
(前回:『朝食、10年食ってません』は、多忙の証明ではなかった)
「太っている社長は、経営者失格」。この言葉、一度は聞いたことがあるだろう。
私は長らく、これを精神論だと思っていた。自分の体すら管理できない人間に、会社の管理ができるわけがない——そういう説教の類だと。
違った。まったく違った。
香港で働いていた頃、ある投資家がこう言ったのだ。
「現実問題として、メタボは体が不健康ということだ。当然、脳も不健康だ。思考力、判断力、記憶力、集中力が落ちている。君はそんな人間に投資するかね。もちろん脳疾患のリスクも高い。顧客から預かった大切な資産を、脳卒中で倒れるかもしれない、下手をすれば突然死するかもしれない人間に託す? 怖くてできないよ」
説教ではなかった。リスク計算だった。人の腹回りが、財務指標として読まれている。
そして最後に、彼はこんな格言を教えてくれた。
「What you eat in private, you wear in public」。私生活で食べたものを、人前で着ることになる。訳しても身も蓋もないが、原文はもっと容赦がない。
日本でこれを言ったら「ルッキズムだ」と炎上するだろう。わかる。わかるが、世界の投資家はそんなことを気にしてくれない。彼らはただ、金を預けるかどうかを判断しているだけだ。
さて、日本企業の話。
ここ数年、社員の健康マネジメントに本気で取り組む会社が増えた。私に来る講演依頼も、テーマがはっきり変わってきている。「集中力を上げ、ヒューマンエラーを減らす食事術」。以前ならメタボ改善だの生活習慣病だのだった。それが、集中力とエラーになった。
ある大手建設企業に、なぜこのテーマにしたのかと聞いた。返ってきた答えが、これ。
「答えはシンプルです。社員が不健康だと、仕事のパフォーマンスが下がるから。心身ともに健康で集中して働いている人と、疲れ切っている人の生産性の開きは、倍近いと考えています。建設業では、集中力が落ちれば就業中の事故の被害者にもなるし、加害者にもなる」
被害者にも、加害者にも。この一言が刺さった。
朝食を抜いて現場に立つ。血糖値が乱高下する。一瞬、判断が遅れる。それが誰かの人生を変える。食事の話を福利厚生だと思っている人は、この業種の緊張感を知らないだけだ。
大手IT企業の答えは、もっと重かった。
「コロナ禍を経て在宅ワークが一般化しました。在宅だと休憩も含めて全部が自己管理になるので、朝食抜き、スナック菓子の間食で食事が乱れている。この過程で、うつ病になる人やヒューマンエラーが増えてしまった。今までは健康は自己責任というスタンスでしたが、会社として関わる必要を感じました」
働く場所は自由になった。同時に、生活を無理やり支えていた枠組みも消えた。通勤という強制起床装置も、昼休みという区切りもない。空いた穴を埋めたのが、菓子パンとスナック菓子だったというわけだ。自由の代償にしては、安すぎる。
ここで一つ、数字を出しておく。
近年のキーワードに「プレゼンティーズム」がある。会社には来ている。だが健康不良でパフォーマンスが落ちている状態のことだ。
2018年8月30日、鳥取県の健康経営セミナーで、東京大学政策ビジョン研究センター・データヘルス研究ユニット特任教授、医学博士の古井祐司先生と対談する機会があった。そこで示されたデータが、忘れられない。
病気で休んでいる状態よりも、不摂生で肩こり・腰痛・頭痛を抱えたまま出社しているプレゼンティーズムのほうが、2.9倍の労働生産性損失コストにつながっている。
2.9倍。休む人より、無理して出てくる人のほうが、会社にとっては損失が大きい。
「休まず働く」を美徳としてきた国にとって、これはかなり残酷な数字である。皆勤賞という制度は、いったい何を表彰していたのか。いや、これは言い過ぎか。言い過ぎでもないか。
裏を返せば、こうも読める。体調を整えるだけで取り戻せる生産性が、それだけ眠っているということだ。
もし勤め先にこういう取り組みがあるなら、迷わず乗ればいい。なければ? 会社の号令を待つ必要はない。自分の昼飯を変えるのに、稟議はいらない。
香港のあの投資家は、たぶん今日も誰かの腹回りを見て、投資判断をしている。趣味の悪い話だと思う。だが、彼が見ているものと、私たちが鏡で見ないふりをしているものは、たぶん同じだ。
※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
■
『集中メシ! アタマの良い人は何を食べているのか?』(水野雅浩 著)すばる舎
■ 採点結果
【基礎点】 43点/50点(テーマ、論理構造、完成度、訴求力)
【技術点】 21点/25点(文章技術、構成技術)
【内容点】 21点/25点(独創性、説得性)
■ 最終スコア 【85点/100点】
■ 評価ランク ★★★★ 推奨できる良書
■ 評価の根拠
【高評価ポイント】
価格対内容のバランス:
ビジネス書の価格が2000円を超えることも珍しくない現状において、270ページを超える分量を1500円で提供している点は特筆に値する。資材高騰を理由に価格だけが上昇し内容が伴わない書籍が目立つなか、読者が支払う対価に対する満足度は高い水準にある。
視覚的な読みやすさ:
文字情報のみで押し切らず、画像を適切に取り込むことで可読性を確保している。分量のある書籍では読者の離脱が課題となるが、本書はその配慮が行き届いている。また、主張の根拠が豊富に示されており、内容の信頼性を担保している。一方で根拠の羅列に陥っていない点が良い。エビデンスで埋め尽くされた書籍が散見されるなか、読み物としての流れを損なわない分量にとどめた判断は妥当である。
海外文献の適切な引用:
国内の情報のみに依存せず、海外文献からの引用が適切に行われている。引用の選択と配置に無理がなく、論旨の補強として機能している。
【課題・改善点】
論理構造の深度:
根拠の提示は十分だが、それらを統合して読者の行動変容にまで踏み込む論理の展開については、コラム中で積極的な言及がない。読後の実践設計に関する記述の厚みが評価の分かれ目となる。しかし本書の特性を考えれば及第と評価できるだろう。
■ 総評
昨今の高額化したビジネス書に対する明確なアンチテーゼとなっている。根拠は豊富に示されているが羅列に陥らず、海外文献の引用も適切で、読み物としての流れと信頼性が両立している。既存の枠組みを覆すほどの独創性や、論理展開の深度において突出した要素までは確認できないものの、読者が支払う対価に対する内容の充実度は高い水準にある。実務的な価値と読みやすさを求める読者に対して、安心して推奨できる良書である。








コメント