識や能力を磨くというより、「そこそこ」で上手く泳ぎ切るほうが今の社会にはウケが良いように感じます。
以前の私なら「それは違うよ」と言ったかもしれませんが、最近はその傾向に抗おうとするには無理があると感じています。社会のトレンドが明らかに変わった、そのトレンドを逆走するのは難しいどころか、下手をしたら社会的バッシングを受けることを様々な事件とその社会的反応から感じ取ったのです。
とすれば日本についていえば社会への順応性が極めて高くなるとも言えます。他を寄せ付けない民族的な強固な集団の形成とも言えるかもしれません。その根源はやはり日本が持つ伝統や歴史がそうさせるのだろうと考えます。私のように北米にいると多民族国家ゆえに絶対的常識観は日本とはだいぶ違うのですが、日本のトレンドにはそれなりの意味があると考えています。
ではこのような社会形成のもと、日本は世界の中でアウトスタンディングになれるのか、と聞かれたらこれも最近、自らの考えを少し変化させたのですが、アウトスタンディングになる必要がそもそもないのかもしれません。報道のトーンはGDPが世界何位に下がったとか、教育レベルがどうだとか、貧困の数や実質賃金の世界比較などあらゆるものが比較社会となっていますが、ランク社会ではなく、内面の幸福度という尺度で生きる限り他国と比べる必要はなく、日本人が社会の中で失敗しない生き方をするのが美徳である、という方向性にあるのかもしれません。
場の空気をよく読みながら社会が一定のまとまりをもつ日本は優れており、それが多くの方に身についているがゆえに多くの方は失敗しない人生を送られているのでしょう。海外にいるからこそ、それを強く感じるのであります。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2026年6月26日の記事より転載させていただきました。






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