
「ビジネスメールなんて、AIに書かせれば一発でしょ」
この台詞を、ここ一年で何度聞いただろうか。先日も、セミナーの懇親会で言われた。若い男性だった。悪意はない。純粋にそう思っている顔だった。
半分は正しい。半分は、致命的に間違っている。
私はClaudeの実践書を書いている人間なので、AIを擁護する側だと思われがちだ。実際、擁護する。定型的な業務連絡において、AIの精度は人間を上回る。敬語は崩れないし、誤字もない。「お世話になっております」から「よろしくお願いいたします」までを、寸分の狂いもなく埋めてくれる。
問題は、そこである。著者が、これを見事に言語化していた。AIの文章は正しく丁寧に書ける。惜しいことに、相手の頭の中に残らない。これを「素通り文章」と呼ぶ。
素通り。読まれてはいる。理解もされている。ただ、記憶されない。
これ、けっこう怖い話だと思うのだが、どうだろう。
「今日の通勤ですれ違った人を思い出してください」と言われて、答えられる人はいない。おそろしい数の人間とすれ違っているはずなのに、一人も出てこない。
ところが、改札で肩をぶつけてきて謝りもしなかった男のことは、翌日になっても覚えている。腹が立ったまま覚えている。
人は、感情が動かなかったことをほぼ記憶しない。逆に感情が動けば、勝手に刻まれる。心理学でいう「情動記憶(Emotional Memory)」である。
つまり、正しい文章が記憶に残らないのは、正しいからだ。引っかかりがないからだ。
著者はこれを寿司でたとえていた。シャリが「出来事」、上に乗るネタが「感情」。シャリだけの寿司を食べても記憶には残らない。あの日の中トロが新鮮だったから、店の名前まで覚えている。
うまいたとえだ。私には思いつかない。
具体的にどうするか。相手との間に実際に起きた出来事を、一行入れる。それだけである。
「先日いただいた資料、三ページ目の数字には正直驚きました」
これが入るだけで、業務連絡が記憶に残る一通に変わる。AIには、この一行が書けない。書けないというより、書く材料を持っていない。三ページ目に何があったかを知っているのは、あなただけだ。
もう一点、膝を打った箇所がある。自己満足のメッセージについてだ。
相手が甘いものを苦手だと知っているのに、高級な菓子折りをお中元で贈る人がいる。贈った本人は満足している。受け取った側は、処理に困っている。
──これ、心当たりのある人が多いのではないか。私にはある。贈った側として、ある。
メッセージも同じだと著者は言う。多くの人は「自分が送りたい文章」を送っている。相手が受け取りたい文章とは、別物かもしれないのに。
どれだけ丁寧でも、どれだけ正しくても、相手が求めていないメッセージは、甘いものが嫌いな人にスイーツを贈るのと変わらない。
送信前に見るべき点は、そんなに多くない。長すぎないか。難しい漢字を並べていないか。相手が喜ぶ情報が入っているか。文面が冷たくなっていないか。読んだ相手が動きたくなるか。そして──自分がこれを受け取ったら、嫌だと思わないか。
最後の一つだけでいい。それだけで、たいていの事故は防げる。AIに任せていい領域と、任せてはいけない領域がある。その線引きができる人だけが、これから先も残る。
──と、AIの本を書いている人間が言うのだから、まあ、それなりに信じてもらっていいはずだ。
※ここでは、本編のエピソードをラノベ調コラムに編集し直しています。
尾藤克之(コラムニスト、著述家、作家)
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『頭のいい人だけが知っているズルい伝え方』(白鳥マキ著)ぱる出版
■ 採点結果
【基礎点】 40点/50点(テーマ、論理構造、完成度、訴求力)
【技術点】 18点/25点(文章技術、構成技術)
【内容点】 20点/25点(独創性、説得性)
■ 最終スコア 【78点/100点】
■ 評価ランク ★★★ 標準的な良書
■ 評価の根拠
【高評価ポイント】
テーマ設定の的確さ:「会っている時間より会っていない時間」という切り口は、対面営業から非対面コミュニケーションへの移行という現実の変化を正確に捉えている。訪問件数至上主義で育った世代にとっては直感に反する主張であり、それゆえに読者の関心を引く強度を持つ。テーマ選定そのものは高く評価できる。
概念の言語化能力:「接触貯金」「素通り文章」という造語は秀逸である。抽象的な現象に名前を与えることで読者の記憶に定着させる手法であり、著者の実務家としての勘の良さが表れている。この命名力は本書の最大の資産といってよい。
論の一貫性:「相手の感情を動かす」という一点に全論旨が収斂しており、章をまたいでも軸がぶれない。ストーリーの立て方は堅実で、読者を迷わせない構造になっている。
【課題・改善点】
心理学概念の誤用:メラビアンの法則の扱いに看過できない誤りがある。同法則は、言語情報と非言語情報が矛盾した場合に「好意・態度」の伝達がどう左右されるかを検証した限定的な実験に由来するものであり、コミュニケーション全般に「言語7%・聴覚38%・視覚55%」が適用されるという通俗的解釈は、提唱者自身が否定している。ビジネス書での引用が最も多い一方、最も誤読されている概念でもある。編集段階での事実確認があれば防げた瑕疵である。
編集の甘さ:単純接触効果(ザイアンス効果)が同一パートで二度説明されるなど、重複が随所に見られる。「実は、これは脳科学的にも」「実は脳は繰り返すことで」のように同一語が連続する箇所も残っており、通読時のリズムを損ねている。原稿の勢いをそのまま残したのか、整理の手が入っていない。
AI論の掘り下げ不足:生成AIの文章が「素通り」する理由の指摘は鋭いが、では人間が担うべき領域はどこまでかという肝心の線引きに踏み込んでいない。読者が最も知りたい部分が、問題提起のまま置かれている。
■ 総評
テーマの切り口、概念の命名、比喩の的確さのいずれも水準を超えており、素材としては80点台に十分届く内容である。にもかかわらず78点にとどまったのは、ひとえに編集力の不足によるものだ。メラビアンの法則の誤用は本書の主張に不可欠な要素ではなく、削除しても論旨は微塵も揺らがない。
にもかかわらず残されたことで、書籍全体の事実確認水準が疑われる結果を招いた。重複表現の未整理も同様である。論の骨格が良いだけに、編集が仕事をしていれば確実に80点を超えていた。もったいない、というほかない一冊である。








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