
徳島の阿波おどりに、今年は1組49万5000円の「特等席」が登場した。
最大5人、利用時間100分。有名連の踊り込みを間近で見て、踊り手と記念撮影し、新町川をクルーズし、食事とフリードリンクを楽しむ。さらに藍場浜演舞場のSS席まで付く。「雅やび」と名付けられた、いわば阿波おどりのVIPパッケージである。
高い。
だが私は、49万5000円という価格そのものを批判したいわけではない。
買う人がいて、その収益が祭りを支えるなら、それも一つの方法だろう。
むしろ気になるのは、400年以上の歴史を持つとされる阿波おどりが、いつの間にか「誰の祭りなのか」が分かりにくくなっていることである。
400年の伝統であり、巨大な興行でもある
徳島市は阿波おどりを「400年を超える歴史を持つといわれる伝統芸能」と説明している。現在では徳島市だけで100万人規模を集める、日本有数の観光イベントでもある。
ここが、前に取り上げたYOSAKOIソーランとは正反対で面白い。

YOSAKOIソーランは1992年に始まった新しいイベントが、次第に「地域文化」の顔を持つようになった。
阿波おどりは逆だ。
本物の長い歴史を持つ地域文化が巨大化し、観光商品となり、有料演舞場を持つ興行へ変わった。
徳島市の有識者会議は2019年、8月の阿波おどり事業について、収入の約7割をチケット収入が占める「興行性の高い一面」があると指摘している。
つまり阿波おどりには、最初から二つの顔がある。
地域住民と踊り手が受け継ぐ伝統文化。
そして、観光客からチケット代を取って成立する巨大興行である。
この二つがうまく共存している間は問題にならない。
収支が苦しくなった瞬間、衝突が始まる。
4億円を超えた赤字
2018年、その矛盾が一気に表面化した。
長年、阿波おどりを運営してきた徳島市観光協会の事業特別会計には、4億円を超える累積赤字が積み上がっていた。徳島市は協会の借入金4億3600万円について損失補償しており、最終的に観光協会は破産手続きに入った。

赤字の理由を「放漫経営」の一言で片付けるのも正確ではない。
無料シャトルバス、荒天による中止とチケット払い戻し、桟敷の修繕・更新など、大規模イベント特有の費用も積み上がっていた。一方、調査では複数見積もりを取らない契約や、契約書・請求書の確認が十分でない支出も指摘された。
そして重要なのは、その赤字を最終的に誰が負うのかである。
祭りは「地域の宝」だと言う。
しかし赤字になると、市が損失補償する。
つまり、祭りを見ない市民も納税者としてリスクを負う構造だった。
実際、破産手続き終了後も徳島市は5300万円以上の債権を回収できなかった。

祭りは誰のものなのか。
この問いは、赤字になった瞬間に極めて現実的になる。
新聞社も「報じる側」だけではなかった
この問題をさらに複雑にしたのが、徳島新聞社の存在である。
同社は単に阿波おどりを報道する地元メディアではなく、長年、徳島市観光協会と阿波おどりを共催してきた当事者でもあった。
徳島新聞社自身も2018年、累積赤字について「主催者の一員として一定の責任がある」との認識を示し、阿波おどり振興基金の原資として市に3億円を寄付する方針を表明した。

ここで言いたいのは、「新聞社が悪い」という単純な話ではない。
地方では、新聞社、自治体、観光協会、商工団体などが地域イベントを一緒に支えることは珍しくない。
だが、新聞社が報道機関であると同時に祭りの運営当事者でもあれば、役割の境界は当然難しくなる。
2018年の徳島市の有識者会議資料でも、徳島新聞社の関連会社による業務受託について「利益相反に当たるのではないか」という論点が委員から提示されている。これは利益相反が認定されたという意味ではないが、外部から見て運営構造を分かりにくくする要因だったことは確かだろう。
「総踊り」は誰が決めるのか
2018年には、さらに象徴的な事件が起きた。
名物だった「総踊り」の中止を運営側が決めたのである。
一つの演舞場に観客が集中すると、他の有料演舞場の販売に影響するという事情が背景にあった。ところが踊り手側の阿波おどり振興協会は反発し、結果として総踊りを強行した。
後の徳島市有識者会議は、実行委員会と振興協会の「対話が十分でなかったことは否めない」と総括している。
私はここに、阿波おどり問題の本質が凝縮されていると思う。
興行側から見れば、有料席全体の販売を考えて演出を分散させるのは合理的である。
しかし踊り手から見れば、「売上の都合で、なぜ私たちの祭りの見せ方を変えられるのか」となる。
どちらにも理屈がある。
だからこそ、これは単なる運営トラブルではない。
祭りの所有権をめぐる衝突なのである。
20万円席は違法状態、そして今年は49万5000円
その後も阿波おどりは、高付加価値化を進めた。
2023年にはインバウンド向けに1人20万円の「プレミアム桟敷席」を設置した。食事や踊りの解説付きで、観光庁の高付加価値事業にも採択された企画だった。
ところが、この席は階段幅などが建築基準法の基準を満たさず、検査済証を受けない状態で使用され、購入者には全額返金されることになった。

そして2026年。
形を変えて、今度は最大5人49万5000円の「雅やび」が登場した。
高級席を作ること自体は悪くない。
外国人富裕層が50万円を使い、その金が徳島に落ちるなら、地域経済にとってはむしろ歓迎すべき面もある。
しかし、祭りが高付加価値観光商品になればなるほど、改めて問わなければならない。
踊る人は誰のために踊るのか。
街路を提供し、交通規制を受ける住民は何を得るのか。
行政はどこまで支えるのか。
赤字なら誰が責任を取るのか。
利益が出れば誰に還元されるのか。
祭りは誰のものか
阿波おどりを商業化するな、と言いたいのではない。
むしろ400年の伝統を次の400年へ残すためには、金が必要である。
警備にも、桟敷にも、清掃にも、人にも金がかかる。
問題は、商業化するなら商業化するほど、所有と責任を明確にしなければならないということだ。
踊り手の祭りなのか。
市民の祭りなのか。
行政の観光事業なのか。
新聞社や地元企業が支える地域イベントなのか。
それとも、世界から客を呼ぶ巨大興行なのか。
全部であってもよい。
しかし、全部であるなら、誰が決め、誰が利益を得て、誰が負担し、誰が責任を取るのかを透明にする必要がある。
「踊る阿呆に見る阿呆」。
そこに今、もう一人加えるべきなのかもしれない。
「払う阿呆」だけに祭りを任せてよいのか。
400年続いた阿波おどりだからこそ、その答えは徳島の人たち自身にあるはずだ。







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