欧州鉄鋼業が悲鳴:カーボンプライスが招く脱工業化は日本への警告だ

Liudmila Chernetska/iStock

EU-ETS見直しを求める欧州鉄鋼業

EUの気候変動対策の中で、産業の排出削減を進めるフラグシップ政策であった排出権取引制度(EU-ETS)に対して、欧州産業界からその抜本的な見直しを求める声が上がってきた。2050年の脱炭素に向けて拙速に進められてきた気候変動政策と現実経済の間の衝突が顕在化している中で、いよいよ企業経営を圧迫し始めているからである。

去る6月17日には、欧州鉄鋼産業の雄であるアルセロール・ミッタル・ヨーロッパ、ティッセン・クルップ・スチール、フェスト・アルピネの3社の最高経営責任者・会長が連名で、EU-ETS制度の見直しを求める行動声明文を公開した※1)。この3社の生産量を合計するとヨーロッパ域内鉄鋼生産の約6割を占めており、実質的に欧州鉄鋼業の立場を代表した声明とみなすことができる。

これは7月半ばにも欧州委員会が発表するとされ、内々に検討が進められているEU-ETSの改定案に向けて、鉄鋼産業の危機感を露わにして政策にブレーキを踏むことを求めたものである。

無償配賦縮小が鉄鋼業を直撃

声明では冒頭で、EU-ETSの緊急かつ現実的な改革なしに現行の政策を続けると、欧州の産業基盤が破壊される懸念があると厳しい警告を発したうえで、3社はいずれも脱炭素化にコミットしているものの、欧州の(気候変動)政策体系は、鉄鋼生産プロセスの転換を妨害するのではなく可能とするものでなければならないと強調している。

その背景にあるのは、今年から始まった現行のEU-ETS制度下での排出枠無償配賦量の段階的削減である。

EU-ETSでは今年2026年から、鉄鋼などの多排出、かつ国際競争にさらされている産業に対して、従来100%手当されてきた排出枠の無償配賦(つまり炭素価格を払わずにベンチマーク水準の排出権をもらえる)の比率が段階的に縮小され、2026年には97.5%にカット、つまり必要排出枠の2.5%分を有償調達して炭素価格を負担しなければならなくなり、以後27年95%、28年89.1%、29年77.5%、30年52.5%、31年39%、32年26.5%、33年14%と無償枠が加速度的に減らされていき、8年後の2034年には無償配賦ゼロとなって、生産を維持するためにはそれに必要なCO2排出枠を全量、市場からオークションで購入しなければならなくなる(逆に言えばEU域内産業が完全な炭素価格に晒されるのは2034年からと読むこともできるのだが…)。

この炭素価格の段階的なコスト負担増は、目下のところ現実的・経済的な削減手段がない鉄鋼業にとって、コスト負担増ないしは生産縮小を迫るものであり、ただでさえ世界的な過剰鉄鋼生産能力による競争激化と国際紛争によるエネルギーコスト高騰によって収益力を落としている中で、到底耐えられないだけでなく、将来導入される低炭素技術へのプロセス転換への巨額の投資体力を奪うものになるというのが今回の声明の主張である。

3社によるとEU-ETSは、欧州の電力部門の49%排出削減(2005~2023年)には貢献したものの(註:その結果域内電力料金の上昇を招いた)、エネルギー多消費の鉄鋼のような産業に対しては、実行可能な排出削減の道筋を提供できていないという。経済的な脱炭素化を可能とする鍵となる要因、例えば競争力ある電力価格手ごろな価格のグリーン水素炭素価格補償制度(CCfD)CCSインフラ低炭素鉄の先行市場創出は、いずれも未だに未熟であるか大規模な整備・供給が見込めていない

2030年代に生産コスト50%上昇の懸念

こうした状況下で現行のEU-ETS制度に従って無償配賦の縮小を始めると、EU域内の鉄鋼生産コストは2030年代上旬までに50%も上昇してしまうことになるという。

海外で同様の炭素価格負担を課されていない鋼材を使った製品の輸入への懸念があり、一方でEUから輸出される鋼材が負担する炭素価格のリベートがないという状況下で、こうしたETS対応コストの上昇がおきれば、欧州鉄鋼産業とそのバリューチェーン全体に甚大な影響をもたらすことになると、本声明は警笛をならしている。

3社の試算によると、ETSの改革がなければEUは域内の鉄鋼集約度の高い製造業(註:鋼材のみならずそれを使った自動車や機械製品を指していると思われる)の生産は30~40%も縮小し、関連雇用もバリューチェーン全体で最大500万人も失われることになるという。

これは「欧州域内の製造業をGDPの20%に引き上げ、厳しさを増す国際競争の中で欧州の経済的なレジリエンスを高める」ことを目指して、先に欧州委員会が提案した産業加速法案(IAA)の政策目標と真逆の結果をもたらすことになると強く警告している。

3社が求める現実的なETS改革

声明を発表した3社はともに、欧州の気候目標自体は支持しており脱炭素を希求していると断ったうえで、その実現にはETS制度を産業の移行(Transformation)の実情を反映して適合させる必要があるとし、以下の点を共同で要請している:

  • ETSコスト上昇の一時停止:経済的に実現可能な脱炭素化を実現する主要な要因が揃うまで、現状のコスト水準を維持すること。(註:フェスト・アルピネ社のアイベンシュタイナーCEOは「無償配賦の縮小は移行段階に必要な経営資源を奪っている」と明言している。)
  • ファーストムーバー(先行者)を支援し早期脱炭素化を確信をもって進められるような枠組みを整備:ETSからの政府収入を産業脱炭素化に充てて、トランジションを加速するための財源を確保すること。
  • 輸入・輸出に対するバランスの取れたアプローチ:現状システムがもたらす意図せざる結末に対して対処すること。

この観点から見ると、今年から導入されたCBAM(輸入品にEUと同等の炭素価格を課す炭素国境調整措置)と、去る6月末に決定されたEUの輸入鋼材の関税割り当て制度は、いずれも公平な競争環境確保にむけての重要な一歩だが、声明で3社が求めているETS改革こそがEUが脱炭素と強力な産業基盤の維持を両立させるパズルの最後のピースになるということが強調されている。

脱炭素政策の理想と産業現場の現実

排出削減のための有効な量産技術も、それを経済的に実装していく周辺環境も整っていない鉄鋼のような多排出産業にとっては、炭素価格によるコスト負担を即刻課し始め、それを段階的に強化して今からたった8年後の2034年にフルコストを課すという現行のEU-ETS制度のスケジュール感は、確かに産業のトランジションの実態を反映しておらず、かえって研究開発やプロセス転換に投じるべき経営資源を奪う結果を招くだけだ、というのが声明を発表した3社の切なる本音であろう。

こうした理想主義ともいえる非現実的な政策が実行されてしまっている背景には、もともとEUが掲げている気候目標の野心度が非現実的なまでに高いことに加え、EUの政策当局とそれを実施決定する欧州政治の関係者の世界では、厳しい罰則を課せば企業は本気でそれに対処するための技術開発を加速して、負担を回避するはずだという「技術楽観論(願う技術はたちまち実用化する)+企業性悪説(尻を叩かないと腰を上げない)」が認識されているのかもしれない。

しかし鉄鋼に限らず化学・セメント・アルミその他多くの多排出素材産業では、経済的に量産可能な脱炭素プロセスを確立したセクターは未だ存在していないのが現実である。

実用的な解決策もない中で高い目標を掲げて拙速に削減義務を課し、達成できなければペナルティを課金するというEU-ETSのネガティブ・インセンティブの仕組みは、かえって企業を疲弊させ、域内産業の衰退と脱工業化(産業の海外移転)を招くことになるだろう。この夏から欧州で始まるであろうEU-ETSの改革に向けた議論の行く末を注視していく必要がある。

ちなみに今年から本格施行された日本のGX-ETSにおいても、この欧州で起きている混乱と悲劇は他山の石としてよくよくフォロー・分析して、同じ過ちを繰り返さないように必要な調整や不断の見直しを行っていくことが肝要である。

※1)ArcelorMittal, thyssenkrupp Steel and voestalpine call for pragmatic ETS reform, to secure the competitiveness of European steelmaking and help to accelerate decarbonisation

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