お盆休みになると、なぜか人は忙しくなる。旅行に行く。帰省する。友人と会う。資格の勉強をする。積んでいた本を読む。副業を進める。筋トレをする。せっかくの連休なのだから「有意義に使わなければもったいない」と考えるからだ。
だが、あえて言いたい。休みの日くらい、何もしなくていい。むしろ普段忙しい人ほど、何もしない休日を意識的につくるべきである。

「休みを有効活用」という謎の義務感
日本人は休むのが苦手だ。休日なのに朝から予定を詰め込み、「今日は充実していた」と満足する。旅行先では観光スポットを何カ所も回り、帰宅した頃には仕事の日以上に疲れている。
さらに近年は、休日にまで自己投資が入り込んできた。英語を勉強しよう。資格を取ろう。副業を始めよう。読書をしよう。
もちろん、本人が楽しくてやるなら何の問題もない。だが、「休んでいる場合ではない」「成長しなければ置いていかれる」という焦りからやっているなら話は別だ。休日まで成長しようとする人は、いつ休むのだろうか。
休息は「何も生み出さない時間」ではない
仕事ができる人ほど、時間を投資として考える。1時間使うなら何か成果を出したい。本を読むなら知識を増やしたい。旅行するなら経験を得たい。
だが、この発想を24時間365日続ければ、人間は消耗する。スマートフォンでも、使い続ければ充電が必要になる。人間だけが充電なしで永遠に働けるはずがない。
ソファで横になる。昼寝をする。動画を見る。散歩する。何となくコーヒーを飲む。こうした時間は、一見すると何も生み出していない。
しかし実際には、翌週の集中力や判断力を取り戻すための時間である。つまり休息は浪費ではなく、次に働くためのメンテナンスコストなのだ。
「予定ゼロ」はぜいたくである
若い頃は、休日に予定がないと不安だった。せっかくの休みに家にいるのは損をしている気がしたし、SNSを開けば、誰かが旅行やイベントを楽しんでいる。
自分だけ何もしていないような気になる。だが年齢を重ねるほど、考え方は逆になった。予定が入っていない休日ほどぜいたくなものはない。目覚ましをかけない。行列に並ばない。渋滞にも巻き込まれない。予約時間もない。
「今日は何をしてもいいし、何もしなくてもいい」。
この自由は、忙しい現代人にとってかなり高価なぜいたくだ。
お盆休みまで「生産性」を求めなくていい
仕事では生産性が求められる。短い時間で成果を出し、無駄を減らし、効率を上げる。それ自体は正しい。
だが、その価値観を私生活まで持ち込む必要はない。休日の目的は成果を出すことではない。疲れているなら寝ればいい。何もしたくないなら何もしなければいい。
「せっかくの連休を無駄にした」と考える必要もない。むしろ、予定を詰め込みすぎて休み明けに「会社に行きたくない」と疲弊している方が、本末転倒ではないだろうか。
休みとは、仕事以外の仕事をする日ではない。堂々と何もしないための日である。お盆休みくらい、人生の生産性を一度忘れてみてもいい。何もしないことが結果的に有意義だった。そんな日があってもいいのである。







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