「欲しかったから使った」という一線
アルバイト先のスポーツ施設で利用客のクレジットカードを盗み、不正利用したとして、慶應義塾大学4年の女が警視庁に逮捕された。警視庁は、ほかの利用客にも同様の被害がある可能性があるとみて余罪を調べている。
報道によると、女は不正利用について「商品が欲しいと思って衝動的に買い物した」と説明しているという。捜査段階であり、窃盗について一部否認している点には留意が必要だが、もし供述通りなら、「欲しい」という日常的な感情が犯罪との境界線を越えたことになる。
学歴が「人としての一線」を保証するわけではない
この事件が注目された理由の一つは、逮捕されたのが慶應義塾大学の学生だったことだろう。しかし、「慶應なのになぜ」と考えるだけでは本質を見誤る。

慶応義塾大学 winhorse/iStock
入試で測られる学力と、「人のものを盗まない」「他人をだまして得をしない」「欲しいものがあっても我慢する」という規範意識は別物だ。偏差値や学歴が倫理観まで保証するわけではない。
教育の目的は、良い学校や良い会社に入れることだけではない。誰も見ていないところでも、越えてはいけない一線を越えない人間を育てることも重要である。
家庭教育は「小さな不正」をどう扱うか
犯罪に結びつかない家庭教育とは、子供を厳しく監視することではない。むしろ大切なのは、「これはしてはいけない」「あれもしてはいけない」と、越えてはならない線を具体的に言葉で教えることだろう。
「人のものを勝手に取ってはいけない」「拾ったカードを使ってはいけない」「店の商品を代金を払わず持ち出してはいけない」「嘘をついて人をだましてはいけない」。大人には当たり前でも、子供には繰り返し具体的に伝える必要がある。
抽象的に「悪いことをするな」と言うだけでは不十分だ。「少しくらいなら」「ばれなければいい」という自己正当化を防ぐには、何が絶対にいけないのかを家庭の中で明確にしておくことが大切である。
どの家庭にも起こり得る問題として考える
もちろん、この事件だけを材料に容疑者の家庭環境を推測し、「親の育て方が悪かった」と断定することはできない。成人した本人の行為の責任は、まず本人にある。
それでも、この事件を「特殊な若者の犯罪」と片づけるべきではない。子供が勉強できる、良い大学に入った、成人した、就職先が決まった。それだけで安心できるわけではない。
誘惑を前にしたとき、自分でブレーキを踏めるか。「これは絶対にしてはいけない」という一線を自分の中に持てるか。こうした力は偏差値には表れないが、人生を踏み外さず社会で生きていくためには極めて重要だ。
今回の事件は、どの家庭にとっても他人事ではない。家庭教育とは、子供を成功させることだけでなく、してはいけないことを具体的に教え、人生を大きく踏み外さないための土台をつくることでもあるのだ。







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