「トロッコ問題」と「トリアージ問題」の話

始まりがあれば必ず終わりがあるものだ。猛暑日が続き、酷暑日がその間に入ってくる夏の日々を過ごしてきた人ならば、気温が30度以下に下がった日には、「やれやれ、暑い日々もこれで終わりかな」と一息つく。気温が体温と同じレベルまで上がると、人は正常に考えることが出来ない。暑さという牢獄に収監されたような状態が続く。

「イタリア北部ロンバルディア州で新型肺炎の感染者の治療に苦悩する医者」、オーストリア代表紙プレッセ2020年3月24日

もちろん、猛暑の日がぶり返すかもしれないが、峠を越えたことはほぼ間違いないだろう。そこで暑さの牢獄生活中に考えていたことを忘れないうちに整理してみた。その際、動画「寝落ちの雑学」の「トロッコ問題、副題・功利主義200年」を参考にした。

「トロッコ問題」という言葉をご存知だろう。ブレーキが故障したトロッコがレールの上を走ってくる。その前方には5人の労働者が働いている。このままいくと5人はひき殺されてしまう。ただ、分岐器のレバーで線路を変えることが出来る。その場合、5人は助かるが、その別の線路上には1人の労働者が働いていた。問題は、1人の労働者を犠牲にして5人を救うためにレバーを変えるかだ。調査結果によると、およそ9割の人がレバーを引いて、5人を助けると答えたという。「5人対1人」の数の問題だ。哲学的には功利主義に基づいている。選択には余り躊躇はなかった。

「トロッコ問題」には続きがある。線路上に5人の労働者が働いている。別の線路はない。ブレーキが利かないトロッコが接近してくる。その時、歩道橋に一人の頑丈な男性がいた。そこでその男性を歩道橋から線路に落として疾走するトロッコを止めることが出来れば、5人の労働者は助かるが、ブレーキ替わりとなった男性は死ぬ。問題は、あなたは5人を救うために1人の男性を歩道橋から突き下ろすかだ。調査によると、男性を上から落とすという選択には大多数が抵抗感を感じる、という結果だった。功利主義的に考えれば、1人の男性を犠牲にして5人を救うという「1対5」の選択には変わらないが、多くの人はその選択を拒否したのだ。

以上の話が「トロッコ問題」と呼ばれ、多くの賢者を悩ましてきた。「トロッコ問題」は突き詰めれば、功利主義者のジェレミ・ベンサム対イマヌエル・カントの対立構図であり、「冷たい数字」対「直観」(定言命法)だ。人間はこの「トロッコ問題」に久しく頭を悩ましてきた。そしてその答えを得るために今なお、考え続けているというのだ。

「トロッコ問題」に酷似したテーマには「トリアージ問題」がある。中国武漢発の新型コロナウイルスが欧州に席捲した時、欧州の病院はどこも患者で溢れた。全ての患者を年齢や過去の病歴に関係なく平等に治療したい医者はどの患者を優先して治療するかで悩んだ。病院にはもはや空きベットはなく、患者用の救命救急リソースの数は限られている。医者は考え出す。あの患者は高齢で病気持ちだ。彼はまだ若く未来がある、といった思考が生まれては消えていく。

トリアージについて、トリアージ専門家のバーバラ・フリーゼネッカー氏は独週刊紙「ディ・ツァイト」とのインタビューで、「地震や列車事故の場合、事故現場に到着し、医師が少なすぎて全ての患者を適切にケアできない場合、医師はどの患者を最初に救済しなければならないかを判断しなければならない。集中治療を受ける患者とそうではない患者に分け、別々のカードを使って区別する。生存の可能性の少ない患者は緊急治療から外す。トリアージの目的は緊急事態で出来るだけ多くの命を救うことだ」と説明している。

例えば、ドイツ連邦憲法裁判所(独南部カールスルーエ)の第1上院が2021年12月28日、トリアージの際に障害者の保護を要求した9人の障害者の訴えを認め、「障害者権利条約に基づき、トリアージが発生し、医師が誰を救うか、誰を救わないかを決定する状況になった場合、障害者を保護するために直ちに予防措置を講じる必要がある」と裁定し、立法府に迅速にトリアージでの障害者の保護を明記した法案を作成をするように要請した。

「トリアージ問題」の専門家は、「非常に異なる状況にある複数の患者がいる場合、すばやく客観的で正しい決定を下すことは困難だ。その場合、『宝くじ』の倫理原則に従って、サイコロを投げたり、棒を引いたりする。優れた医学的意思決定とは何の共通点もない絶望的な行為だ」と述べていた。トリアージは患者たちにとって過酷な運命だが、医師たちにとっても苦しい選択となる(「トリアージ問題」専門家の重い発言」2021年12月1日参考)。

「トリアージ問題」専門家の重い発言
ドイツやオーストリアでは働く医師や看護師たちを病院の前で誹謗中傷したり、唾を吐きかける人もいるという。だから、看護師たちの中には、「外で歩いていると不安になることがある」という。看護師の中には仕事を変える人も出てきたというのだ。米ニューヨー...

以下、「トロッコ問題」や「トリアージ問題」の場合、当事者の選択は生命に直接関わる苦悩に満ちたものだ。どちらを選択したとしてもその影響、精神的痛みが残ることは避けられない。

医者が苦々しい思いから「サイコロを転ばして選択しなければならなくなる」と吐露していたが、サイコロを転がして選択するという手段は無責任のように思えるが、非常に思慮に富んだやり方ではないか。

サイコロを転がすまでは当事者、人間の責任だが、何を選択するかはサイコロが決めるのであって、サイコロを投げた者ではない。サイコロは生死の選択を強いられる人の重荷を軽くする。

旧約聖書の「箴言」には、「人は考え、神が決める」という内容の聖句がある。「最大多数の最大幸福」を目指す功利主義者に対し、最終的に決めるのは神だ、といえば「それは信仰告白に過ぎない」と受け取られるかもしれない。サイコロを転がしたとしても、その前提となる神が不在ならば、(サイコロを転がしたとしても)、人間の苦悩は一層深刻となってしまうかもしれない。

bee32/iStock


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2026年8月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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