
実測できないスコープ3は管理も削減もできない
筆者は業務上必要なので日頃から様々な脱炭素・サステナビリティ関連のセミナー等を受講していますが、最近は「生成AIを使って簡単にスコープ3を算出します!」といったサービスが溢れ返っています。とても正気とは思えません。
現在のスコープ3算定においてAIツールが売りにしているのは、企業の購買データや出張等の「活動量」(原材料や部品の重量、購入金額、輸送距離、従業員の出張等)を集計し、さらに環境省や国際機関などが提供する「排出原単位」を世界中から集めてきたうえで最適な紐付けを行う、と称しています。
理屈の上ではサプライヤーから一次データを取得すればよいのですが、数千、数万に及ぶサプライチェーン全体について、比較可能で検証可能な一次データを継続的に取得することは極めて困難です。従って現在(そして将来もずっと)主流である算定方法は「活動量×原単位」による推計値(二次データ)となります。
ところが、この排出原単位は国際的に統一された基準がなく、各国・各社で様々なデータベースが利用されており、同じ品目でもデータベースによって桁が違うほどバラバラの数値が並んでいます。また、これだけ脱炭素が叫ばれている中でも排出原単位は10年前、20年前のデータが主流であり、サプライヤーや電力会社や運輸業界が日々取り組んでいる省エネ活動、脱炭素施策がまったく反映されません。
環境省が公開している最新のデータベースは2026年版となっていますが、データベースの中に収載されている原単位で最新の値は一部の品目で2020年です(産業連関表ベース:実に15年ぶりの改定)。他の多くの品目は相変わらず2005年、2010年、2017年などとなっており、次にどの品目がいつ更新されるかも分からない代物なのです(図1、2、3、4)。

図1 環境省原単位データベース【5産連表DB(新)】シート

図2 環境省原単位データベース【7電気・熱】シート

図3 環境省原単位データベース【12宿泊】シート

図4 環境省原単位データベース【13従業員】シート
実務担当者は、まず自社の財務、購買、人事などの各部門から関連する活動量をかき集めます。自社の活動量だけでも数千点から数万点にのぼり、さらにサプライヤーや販売先や輸送事業者にも問い合わせて同様の活動量を集計します。
同じ原単位を使用する限り、出てくるCO2排出量の増減が100%活動量に依存するのは自明です。この活動量は主に「重量」と「金額」ですが、こちらもそれぞれに重大な欠陥を抱えています。
重量ベースの活動量に関しては、たとえば鉄1トンを調達する際に「100%再生可能エネルギーで操業するクリーンな工場」から買っても、「石炭火力で動く旧式工場」から買っても、原単位(鉄1トンあたり●●kg-CO2)を使う限り、弾き出される計算結果は寸分違わず同じになります。
また、昨年1億円で調達した部品を、翌年に環境配慮型の高価な部品に切り替えたため1億2000万円を支払った場合、CO2排出量も20%増えるという笑えない逆転現象が起きてしまいます。昨今の物価高騰やインフレを勘案すると、まったく同じ調達品を同じ量仕入れたとしてもCO2排出量が上がってしまうこと必定です。
つまり、同じ排出原単位を使い続ける限り、サプライヤー自身がどれほど脱炭素に取り組んでもその努力は自社のスコープ3削減量には反映されません。この計算上のCO2排出量を減らすためには「モノの購入量(=活動量)を減らすというビジネスの縮小」か、または「サプライヤーを叩いて調達金額を下げる」必要があります。
サプライヤーから「実測値(一次データ)」を提出してもらえればよいのですが、これは下請け企業に膨大な事務負担を強いる「スコープ3ハラスメント」であり、サプライチェーン全体への普及は現実的ではありません。仮に取引上優位な立場の企業がサプライヤーに対して過度な負担を押し付けたり、取引条件と結びつけて強制するようなことがあれば、逆に自社が優越的地位の濫用や気候カルテルと指摘されるリスクを伴います。
なお、サプライヤー説明会などで一次データ提出を求めながら、算出方法として堂々と環境省の原単位使用を推奨しているケースがあります。実際は「サプライヤーから取得した二次データ」に過ぎないにもかかわらず、これを一次データとしてカウントし、対外的に「●●t-CO2(一次データ利用率○%)」などと開示している事例まで見受けられます。おそらく悪意はなく、スコープ3を開示することが目的となってしまっていて本質を理解されていないのだと思いますが、残念でなりません。
どんなにサプライヤーへお願いしたところで、集まるデータは結局二次データばかりなのです。実務担当者が夜遅くまで残業してエクセルと格闘して算出した数値は、実態とは乖離したただの記号に過ぎず、管理も計画も削減もできません。情報開示が終われば社内外の誰も見返さない、お飾りのための書類仕事と化します。典型的なブルシット・ジョブ(クソどうでもいい無駄仕事)なのです。
地球を暖めながら無意味な数字の羅列を繰り返す
この不毛な雑務に、いま「生成AI」というガソリンが注がれ始めています。数万行に及ぶ調達品目を読み込み、世界中の複雑な原単位データベースから最適な値を抽出して紐付けてくれる――。人間がやれば数ヶ月かかる苦行を、生成AIは秒で処理してくれます。一見すると「DXによる効率化」の成功例に見えますが、その裏で支払われている「環境コスト」や「外部不経済」からは誰もが目を背けています。
周知のとおり、生成AIの拡大に伴ってデータセンターの電力消費が急増しています。AIのトレーニングや膨大なデータ処理を回すたびに、データセンターは悲鳴を上げ蓄える熱を冷却するためさらに電力を消費します。ビッグテックが10年かけて証明したとおり現実の大規模データセンターを物理上の再エネ100%で安定運用するなんて不可能であり、今日この瞬間も生成AIの回答は化石燃料に支えられているのです。
これではまるでトランプ米大統領が言う「Green New Scam」(グリーン・ニュー・詐欺)です。AIを使ってスコープ3を計算する企業は、「環境負荷を可視化した気になるだけの無意味な推計値」をつくるために、CO2を大量放出し地球を暖め続けていることを自覚すべきです。
欧米の梯子外しと取り残される日本
さらに絶望的なのは、欧米がこのブルシット・ジョブから距離を取り始めている一方、日本はむしろこれから本格的に取り組もうとしている現実です。米証券取引委員会(SEC)はスコープ3の開示義務化を盛り込んだ規則案を示しましたが、産業界からの猛反発を受けスコープ3に関する記述を削除しました。さらに気候開示規則そのものも現在は停止状態にあり、SECは2026年5月に規則自体の撤廃を提案しました。米国の上場企業はスコープ3開示義務化を免れたのです。うらやましい。
欧州でもCSRD(企業サステナビリティ報告指令)やCSDDD(企業サステナビリティ・デューデリジェンス指令)の大幅な簡素化が進んでいます。CSRDでは対象企業が約8割削減され、CSDDDでも原則として直接の取引先にデューデリジェンスを集中させるなど、企業の事務負担軽減へ大きく舵を切りました。
ところが我が国では、金融庁がサステナビリティ基準(SSBJ)に基づくスコープ3開示の義務化を進めています。まず時価総額3兆円以上のプライム上場企業には2027年3月期から適用され、その後対象企業が段階的に拡大されます。欧米が梯子を外し始めたこのタイミングで、日本はこれから義務化を始めるのです。
筆者のもとにも2025年以降欧米企業からのスコープ3要請が激減し、日本企業ばかりとなりました。このままでは、この不毛な雑務によって日本の産業界ばかりが生産性を削られながら、しかもAIを利用した場合は地球を暖め続けることになります。こうした一見見栄えのよいサービスが次々と生まれるのは自由主義経済である以上仕方がありません。問題は、安易に飛びつく企業側なのです。
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