消しゴムのない国で、間違いだらけのノートを持ち歩く

(前回:クリームチーズの巻き寿司を許せなかった私の話

「鉛筆、買わなくていいの?」

フランスで初めて、学校からの文房具リストを受け取ったときの話である。新学年が始まる前、親たちはこの紙を片手に売り場をうろつく。私も同じようにうろつき、そしてリストを二度見した。

鉛筆がない。シャープペンシルもない。

フランス人の気楽な働き方、全力の休み方』(トレオレル 美智子 著)フォレスト出版

店に行ってみれば、鉛筆はデッサン用の棚に少しだけ。シャープペンシルにいたっては、そもそも売っていない。じゃあ何で書くのか。答えはボールペン、または万年筆。小学生から、である。

万年筆。かっこいい。羽根ペンでインク壺に浸すやつを想像しかけて、すぐに我に返った。待って。ということは、だ。

——間違えられないじゃん。

これが私の第一声だった。教育論でも文化論でもない。ただの主婦の悲鳴である。

日本で一番使う文房具は何かと聞かれたら、私は迷わず鉛筆かシャープペンシルと答える。書いて、見て、学ぶ。授業でも試験でも、毎日のお供だ。その、基本中の基本だと思っていた部分が、まるごとひっくり返っていた。

正直、学校が始まるまで信じていなかった。どうせ途中で「やっぱり鉛筆も必要です」とか言われるんだろう、と。言われなかった。子どもたちは本当に毎日、ボールペンだけを持って出かけた。授業中のノート取り。計算練習。下書き。テストの回答。全部ペン。

そしてある日、子どものノートを見せてもらった。そこに広がっていたのは、予想の斜め上だった。

間違いだらけ。いや、そりゃそうなのだ。いっぱい間違えるのに、消せないのだから。間違えた箇所はぐるぐると塗りつぶされているか、線を引いて消されているか、修正テープの上から書き直されている。しかもそのテープが、はみ出している。一部消えていない。ページの端から端まで、失敗の痕がびっしりと残っている。

……これを毎日つくって、毎日眺めて、脳に焼き付けているのか。私は笑ってしまった。文化の違いにもほどがある。

比較してしまうと、日本の子どものノートはもはや芸術作品だ。鉛筆かシャープペンシル。そこに、世界最高峰と言っていい「よく消える消しゴム」。授業でもテストでも、間違えた箇所は痕跡すら残さずきれいに消して書き直す。おまけに下敷きを敷く。この下敷き、フランスには存在しない。だからボールペンの筆圧が次のページにそのまま伝わって、新しいページは書く前からぼこぼこである。

フランスの小学生のノート——ぼこぼこ。間違いの痕だらけ。日本の小学生のノート——もう1冊の教科書。この差を、両国の子どもは小学生の頃から毎日浴び続けている。

で、ここからが本題。話が飛ぶけれど、飛ばないと書けないので飛ぶ。

日本には「失敗を許さない」という空気が根強くある。しかもこれ、世間が押しつけてくるというより、一人ひとりの内側に住みついているように思う。芸能人が大きな失敗をすれば復帰は難しい。会社で大きなミスをすれば責任をとって立場を降り、その一件はずっと付いて回る。

私自身がそうだった。子どもの頃は「受験に失敗したら人生が終わる」と本気で思っていた。離婚をすれば次の結婚には決定的に不利で、再婚など無理だとも思っていた。過去の失敗は黒歴史。失敗は人生を変えてしまうから、失敗しないように生きなければいけない。そう自分に言い聞かせてきた。誰にも頼まれていないのに。

一方フランスでは、失敗はして当たり前のものとして扱われる。黒歴史ではなく、ただの歴史。特に色は付かない。

成績が足りなければ落第してやり直す。大学でも学部を何度でも替える。日本の感覚なら「遠回り」と呼ばれるその年月を、本人も周囲もさほど深刻に受け止めていない。傷ではなく、経歴の一部。ここは正直、うらやましい。

もちろん、消せないノートが万能だとは思わない。日本のきれいなノートには、それ自体の価値がある。書き直すという行為が理解を深めることもあるだろうし、あのぼこぼこのページを見るたび私は「下敷き、輸入して売ろうかな」と本気で考えている。今も考えている。

ただ、消せないペンで書き続けた子どもは、間違いが残ったままの状態を毎日目にしている。間違いは隠すものではなく、そこにあっていいもの。理屈ではなく、手で覚えていく。完璧に消せる環境では、たぶんこれは手に入らない。

人生も、結局あのノートに似ている。塗りつぶした跡も、はみ出した修正テープも消えないまま、ページだけが進む。きれいに消して書き直したい。私はずっとそう思ってきた。でも消えないなら、汚れたページの上に次の1行を書き足すしかない。

うちの子は今日も、ぼこぼこのノートを鞄に突っ込んで学校へ行った。あれを恥ずかしいと思っていないのが、少し悔しくて、たぶん、正しい。

※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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