その商談、相手はもう忘れている

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商談は、うまくいったはずだった。

資料は前夜まで直した。先方の担当者は何度もうなずいた。帰り際には「社内で共有します」とまで言われた。それきり、何も起きない。あの「共有します」は何だったのか。

こういう経験、ないだろうか。私はある。何度もある。

頭のいい人だけが知っているズルい伝え方』(白鳥マキ著)ぱる出版

本書を読んでいて、手が止まった箇所がある。仕事ができる人ほど、会っている時間を重視していない、という一節だ。

いや、待て。営業の基本は会うことだろう。足で稼げと言われて育った世代からすれば、ほとんど背信である。かつて、訪問件数がすべてだと言い切る上司がいた。実際その人の成績は良かった。だから信じた。信じて、真似した。

だが問題は、そこではない。会う時間が無意味だと言っているのではなく、会っていない時間を丸ごと放置している人間が多すぎる、という話なのだ。

冷静に数えてみればいい。取引先と顔を合わせている時間は、一週間のうちどれだけあるか。ほとんどの相手について、答えは「ごくわずか」だろう。残りの時間、あなたは相手の意識から完全に消えている。消えたまま、次に会う日を待っている。それで関係が育つと思うほうが、どうかしている。

著者はこれを「単純接触効果(ザイアンス効果)」で説明している。繰り返し触れたものに人は好意を抱く。広告に同じキャラクターが何度も出てくるのも、これだ。会ったこともないYouTuberに親しみを覚えるのも、これだ。理屈は知っている。誰でも知っている。

問題は、知っているのに誰もやらないことである。

著者の表現が的確だった。大きな花束を一度贈るのではなく、毎日一輪ずつ贈れ、と。脳は「一度会う」と「一度メッセージを送る」を、ほぼ同じ一回として数えるのだという。ならば重い一通より、軽い十通のほうが刻まれる。これを「接触貯金」と呼ぶ。

貯金。うまい言い方だ。というか、こういう言葉を作れる人は強い。

さて、ここからが本題──というのも変だが、私が一番腹を立てた箇所の話をしたい。

「用事があるときだけ連絡する人」である。

これだけは、どうにも許せない。数年ぶりのメールが「ご無沙汰しております。実は折り入ってご相談が」で始まるやつ。あなたのその沈黙は、こちらへの評価そのものだ。要るときだけ取り出す道具として、私は扱われていた。そういうことでしょう。

先日も一通来た。ずいぶん久しぶりだった。「尾藤さんならご存じかと思いまして」。知っていたが、教える気にはならなかった。

我ながら狭量だと思う。思うが、こういう感情は誰の中にもあるはずだ。あなたにもあるでしょう。だとすれば、あなたが送っているメールも、同じように誰かに数えられている。

対処法は、拍子抜けするほど簡単である。

「今日、ふと思い出したのですが」

これだけでいい。用件は要らない。用件がないことに、意味がある。相手は「気にかけてもらえている」と受け取る。三行で済む。三十秒で書ける。

それを、やらない。忙しいから。用がないのに送るのは失礼な気がするから。──失礼なのは、用があるときだけ現れるほうだ。

どれだけ素晴らしい商談をしても、忘れられたら存在しないのと同じ。

その通りだと思う。思うのだが、正直、私は今も長い文章を書くのをやめられていない。書きたくなってしまうのだ。悪い癖である。

※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。

尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)

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