
戦後という時代も80年を越え、高市政権が “脱・戦後” へと爆走しているのを、誰もが知っている。だが問題は、走った果てにどこまで行くかだ。
あまり意識されないが、日本の戦後と180度逆の軌跡を歩んできた国は、イスラエルである。ぼく自身、最初に気づいて発言したのは、昨年の参院選のころに細谷雄一さんと共演した際だった。

確認するまでもないが、日本は憲法を押しつけてくれる(?)くらい、民主化に熱心なアメリカの庇護の下で新たな国を作り、1952年に独立を果たす。このとき隣国はものすごい戦争のさなかだったが、基本は知らんふりだ。
逆にイスラエルは、すでに内戦状態に近かったパレスチナの統治をイギリスが放り出して、1948年に独立を宣言し、その翌日から(周辺国全部が攻めてきて)いきなり戦争である。国のかたちが逆を向かない方がおかしい。
イスラエルが秘密裏に核武装し、軍事大国化を完了したのは1968年ごろと見られる。一方で日本は同じころから、集団的自衛権の「行使は違憲」の解釈を定着させ、いわゆる “一国平和主義” の国是を確かなものにしていく。
篠田英朗氏の有名な『集団的自衛権の思想史』を引きつつ、例によってなんでも書いてある本でも描いたように、

ベトナム戦争に「巻き込まれる」ことへの懸念が革新勢力を高揚させていたこの時期、佐藤栄作政権は内閣法制局(高辻正己長官)と協働して、むしろあらゆる集団的自衛権の「行使自体が違憲」とする憲法解釈へ舵を切ってゆきます。
米軍基地から北ベトナムへの爆撃機が日々発進中だった沖縄の返還を見越して(72年に実現)、「日本の参戦は絶対にあり得ない」と国民に確約するための措置でしたが、そのことは必然的に、石原〔慎太郎〕さんを自民党でも最右翼の「異端」へと追いやってゆきました。
そうして参入した昭和の国政で揉まれ、一度は傷つき敗れ去ったはずの身体が、平成なかばの都政にふたたび召喚された。こうして「患者」が甦る一方で、逆に言語の使い手たる「分析医」のほうが自死に至ってゆく。
178頁(強調と改行を追加)
最後の段落は、1999年の4月に石原慎太郎が都知事になり、7月に江藤淳が自殺したことを指しているが、ここで始まった戦後には「異端だったものの主流化」の果てに、いまの高市政権がある。

戦後の日本人は自国の軍事的な強権化を不安視し、国連はじめ多国間での調停に期待するが、イスラエルはまるで逆である。自国の軍事力だけを頼みにし、国際法も国際機関も一切信じない。
集団的自衛権の問題が示すとおり、戦後日本の平和主義とは「アメリカの戦争に巻き込まれない」ことだが、イスラエルが平和と見なすのは「自国の戦争にアメリカを巻き込んで」、彼らにとっての脅威を除去することだ。

高市首相が自衛隊派兵に前のめりだったとする報道の、真偽が確定するのはまだ先だろうが、「うおおおッ、”脱・戦後” するには俺たちのSANAE!」な世相を放置して、行くところまで行けば日本だってイスラエルになる。
そんな噂まで飛ぶ宰相がバカなのかは(たぶんそうだけど)、問題の本質じゃない。戦後を転覆しようとする「異端」のエネルギーがコントロールを失い、逆の極端にぶち当たり大破するまで、止まれない時代の構造こそが最大の罠なのだ。

…と、戦後史の視野で語り下ろす番組が、ニュースの争点のYouTubeに上がっている。事態の本質をえぐるためにこそ、違う角度の分析を採り上げてくれるのは貴重で、このご時世ありがたい。
なんせ文藝評論家を自称しつつ、専門外のことは「TVに出てる人を信じるしかありません」と勝手に白旗を上げる例まであるのが、令和である。特に後半では、そうではない「戦後という教養」の豊かさを伝えているので、ぜひ見てほしい。

動画で訴えるのみではない。前にも紹介した『公明』7月号のインタビューでも、同じ観点から中道改革連合に直接、アドバイスを送っている。
タイトルは、まさに「”原理主義を抑える” 中道政治の本懐をいまこそ」。

ウクライナに戦車や戦闘機を送れば、日ロ関係は断交同然となり、ロシア産の原油やLNG(液化天然ガス)を輸入する道が断たれた可能性もある。そうならなかったのは、戦後の平和主義が武器輸出を禁じてきたが故の「ビギナーズ・ラック」でしょう。
その恩恵を中東発の石油危機のいま受けているのに、「左の平和主義はやめるのが右の仕事」と思い込むのは、保守政治でもなんでもない。冷戦が終わり複雑化した国際情勢には適合しない、かつての左右のロールプレイ(役割演技)を、無自覚に続けるだけの「ゾンビ戦後」の政治です。
(中 略)
もし集団的自衛権をフルスペック化していたら、トランプ大統領から事前に打診が来て、爆撃に加わってくれと言われたかもしれない。日米同盟を尊重しつつ、そうした日本が「イスラエル化」する未来には、はっきりノーを言う。中道がその姿を見せるのを、多くの人が待っています。
『公明』2026年7月号、23-4・28頁
絶対護憲の主張のように「戦後のままでいるべき」という立場もあるし、それはそれでいい。だがもっと重要なのは、たとえ “脱・戦後” が必要でも、イスラエルまで行ったらあかんやろという感覚にこそ、広範なコンセンサスがあることだ。
最左派のれいわ新選組が反イスラエルなのは有名だし、極右と呼ばれがちな参政党も、イラン戦争に関しては支持しないと明言してきた。「日本をイスラエルにするな」こそが、野党がまとまれる最大の結節点なのだ。

そうした大きな航海図を与えてくれるのが、目の前の速報に一喜一憂せず、(相対的にはそれでも短いが)戦後という時間軸を採って現在を捉え返すことで生まれる、歴史というものの意義だ。
その道を進むなら、”脱・戦後” の針路を適切に調整できる。なんなら極限まで暴走する政権を、民意に基づき交代させることも可能になる。

逆に、SNSでイラッと来た “違う立場” すべてに当り散らし、「うおおおッ、アイツをキャンセルする俺ら意識タッカー!」するだけの面々がまとわりつくかぎり、野党やリベラルは歴史のゴミ箱に向けてまっしぐらに進む。

さぁ、いま、どちらを選ぶか。
もちろん答えは、はっきりしている。すでに正解は出ており、ずっと誤答を続けた戦犯が、自らのメンツで「まちがってないかもしれない」と引責を繰り延ばしているだけだ。彼らの損切りが間にあうか、時間との競争である。
参考記事:


(ヘッダーは1948年、第1次中東戦争に向け訓練するイスラエルの民兵。Googleより)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年7月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください







コメント
記事の指摘は鋭い。
しかしながら戦争が「国のかたち」や「戦後という物語」をめぐるイデオロギー対立だけで起きるのではなく、**超戦略物質の争奪という、もっと即物的な力学**によって引き起こされてきた、という歴史の実態です。
歴史を振り返れば明らかです。硝石をめぐるチリと南米諸国の太平洋戦争(1879-83年)、スウェーデン鉄鉱石の輸送路ナルヴィク港をめぐるドイツのノルウェー侵攻(1940年)、石油輸送の生命線たるスエズ運河をめぐるスエズ危機(1956年)、チラン海峡の封鎖が開戦事由となった第三次中東戦争(1967年)、シャットゥルアラブ水路と油田をめぐるイラン・イラク戦争、そして石油そのものを狙った湾岸戦争——これらはいずれも、体制の左右やイデオロギーとは無関係に、「その物質・輸送路を止められたら国家として立ち行かない」という切迫感から起きています。與那覇さん自身がスエズ危機を引いているのは、まさにこの構図を無意識に踏まえているからではないでしょうか。
そして、現代における同種の物質は、間違いなくTSMCが担う先端半導体です。あの微細なチップは、スマホやPCだけでなく、AI、データセンター、自動車、医療機器、防衛装備、金融システムまでを制御している。硝石や石油をはるかに超える「これを止められたら国が死ぬ」物質になっている。台湾海峡・バシー海峡・マラッカ海峡は、かつてのスエズ運河やチラン海峡そのものです。
**台湾半導体が止まる事態は、世界経済の心臓に手をかけられるようなものだ。その危機感を持たずに「イスラエル化反対」だけを唱えても、現実の安全保障論にはならない**と思います。もし世界のどこかがこの供給を本気で止めようとすれば、200カ国のどの国であっても軍事的選択肢に手を伸ばしかねない。これは好戦論ではなく、資源と物流に依存するすべての近代国家に共通する冷たい構造です。
だからこそ、「半導体が止まるくらいで戦争なんて大げさだ」「中道平和の姿勢を保てば平和は維持できる」という見方は、あまりにナイーブな平時思想だと言わざるを得ません。日本のリーダーがバカか賢いか、右か左かという内政の議論だけでは、この渦に対応できない。
いま本当に問われるべきは、TSMC半導体に代表される超戦略物質のサプライチェーンを中国の手に渡さないか。そして日本の命脈を握るシーレーンが封鎖されたとき、具体的にどうやって国民の生命と経済を守るのか、という「物質と輸送路のリアリズム」に基づいた生存戦略です。
超戦略物質を巡る危機は、平和を願う言葉だけでは回避できません。それらを直視した上で、国家生存戦略を議論することこそが、今を生きる私たちの責任です。