「給料を上げれば社員は辞めない」と考えている経営者は少なくないでしょう。もちろん、賃金は重要ですが、最近の転職市場を見ていると、賃上げだけで人材流出を止めることはむずかしくなっています。

給料を5%上げても市場価値は上がらない
マイナビの転職動向調査2026年版によると、2025年の正社員の転職率は7.6%と調査開始以来の最高水準でした。転職理由のトップは確かに「給与が低かった」の23.2%ですが、注目したいのは別の数字です。
転職者の52.6%が、前職で「自分のキャリアが停滞している」と感じていました。30代と50代では、「今後の昇進や昇給が見込めない」という理由も前年から大きく増えています。
つまり、人は「今の給料」だけを見て会社を辞めているわけではありません。この会社にあと5年いて、自分はどうなるのか。その未来を想像して怖くなった時、人は転職を考えるのです。
会社側からすると、離職防止策として賃上げほど分かりやすいものはありません。月給30万円を31万円にする。賞与を少し増やす。福利厚生を充実させる。
確かに社員は喜びますが、それで解決するのは「現在の待遇」だけです。本人が不安に感じているのが「この仕事を続けて市場価値は上がるのか」あるいは「AIに置き換えられないスキルが身につくのか」という問題なら、月1万円や2万円の昇給では解決しません。
特に若い会社員ほど、この点には敏感です。Dodaの2026年の転職理由調査を見ると、20代では「個人の成果で評価されない」が40.7%で2位、「スキルアップしたい」も19.7%に上っています。30代でも「スキルアップしたい」は22.8%で3位でした。
社員が欲しいのは、単なる現金ではありません。成長しているという実感です。
本当に怖いのは「ぬるくて給料がいい会社」
ここで誤解されやすいことがあります。社員が辞める会社というと、ブラック企業をイメージする人が多いでしょう。
長時間労働、低賃金、パワハラ、休日出勤。もちろん、こうした会社から人が逃げるのは当然です。しかしキャリアという観点では、もっと怖い会社があります。それは、仕事は楽、給料も悪くないが、何年いてもスキルが身につかない会社です。
毎年同じ資料を作る。社内でしか通用しないシステムを操作する。会議のための会議に出る。根回しと社内調整だけがうまくなる。本人は毎月給料をもらえるので危機感を感じません。
ところが10年後、会社の外に出た瞬間に、自分の能力に値段が付かないことに気づきます。これはかなり恐ろしいことです。
昔なら、それでも定年まで会社が面倒を見てくれたかもしれませんが、今後も同じ保証があるとは考えにくい。だから優秀な人ほど、自分の会社を見る時に「給料はいくらか」だけではなく、ここにいることで自分は何者になれるのかを見るようになります。
「辞めない会社」より「辞めても困らない会社」
会社側はここで発想を変える必要があります。「社員を辞めさせない方法」を考えるのではありません。社員がいつ辞めても困らないスキルを育てる。
一見すると矛盾しています。社員の市場価値を高めれば、転職してしまうではないか、と経営者は考えるでしょうが、逆です。
社員を囲い込もうとする会社ほど、人は逃げます。外で通用するスキルを与えない。重要な仕事を経験させない。情報を渡さない。「転職できない人材」にして会社へ縛り付ける。このやり方は短期的には有効でも、優秀な人ほど早く気づきます。
反対に仕事を任せる、新しい技術を使わせる、成果を正当に評価する、社外でも通用する経験を積ませる会社では、「ここにいれば成長できる」ということが残る理由になります。人材を引き留める最強の方法は、皮肉なことに、いつでも辞められる人材を育てることなのです。
社員は「5年後の自分」を見ている
もちろん給料は大切です。現在でも転職理由の上位には給与への不満がありますが、賃上げ競争だけで社員を囲い込もうとすると、いずれ限界が来ます。他社がさらに高い給料を提示すれば終わりです。
一方、「ここで仕事をすれば能力が上がる」とか「成果を出せば次の仕事を任せてもらえる」という実感は、簡単には他社と比較できません。これから人材不足が深刻になるほど、企業は給与だけではなく、社員の未来を提示できるかを問われるでしょう。
社員は会社の売上高や立派な経営理念より、もっと身近なものを見ています。この会社にあと5年いた自分を想像して、ワクワクするか。それとも怖くなるか。給料を上げても社員が辞める会社に足りないものは、案外そこなのだと思います。







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