日本の夏は鎮魂の季節:「遺骨混じりの土砂を使うな」と進まない遺骨収集

「遺骨の混じった土砂を辺野古の埋め立てに使うな」。その主張を聞くたび、私は一つの疑問を抱く。それほど遺骨を大切に思うなら、なぜ拾いに行かないのか。

私はかつて、沖縄で遺骨収集に参加した。沖縄の土に残るのは、全国から動員された兵士だけではない。地上戦に巻き込まれた住民、学徒、子ども、高齢者の遺骨もある。遺骨は政治運動の象徴ではない。一人一人の人間である。

8月の日本は死者を語る

8月は嫌いではない。むしろ夏は好きだ。

青い空、強い日差し、花火、海、甲子園。日本の夏には、どこか浮き立つものがある。

しかし、テレビをつけると空気が変わる。広島、長崎、終戦の日、そして日航機墜落事故。日本の8月は、夏の明るさと国家的な鎮魂が同居する季節である。

毎年、「二度と戦争を繰り返してはならない」と語られる。

では、戦争で亡くなり、いまなお土の中に残された人々について、私たちはどれほど考えてきただろうか。

厚生労働省によれば、沖縄・硫黄島を含む海外戦没者は約240万人。2026年3月末時点でも、未収容の遺骨は約112万柱にのぼる。そのうち約30万柱は沈没艦船にあり、約23万柱は相手国・地域の事情で収容困難とされる。これらを除く約59万柱を中心に、国は調査と収集を進めている。

戦後80年を過ぎても、戦争はまだ土の中に残っている。

私が沖縄で遺骨を探した理由

沖縄に多数の未収集遺骨が眠っていることは、以前から知っていた。

沖縄だけではない。南の島にも、北の凍てつく大地にも、日本軍が戦ったあらゆる場所に、帰ることのできなかった遺骨がある。

米軍は、戦死者であっても可能な限り祖国へ戻そうとする。米国や米軍の行為をすべて肯定するつもりはない。それでも、死んでも仲間を見捨てないという姿勢は評価に値する。

では、日本はどうか。

遠い南洋の島でも、旧ソ連の大地でもない。国内の沖縄で、それも住宅地から遠くない場所で、いまなお遺骨が発見される。

この国は、戦争で死んだ人々を本当に迎えに行ってきたのか。

私は遺族ではない。一般人が遺骨収集に参加する方法を調べ、当初はJYMA日本青年遺骨収集団への参加を考えた。しかし、学生主体で派遣期間も長く、サラリーマンの身では難しかった。

【公式】JYMA日本青年遺骨収集団
特定非営利活動法人 JYMA日本青年遺骨収集団は発足して以来「慰霊」と「伝承」の二大使命のもと、旧戦地における遺骨収容活動をはじめ、平和交流事業・災害ボランティア・戦史検定事業など活動の範囲を広げ、多くの方に戦争と平和を考える機会を創出し続...

その後、国家の実力組織に籍を置き、しばらく遺骨収集から離れた。

転機となったのは、アルピニストの野口健氏が沖縄で遺骨収集を行っていると知ったことだった。再び情報を集め、たどり着いたのが金光教である。

遺骨調査・収集|ブログ
遺骨調査・収集に関連する記事ですブログ正論9月号「戦後80年特集」月刊誌「正論」にて。内容は活動を行ってきました遺骨収集含め書いてみました。トータル4ページとなります。 ...産経新聞【話の肖像画】7産経新聞【話の肖像画】7が掲載されました...

金光教は信徒以外にも参加の門戸を開き、沖縄で長年にわたって遺骨収集奉仕活動を続けていた。私は那覇教会に申し込み、実際に参加した。

金光教の大規模な沖縄遺骨収集活動は、2016年の第43回で一区切りとなった。活動は42年間続き、最後の大規模収集には県内外から約160人が参加したと報じられている。

沖縄戦収骨42年で幕 金光教、国事業実施に期待
摩文仁の海岸に近い崖下で遺骨収集作業をする参加者ら=20日、糸満市摩文仁  【糸満】毎年この時期に糸満市や八重瀬町などで戦没者の遺骨収集を行っている第43回金光教沖縄遺骨収集奉仕活動が20日、糸満市摩文仁で行われ、県内外

土を掘り、骨片を探す。

そこにあったのは、教科書の中の戦争でも、テレビの中の反戦運動でもない。戦争が終わった後も終わっていない現実だった。

沖縄の土に眠るのは兵士だけではない

沖縄戦は、しばしば「本土防衛のために沖縄が捨て石にされた戦争」と説明される。

日本軍が米軍を沖縄に長く拘束し、本土決戦の準備時間を稼ごうとした側面は否定できない。沖縄県民が苛烈な地上戦に巻き込まれ、甚大な犠牲を強いられたことも事実である。

しかし、「本土が沖縄を一方的に捨てた」という一言だけで、沖縄戦の全体を説明できるだろうか。

沖縄は日本本土攻略の足掛かりとなる地政学的要衝だった。米軍にとっても、沖縄を占領し、航空・海軍基地として利用することには大きな軍事的意味があった。沖縄は単なる辺境だったから戦場になったのではない。戦略的に重要だったから、あれほど苛烈な戦場になったのである。

摩文仁を歩けば、単純な「沖縄対本土」という構図では捉えられなくなる。

そこには全国各地の慰霊塔や碑が並ぶ。故郷から招集され、沖縄へ送られ、帰ることのできなかった兵士たちを慰霊するものだ。「平和の礎」に刻まれた沖縄県外出身者は、2026年6月時点で7万8365人に達する。

慰霊塔・碑(平和祈念財団管理分) - 沖縄県営平和祈念公園
各都道府県慰霊塔・碑一覧  公益財団法人沖縄県平和祈念財団では46都道府県の塔を清掃管理しています。色で各慰霊塔・碑の所在地を示しています。 ■緑色=糸満市摩文仁■青色=糸満市米須■茶色=糸満市真栄里■スミレ色=八重瀬町続きを読む

しかし、沖縄の土に残る遺骨は兵士だけではない。

沖縄県の公式資料では、沖縄戦による住民の死者は約9万4000人とされ、子どもや高齢者を含む多数の非戦闘員が犠牲になった。

米軍の砲爆撃、日本軍による住民殺害や壕追い出し、食料不足、集団死。沖縄戦は軍人と民間人を分ける境界そのものが崩壊した戦場だった。沖縄県も、一般住民の犠牲が極めて大きかったことを沖縄戦の特徴としている。

遺骨収集は軍人だけを祖国へ返す作業ではない。

住民、学徒、子ども、高齢者を含む、名前を失った一人一人を人間として取り戻す作業である。

「遺骨混じりの土砂を使うな」だけでよいのか

沖縄本島南部の土砂を、辺野古の埋め立てに使うことへの反対運動では、戦没者の遺骨が前面に掲げられてきた。

遺骨が残る可能性のある場所を十分に調査せず、土砂を海へ投入することへの懸念には理由がある。

だが、私は一つの疑問を抱く。

それほど遺骨を大切に思うなら、なぜ拾いに行かないのか。

遺骨を守るとは、プラカードに「遺骨混じりの土砂を使うな」と書くことではない。土の中から探し出し、記録し、鑑定し、可能であれば遺族のもとへ返すことである。

さらに、遺骨が混じる可能性そのものを理由に土砂の採取や使用に反対するなら、その原則は辺野古だけでなく、道路、港湾、空港、造成、民間開発などにも等しく適用されなければならない。

一方、「戦争で亡くなった人の遺骨を、新たな軍事基地の材料にしてはならない」という主張なら、それは遺骨保護一般ではなく、軍事基地への使用を特別に問題視する政治的・倫理的主張である。

どちらなのかを明確にすべきだ。

辺野古のときだけ遺骨を前面に掲げ、他の工事や、遺骨収集そのものの停滞には同じ熱量を示さないのであれば、遺骨を守ることが目的なのか、基地反対のために遺骨を利用しているのかという疑問が生じる。

遺骨は、辺野古反対運動のために存在するのではない。

そこに遺骨があると言うなら、まず拾いに行くべきだ。

国の責務が一部局の事業に押し込められている

遺骨収集は、宗教団体やボランティアの善意だけに任せてよい仕事ではない。

2016年に成立した戦没者遺骨収集推進法は、遺骨収集を国の責務として位置付けた。集中実施期間は2029年度まで延長されている。

だが、国家事業としての扱いは小さい。

2025年度予算で「遺骨収集事業等の推進」は33億円。2026年度予算案でも、硫黄島、海外、沖縄などを含む遺骨収集事業全体は約25億円規模であり、鑑定や関連事業を加えても限られた予算である。

未収容約112万柱という規模に対して、国家的最優先事業と呼べるだろうか。

所管は厚生労働省社会・援護局である。

現場の職員や関係者の努力を否定するつもりはない。相手国との調整、埋葬地の特定、DNA鑑定、遺族の高齢化、沈没艦船など、困難な条件がある。

それでも、戦没者を迎えに行く仕事が、厚労省の一部局の一事業として扱われている現状には違和感がある。

法律では国の責務としながら、実際には遺族、宗教団体、民間団体、ボランティア、現場職員の使命感に依存する。

これは善意依存インフラである。

反戦運動は遺骨を拾ってきたか

左派、リベラル、反戦団体が遺骨収集を完全に無視してきた、と断定するのは正確ではない。

日本共産党は、国会で遺骨収集の予算化、DNA鑑定、事業促進を求めてきたと説明している。

沖縄には、ガマフヤーのように遺骨収集を実践してきた市民活動もある。辺野古埋め立てへの南部土砂使用をめぐっては、共産党、立憲民主党、社民党などの議員も、遺族やガマフヤーの政府交渉に参加している。

ボランチュねっと

こうした活動には敬意を払うべきだ。

しかし、それでも疑問は残る。

戦後日本の反戦運動は、遺骨収集を中心課題としてきただろうか。

遺骨収集予算の少なさに怒り、厚労省の一部局に押し込めるな、国家事業として格上げせよ、全国から参加できる仕組みを作れ、と大きな運動を起こしてきただろうか。

私には、その記憶がほとんどない。

一方、自民党には「戦没者遺骨帰還に関する特命委員会」があり、遺骨収集を国の責務とする推進法の制定や集中実施期間の延長を進めてきた。

自民党を免罪するつもりはない。戦後政治の大半を担ってきた以上、遺骨収集がここまで遅れた責任は非常に重い。

推進法とその延長も超党派で成立している。自民党だけの成果ではない。

それでも、反戦を掲げる勢力よりも、保守・与党側の方が遺骨収集を継続的な制度課題として扱ってきたのではないか。この逆説から目を逸らすべきではない。

反戦を語るなら、骨を拾え

戦争を美化してはならない。

同時に、戦没者を放置してはならない。

反戦とは、8月にテレビで戦争を振り返り、平和を唱えることだけではない。

土の中に残された骨を探すこと。兵士か住民かを問わず、一人一人の死者と向き合うこと。身元を調べ、遺族へ返し、名前を取り戻すことである。

「遺骨混じりの土砂を使うな」と言うなら、まず拾いに行け。

政府に予算を増やせと迫るべきだ。県外からでも参加できる体制を作れと要求すべきだ。DNA鑑定を急げと訴えるべきだ。

遺骨は政治運動の道具ではない。

戦争で死に、帰ることのできなかった一人一人の人間である。

遺骨収集は慰霊である。

国家の責務である。

そして、もっとも具体的な反戦運動である。

【出典】

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