いがみ合い、戦い、戦争が止まない時代に生きている。そのような時代であるからこそ他者のために生きた人の証は何度聞いても心を喜ばす。新約聖書「ヨハネによる福音書」第15章13節には「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」というイエスの言葉が記述されているが、その言葉の通り、生きた人がいたことは私たちの喜びであり、誇りだ。

アウシュヴィッツ収容所で殉教した聖人コルベ神父
8月14日は聖マキシミリアノ・コルベ神父が亡くなった日だ。今年はコルベ神父の殉教85年目の筋目にあたる。同神父はアウシュヴィッツ強制収容所で囚人の身代わりに自分の命を差し出した聖職者として世界で知られている。ヨハネ・パウロ2世は1982年10月、コルベ神父を列聖した。同神父はアウシュヴィッツの聖者と呼ばれている。47歳の生涯だった。
コルベ神父(1894年1月8日 – 1941年8月14日)は、第2次世界大戦中、アウシュヴィッツ強制収容所で妻子あるポーランド人の男性の身代わりとなった。1941年7月、収容所から囚人が脱走したことへの見せしめとして、10人の囚人に餓死刑が言い渡された。 選ばれた1人の男性が「私には妻子がいる」と泣いて嘆願したのを見たコルベ神父は、自ら進み出てその身代わりを申し出た。コルベ神父は他の9人と共に地下の餓死監房に入れられ、最後は薬物の注射により処刑された。命を救われた男性ガヨヴニチェク氏は生還を果たし、のちに長く平和と命の尊さを語り続けた。
政治の世界では今日、「ファースト(自国第一主義)」が台頭し、社会的な連帯の欠如を伴う「ミー・ファースト」が蔓延している。英国の哲学者トマス・ホッブス( 1588~1679年)は、「人間は他者との間で闘争状態にある」と判断し、「万人は万人に対して狼だ」という有名な言葉を残した。彼は、「全ての言動は最終的には自己保存本能に基づいた自己利益の追求」と考えた。ホッブスの考えは国家論として「社会契約論」と発展していく。また、利己的遺伝子に関する書籍が日本でベストセラーとなったことがある。確かに、人間には生来、生存への飽くなき執着心があり、必要ならば他者を押しのけても生きようとする。
それとは好対照の哲学は「効果的利他主義」(Effective Altruism)だ。オーストラリアのメルボルン出身の哲学者ピーター・シンガー氏(Peter Singer)は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で Altruism(利他主義 )の新しい定義を語った。シンガー氏は、「利他主義者は自身の喜びを犠牲にしたり、断念したりしない。合理的な利他主義者は何が自身の喜びかを熟慮し、決定する。貧しい人々を救済することで自己尊重心を獲得でき、もっと為に生きたいという心が湧いてくることを知っている。感情や同情ではなく、理性が利他主義を導かなければならない」という。
シンガー氏の利他主義は聖人や英雄になることを求めていない。犠牲も禁欲も良しとせず、冷静な計算に基づいた行動を求める。シンガー氏が主張する“効率的な利他主義者”は理性を通じて、「利他的であることが自身の幸福を増幅する」と知っている。だから「理性的ではない場合、利己主義と利他主義の間に一定の緊張感が出てくる」と指摘し、「利口ならば人は利他的になる」と語った。
ところで、コルベ神父の状況はまさに生と死の分岐点にあった。そのような時、自身の命を他の囚人のために捧げるといった行為をすることは容易ではない。コルベ神父は殉教したが、その行為は後日、助けられた囚人や他の人々を通じて伝えられていく。
「ヨハネによる福音書」第12章24節には「「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」というイエスの聖句がある。コルベ神父の生涯はまさにそれを実証しているわけだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年8月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。







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