今回の皇室典範騒ぎでは姿を隠していたが、ようやく本格派の皇国史観が出てきた。左翼の心情倫理は平和憲法だが、右翼の心情倫理は明治憲法である。小堀氏はそれを語り継ぐ数少ない戦中世代である。
【正論】皇族の養子縁組容認案に寄せて 東京大学名誉教授・小堀桂一郎 https://t.co/HPe5AtXLNf
— 産経ニュース (@Sankei_news) March 21, 2022
明治憲法は「立憲主義」だった
和辻哲郎は、明治憲法は世界に誇るべき立憲主義であり、それが守られていれば、敗戦に至る失敗は起こらなかったという。「幕府的」な大政翼賛会や軍部が、天皇に代表される「国民の総意」をゆがめたのだ。
和辻は戦時中には時局迎合的な日本主義をとなえて軍国主義のイデオローグになったが、戦後は戦前の著書を絶版にし、象徴天皇制を擁護した。小堀氏は和辻の考え方を敷衍し、日本人を統合するのはGHQに押しつけられた国民主権ではなく、明治憲法の立憲主義だという。
これは間違いではない。立憲主義は国家権力の濫用を排し、法にもとづいて統治するという意味で、明治憲法はこの意味では立憲主義だった。美濃部達吉は戦後、新憲法の制定に反対し、「明治憲法を正しく運用すれば戦争は起こらなかった」と主張した。
ミカドは日本人の「集合的無意識」
小堀氏は、明治憲法は鎌倉時代までの天皇中心の「国体」に戻ったのだという。つまり「幕府」ができてから700年近く、神武天皇以来の日本の伝統が失われてきたという話だが、これは無理がある。幕府というのは儒教の概念で、当時は使われていない。
ただ天皇に実権がなくなったというのは正しい。政治の世界で「天皇」という言葉が使われるようになったのは明治以降であり、「万世一系」は岩倉具視の造語である。小堀氏の執着する「男系の皇統」は明治の皇室典範で、井上毅の発明した造語である。
明治の日本人を統合したのが、天皇への敬意だったことは確かだろう。江戸時代の日本には国民という意識がなく、民衆は天皇という言葉も聞いたことがなかったが、武士は儒教を勉強して天皇の存在を知っていた。それが明治維新というクーデタの大義名分になった。
天皇を国を統合する機軸として、国民を戦争に動員しようと考えた伊藤博文のねらいは図に当たった。天皇は儒教の輸入品だが、和辻もいったように日本人の集合的無意識に合致したのかもしれない。同時代の中国は軍閥に分断されて「国家」という言葉さえなく、近代化に大きく遅れをとった。
和辻の「日本主義」は軍国主義になった
しかし明治憲法には、致命的な欠陥があった。当時、福沢諭吉や大隈重信はイギリス型の議院内閣制を提案していたが、井上毅は彼らを政府から追放し、プロイセン型の絶対君主制の憲法を起草した。明治憲法には「内閣」という言葉さえなく、国家の中枢機能が空白になったのだ。
建て前としては万世一系の天皇が政府も軍も指揮するのだが、実際にはそんなことは不可能なので、薩長の「元老」が合議で内閣総理大臣を決めた。首相には法的正統性がないため、軍部が「統帥権の独立」と称して暴走すると、コントロールできなくなった。皇国史観も軍国主義に変質し、和辻も東亜協同体などを宣伝した。
戦後の新憲法はその反省に立って天皇から政治的実権を奪い、「国民統合の象徴」という名目的な君主にした。それは和辻も指摘したように、天皇を儒教的な専制君主から日本の伝統である受動的な君主に回帰させたのだ。
だから象徴天皇は、新憲法の立憲主義のコアである。それは古代のオオキミに通じる日本の伝統だが、男系男子とは何の関係もない。扱いを誤ると今回のように政治が介入し、軍国主義に利用される。その危険を証明したのも和辻だった。







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