AIの未来を最も強く信じた投資家が、AI株の暴落によって退場を迫られた。元OpenAI研究者レオポルド・アッシェンブレンナーが率いるヘッジファンド、Situational Awareness(SA)は、約160億ドルの上場株ポートフォリオの大部分をCitadelに売却した。

AIに強気なのにAI株に逆張り
SAのポートフォリオは7月だけで67%下落した。借金を使ってポジションを膨らませていたため、株価下落で追加担保を求められ、保有株を維持できなくなったのである。アッシェンブレンナーは投資家に対し、「恒久的な資本毀損に近づきすぎた」「今月、われわれは皆さんを失望させた」と認め、最終的にレバレッジをすべて解消した。(Reuters)
これは単なる若いファンドマネジャーの失敗ではない。7月に起きたAI・半導体関連株の世界的な下落では、約3兆ドルの時価総額が失われたとされる。CitadelがSAのポートフォリオを一括して買い取ったことは、投げ売りの連鎖を止め、市場を一時的に安定させたとも報じられている。(FT)
逆にいえば、一つのヘッジファンドの強制売却が、世界のAI株市場全体を揺さぶるほど巨大になっていたのである。SAの崩壊は、AIバブルが金融システムの内部でどれほど膨張していたかを示す「最初の亀裂」と受け止められている。
「知能爆発」でインフラ需要が激増する
アッシェンブレンナーが注目されたきっかけは、2024年に発表した長大な論文”Situational Awareness: The Decade Ahead“だった。彼はAIの計算能力とアルゴリズムの進歩が続けば、2027年ごろには汎用人工知能(AGI)が実現し、その後はAI自身が研究開発を加速させる「知能爆発」が起きると予測した。
そのためには巨大なデータセンター、GPU、発電所、送電網が必要になる。AIは単なるソフトウェアではなく、数兆ドル規模の設備投資を伴う国家的プロジェクトになるというのが彼の見立てだった。
だが、そのファンドは単純にエヌビディアなどの代表的なAI株を買っていたわけではない。SECへの提出資料では、エヌビディア、AMD、ブロードコム、オラクル、半導体ETFなどを空売りする一方、データセンター、電力、メモリー、暗号資産マイニングなど、AIインフラ周辺の銘柄を集中的に買っていた。(SEC)
つまり、AIブームそのものには強気だが、「すでに高くなった主役株は売り、まだ評価されていない周辺株を買う」という逆張りだった。AI革命は起きる。しかし、その利益を得るのは現在の巨大企業ではなく、電力やデータセンターを提供する第二列、第三列の企業だと考えたのだ。
この相対取引は、AI株全体が上昇している間は大きな利益を生んだ。SAの運用成績は2026年前半だけで439%に達したと報じられている。だがこの異常な収益率は、優れた銘柄選択だけによるものではなかった。ウォール街の銀行から巨額の資金を借り、レバレッジをかけてポジションを拡大していたからである。
「周辺株から崩れる」というバブルの兆候
バブルが崩壊するとき、最初に売られるのは最も優良な企業ではない。最初に崩れるのは、流動性が低く、借金が多く、将来の成長物語だけで高い株価が正当化されている周辺企業である。
SAが買っていたAIインフラ株は、まさにこの条件に当てはまった。AI向けの電力需要や計算需要が長期的に伸びるとしても、データセンター建設には巨額の資金が必要になる。売上高が伸びても、設備投資と利払いによって現金は残らない。
さらに安価で高性能な中国製AIモデルが登場すれば、同じ性能を実現するために必要なGPUや電力が減る可能性もある。AIの性能向上が、必ずしもAIインフラ企業の利益拡大を意味するわけではない。
7月の世界的な半導体株売りは、AI需要が消滅したからではなく、投資家が「これだけの設備投資を回収できるのか」と疑い始めたことによって起きた。市場ではAI企業の収益性、債務、巨額投資の回収可能性への懸念が強まっている。(WSJ)
値下がりが値下がりを呼ぶ「取り付け」
SAの崩壊が市場を驚かせた最大の理由は、損失額そのものではない。株価下落が強制売却を生み、その強制売却がさらなる株価下落を生むという、金融危機特有の循環が発生したことである。アッシェンブレンナーは、この状況を銀行の取り付けにたとえた。
保有株が下がると、銀行から追加担保を求められる。現金を用意するために株を売ると、さらに株価が下がる。ポジションが市場に知られているため、空売り投資家も売りを重ねる。その結果、企業の業績とは無関係に、資金繰りの都合だけで資産を処分しなければならなくなる。
SAはポジションが急速に逆行し、市場の流動性が消えたため、リスク管理が困難になったと投資家に説明している。これはAI株市場が「将来の成長を買う市場」から、誰が先に逃げるかを競う市場に変わったことを示している。
Citadelによる一括買収で売却圧力は一時的に弱まり、関連銘柄は反発した。これはAI企業の業績が突然改善したからではなく、最大級の売り主体が消えたと市場が判断したからである。株価を動かしていたのはAI技術ではなく、ファンドの資金繰りだった。
AI版の「ミニ金融危機」
今回の事件だけで、AIバブルが完全に崩壊したと断定することはできない。SAは7月に67%下落したものの、年初来ではなお約80%のプラスだった。未上場のAnthropic株なども保有し続けており、ファンドが清算されたわけではない。(Reuters)
Microsoftなど一部の大手企業は、AI投資がクラウド事業の成長につながっていることも示している。Citadelによる買収と大手企業の好決算によって、市場はいったん落ち着きを取り戻した。
これは「AIの終わり」ではないが、バブル崩壊は通常、ある日突然すべてが終わるわけではない。最初に一部のレバレッジ投資家が破綻する。次に、銀行が融資基準を厳しくする。
資金を調達できなくなった企業が設備投資を縮小し、受注を前提に成長してきた周辺企業の業績が悪化する。そして、株価下落が実体経済の悪化を生み、その悪化がさらに株価を下げる。SAの事件は、その第一段階に見える。
SAだけが巨額のレバレッジをかけてAI株を買ったわけではない。ヘッジファンドのデリバティブ、銀行からの借り入れ、未上場企業への投資、データセンター事業者の設備投資契約は、通常の株式保有報告だけでは全体像が見えない。
SAの処理にGoldman Sachs、JPMorgan、Bank of America、Citigroupなど複数の大手金融機関が関与したことは、AI取引がすでにウォール街の金融システムと深く結び付いていることを示す。同じようなポジションが他のファンドにも積み上がっていれば、次の下落時にはCitadelがすべてを買い取ってくれるとは限らない。
AIバブルは技術ではなく金融から崩れる
AIバブルが崩壊するとしても、その原因は「AIが役に立たなかった」ことではない。AIは今後も進歩し、社会や企業活動を大きく変える。問題は、その未来を先取りするために、あまりにも多くの資金が、あまりにも高い価格で、あまりにも大きな借金を使って投じられたことである。
AI投資が生み出す利益より、データセンター建設費、半導体購入費、電力費、利払い費の方が大きければ、どれほど優れた技術でも株主価値は生まれない。
SAは、AIの未来を見通したことで成功したが、その未来が短期間で株価に織り込まれすぎたことと、そこに集まった金融レバレッジを見落としたことで崩壊した。
Situational Awarenessとは状況認識という意味である。アッシェンブレンナーには、AI技術についての状況認識はあったかもしれないが、自分のファンドが銀行融資、流動性、投資家の群集心理にどれほど依存しているかについての状況認識はなかった。
今回の事件はAIバブル崩壊そのものではないかもしれないが、AIブームが技術革新だけではなく、巨額の借金と投機資金によって支えられていたことを市場が初めて認識した瞬間だった。







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