
テーマを問わず、歴史を描く上でいちばん大事なのは、時代を “臨床” することだ。書きはじめに、この頃は「だいたいこんな時代だ」という見立てを適切にできるかが、叙述の説得力を決める。
で、実はそのコツは、歴史学者に習っても教えてもらえない。博士号(笑)まで持ってるぼくが言うんだから、まちがいない。だから短いジッショー・ブームが終わったいま、彼らの主張は社会で見向きもされなくなった。

じゃあどこで身につけるかというと、「うまいなぁ」と思う見立てを自分で見つけて、真似てみるしかないのである。たとえばいま、こんな会話に接すると、ぼくはすごく食指が動く。
A 経済成長がストップしたみたいなもので、戦後の復興で知識人がワーッと出てくるみたいなことが、いわば頭打ちになって、戸惑って、突っ張っているだけではもはやカッコいいポーズがとれない。
B 突っ張っているのはカッコ悪い。つまりカッコいい、カッコ悪いという精神構造が出てきている時代なんですよ。
A だから、前向きの、一直線に進んでいく精神構造がぶっ壊れてしまって、前向きだけだとカッコ悪くなっていく。
B もう一つは、挫折して前髪をかき上げるのが、これまたカッコ悪くなっているんですね。
A 既成のパターンが全部あきられて、通用しなくなった時代。
B いまあるのは、すべてを笑いのめすということでしょう。
講談社、232-3頁
(単行本版のみ。強調を付与)
いつ頃の、どんな人の会話かわかるだろうか?
最後の1文は、令和でよく聞く “冷笑系” ってやつだろう。逆に冒頭にいう戦後の知識人を、この前までの「うおおおっ、セン・モン・カーッ!!」に当てはめれば、彼らをもう信じない今日の世相にますます近づく。
正解は、Aは1977年に『僕って何』で芥川賞を受けた三田誠広、Bは同年に群像新人文学賞(評論)を受賞した中島梓だ。翌78年9月刊の中島の著書『文学の輪郭』に、ボーナストラックのように収録されている。
有名な話だが、中島梓は作家の栗本薫が、”批評家” として書く際のペンネームだった。で、栗本名義では同じ78年の6月に『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞を受け、エンタメ作家としてデビューする。これぞ人文主義である。

乱歩賞受賞式での本人とご両親
こちらのサイトより
よく知られるように、1972年のあさま山荘事件を機に学生運動の季節が終わり、同年に歓呼の中で首相になった田中角栄も、”積極財政” が大インフレを招いて翌年には人気を失う。高度経済成長が止まるのもこのときだ。
三田(A)が述べるそんな時代に、中島/栗本(B)が「挫折して前髪をかき上げる」のもダサがられる、つまり失敗を深刻に受けとめる仕草すら、メディアから排除される空気を指摘した点が、令和のいま、とても重く響く。

右と左のどちらの道を「うおおお!」で進んでも、行き詰まる。そんな1970年代に現在の原型があることは、ぼくも色んな本に書いたけど、それが挫折を認め、傷つき、内省することまで抑圧していた点は、自覚不足だった。
この中島/栗本の直感が「すごいな」と思うのは、対談の翌年である1979年に登場する作家を予見しているからだ。村上春樹のデビュー作がまさに本人の傷つきを、わざと “深刻ぶらずに” 書かれていることはよく知られる。

ちょくちょく書いてるように、ぼくらが(世界中で)抱える課題のほとんどは、この時期に始まっている。たとえばイランが現在のイスラム体制になったのは、まさに1979年のことだ。
だから当時書かれた、優れた同時代への “臨床” が、今日の問題を解く上で役に立つ。逆に、それらに目を瞑ってごまかすと、ロクな結果が待ってない。事前の練習なしでいきなりムーンサルトを跳べば、大ケガするだけだ。

本書では何度も、平成に生じた変化が1970年以降の「後期戦後」の系譜を引くこと、それを見落とすときに改革は躓き、浅薄な失敗に終わってきたことを述べてきました。
拙著、486頁
なんでも書いてある本で描いたように「平成の改革で学者がワーッと」出てきて転んだのと同じく、「令和の危機で専門家がワーッと」出てきても、失敗した。そして挫折の真摯な反省は、今回もダサがられて、誰もしない。
そうして過去をふり返らない理由の言い訳も「既成のパターン」になり、あの頃と違って “いまはこれがある” と、強弁するのが定番だ。要は、
平成「うおおお、昭和にはインターネットがなかったけど俺たちにはある、だから違う!」
令和「うおおお、 平成には生成AIがなかったけど俺たちにはある、だから違う!」
みたく煽る詐欺師にダマされて、”意識高く” 大コケする人が多い。後にはそんなイタさの「すべてを笑いのめす」、ニヒリズムが残るだけである。

が、そんな時代の出口を、歴史家は知っている。
ちょうど逆をやればいいのだ。原点の時代に比べて “なにがいまはない” のか、それを丁寧に腑分けし、自らの先輩から、虚心に学ぶことである。
発売中の『潮』8月号で連載「平成の回廊」も、ようやく4回目。今回は趣向を変えて、創価学会で主任副会長を務める池田博正氏に、1970年に前後する空気を訊いた。むろん当時会長だった、池田大作の長男である。
実は『グイン・サーガ』も読んでないぼくが突然、中島梓とか言い出したのも、博正氏と栗本薫が同い年なことに気づいたのがきっかけだ。だけど『ぼくらの時代』は前から読んでいたから、このときすごく役に立った。
連載の冒頭は以下から、登録すれば全文も無料で読めるが、同書と関わる箇所をこっそり抜き書きしておく。生きる時代を “臨床” する切り口としての歴史を、実感してもらえたらとても嬉しい。
ロックバンドをめぐる青春ミステリーの『ぼくらの時代』は、大江健三郎の『われらの時代』(1959年)を踏まえた命名である。
いまや若者どうしでも、政治に情熱を傾け「われら」と名乗りを上げる強い連帯感は持ちえない。メディアが仕掛けるブームを媒介に、かろうじてつながる世代の感覚を象徴するのが、「ぼくら」。
(中 略)
どこへ向かうかわからないエネルギーの奔流を、無理にふたたび呼び覚ますのでも、逆に用済みの遺物としてあしらうのでもなく、静かに抑え、飼いならすことができた時代。
中道と呼ばれる政治の安定には、そうしたセンスが不可欠になる。
『潮』2026年8月号、86・90頁
(表記と段落を改変)
P.S.
なんと、(たぶん)学会員の人が記事をVTuber化していた! 団体ひとつに留まらず、”時代の変容” が主題なことを捉えてくださり、ありがたい。
参考記事:


(ヘッダーはAmazonで拾った! 当時の帯)
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2026年7月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください







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