新井白石と令和の「皇室典範改正」

改正皇室典範が10月24日に施行される。改正のポイントは、女性皇族が結婚後も公的活動を続けられるよう皇族の身分を保持すること、及び旧宮家の男系男子を養子に迎えることの2つを可能にしたこと。後者については、19年5月の拙稿「皇統の維持は『皇室典範』第9条の削除で」と書いた手前もあり、大いに喜ばしい。

小泉政権は05年、皇位継承者が不足する懸念から有識者会議を設け、「皇位継承資格を女性・女系皇族に拡大すべき」との報告書を纏めたが、幸いにして翌06年に悠仁親王殿下が誕生し、皇室典範改正の論議は沙汰止みとなった。その悠仁殿下が9月6日に20歳のお誕生日を迎えられた。これもまた大いに目出度い。

国民はここ20年の間に、「女性・女系天皇」のほか「万世一系」(旧憲法第一条)、「皇統に属する男系男子」(皇室典範第一条)といった語を耳にし、皇統維持について知識を深めた。筆者も今上陛下の血筋が、1779年に崩御した後桃園天皇の養子・光格天皇のそれで、光格天皇は1710年に創設された「閑院宮」の血を引いていることを知った。

それが新井白石の進言だったのを知ったのは少し後のことだった。白石の名を聞いたのは中学以来だし、詳しく勉強したこともなかった。が、最近何かで「折りたく柴の記」(「折焚く柴の記」)なる自叙伝があることを読み、自叙伝なら新宮家創設を進言した経緯が記されているのではないか、と考えた。

原文はおろか「翻刻版」ですら読解不能につき、図書館で「現代語訳」を探したが見当たらない。仕方なく「翻刻版」(岩波文庫:99年刊)を借りたがやはり文語体は珍紛漢紛。結局Amazonで「現代語訳」(中公新書:04年刊)を買う派目に。何とAmazonは「英語版」(岩波文庫:49年刊)も新品9,246円、中古10円で売っている。書店が潰れるのも宜なるかな。

@2000円を出費した甲斐あって予想違わず、白石はそれに閑院宮の話を残していた。要点は以下のようだが、進言の動機は徳川幕府のお世継ぎに関係していた。白石は1709年の5代将軍綱吉薨去の際、間部詮房(白石を重用した側用人)への意見書を袖に入れて参内し、弟の詮衡を通じてそれを差し上げた。それにはこう記されていた(以下、要旨)。

天から勇気と知恵を授かった我が神祖(家康)は天下を統一した。これは先祖代々徳を積んだ賜物で、これにより子孫万世の事業が始められた。しかし三代家光公以降、将軍家の血筋が二度絶え①、当代(六代)家宣公を養子に迎えた。神祖ほどの徳を以てさえ百年足らずうちにこういう事態になったことを、私は密かに憂いている。関連して申し上げたことがある。

後醍醐天皇の治世、皇統は南と北に別れ、南朝は間もなく絶えてしまわれた。北朝は武家のために立てられたから、応仁の乱の後の乱世で武家が衰えた以上、皇室が衰えたことは言うまでもない。神祖が天下を統一するに及び皇室でも絶えたしきたりを継承し、廃れた諸行事を再興された。

しかし皇室では、皇太子の他は皇子・皇女がみな御出家される②のは今なお変わっていない。身分の低い男女でも子を産めば家を持ちたいと思うのが人情である。今では農工商の者でも、男には財産を分け、女には嫁入り先を決める。まして侍以上の者は更なりで、こういう世の中の習慣が長く続いている。

皇室も、こうした御出家の習慣を希望しておられるとは思われない。たとえ皇室からお申し出がないにしても、これらの改善がなされないことは、朝廷にお仕えする義務を果たしたとは言えない。この国をひらかれた天照大神の御子孫がこんなようでいらっしゃるのに、神祖家康公の御子孫がとこしえに反映されることを望むというのは如何なものであろうか。

しかし、私が言うようにしたならば、皇子の御子孫が多くなって、武家のために不利なことも出てくるかも知れない。高倉宮(以仁王)の令旨で諸国の源氏が蜂起したが、これは平清盛に非道が多くて家が滅亡すべき時期にきていたのだが、このようにたとえ出家された御身分であっても、武家に不利なことがないとは言えない。ただこれらは武家政治の良否のみに関係することである。すべてこれらのことをよくよくお考えになっていただきたい。

そして白石はこう記している。

この意見書をご覧になったあとで、二三回仰せがあった後、「お前の意見は道理に適っている。しかしこれは国家の大計である。十分に考えてみよう」と仰せがあったが、やがて今の法皇の皇子秀の宮③と申す方に、親王になられる宣旨を下されるようにと仰せられた。その後また御先代(7代家継)に皇女が御降嫁される④ことも決められた。

これらのことは、私がこの国に生まれて天皇の御恩に報いたことの一つである。が、御先代がお亡くなりになって、とうとう将軍家のお血筋が絶えたことは、人力の及ぶところではない。しかしまた私がこれらのことを申し上げたこともあり、将来のことも深く考量しておられた通り、御当代(8代吉宗)が後をお継ぎになったことは、天下にとって幸いというべきであろう。

幾つか補足すると、「三代家光公以降、将軍家の血筋が二度絶え」①は、4代家継の夭逝により、弟の綱吉が5代を継いだこと、及び綱吉の後の6代を兄綱重の子家宣が継いだことを指す。また「皇子・皇女がみな御出家される」②と述べたのは「今の法皇の皇子秀の宮」③が閑院宮直仁親王であり、長子でない直仁親王が出家することになっていたから。

なお直仁親王の父は東山天皇なので、白石は東山天皇の父である「今の法皇」、即ち霊元法皇の子と間違えたようだ。長寿だった霊元法皇は1654年生・1732年没なので、白石が意見書を書いた際はまだ健在だった。また、「御先代(7代家継)に皇女が御降嫁」④は、霊元法皇の八十宮内親王の家継への降嫁を指すが、家継が1716年に満6歳で急逝し、実現しなかった。

最後に光格天皇。閑院宮典仁親王の第6王子として1771年に生まれた祐宮(さちのみや)は聖護院門跡を継ぐべく出家することになっていたことは先述した。が、118代後桃園天皇が1779年に22歳で、欣子内親王だけを残し崩御したため、祐宮を養子に迎え、同年に119代光格天皇として即位することになり、欣子内親王がその皇后に迎えられた。

それから147年の時を経た2026年10月24日、1889年制定の旧皇室典範で「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」とされた規定が改正された。この改正が役に立つ事態は望まないが、改正が施行されるからには養子の迎い入れは早いほど良い。令和の新井白石が誰かは詮索しないが、高市早苗総理大臣は間違いなくその名が歴史に刻まれる。

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