事業計画の書き方を教える前に:なぜ知っていても書けないのか

Yuto photographer/iStock

「言葉遊びはいい。事業計画の書き方を早く教えろ」。

この声が聞こえてきそうだ。実際、こうした反応は想像に難くない。

しかし、考えてみて欲しい。

書き方の本は本屋に行けば山ほどある。

フォーマットはネットで無料で手に入る。

生成AIに聞けば事業計画の雛形だけでなく内容も瞬時に生成してくれる。

それでも、なぜ事業計画が書けないのか。

書き方を知っているのに書けない。フォーマットがあるのに埋められない。AIが雛形を出してくれるのに、自分の会社に当てはめると途端に手が止まる。

この矛盾を解く鍵は、「書き方」にあるのではない。

言葉の定義にある。

科学とは何か——反証可能性という答えの本質

「科学とは反証可能性だ」という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。科学哲学者カール・ポパーが提唱した概念だ。

しかしこの言葉を「知っている」人の大半は、「反証できる命題が科学的だ」という暗記で止まっている。それは知識ではなく、言葉の音を覚えているに過ぎない。

ポパーが本当に言いたかったのは、もっと根本的なことだ。科学とは、言葉の定義を明確にすることである、と。

「反証可能」とは何か。ある命題が反証可能であるためには、「何が起きたらその命題は間違いだと言えるか」が明確でなければならない。つまり、使っている言葉が明確に定義されていなければ、反証もできない。

「良い計画を作りましょう」——この言葉は反証可能か。「良い」とは何か。誰にとって良いのか。いつの時点で良いと判断するのか。定義がなければ、何をもってその計画が「良い」かどうかさえ判断できない。

科学の本質とは、反証可能性という手続きそのものではなく、言葉を定義することで思考を明確にする態度なのだ。

日本人の会話のほとんどはコミュニケーションではない

ここで一つ、不快かもしれない事実を提示したい。

日本人が日常的に交わしている会話の大半は、コミュニケーションではない。

チャットだ。

コミュニケーションとは、意味の共有だ。

送り手と受け手が、同じ言葉に同じ意味を持って初めて成立する。しかし実際の会話では、お互いが使っている言葉の定義が一致しないまま、言葉だけが行き交っている。

「頑張ります」——これはコミュニケーションか。

何を、いつまでに、どの水準まで行うのかが定義されていなければ、この言葉は意味を持たない音に過ぎない。受け手は自分なりに解釈し、送り手は自分なりの意図で発した。二人の間に共有された意味は存在しない。

「売上を上げましょう」「コストを削減しましょう」「組織を強化しましょう」——会議室に飛び交うこれらの言葉も同じだ。それぞれの言葉の定義が共有されていなければ、会議は単なる言葉の交換であり、そこから具体的な行動は生まれない。

事業計画が書けない本当の理由

事業計画も同じ構造の問題を抱えている。

「売上目標」「利益率」「市場シェア」——これらの言葉を書き並べたとき、社長は本当にその言葉の意味を定義しているだろうか。

「売上」とはいつ計上するのか。「利益」は粗利か営業利益か経常利益か。「市場」をどう定義するか。「シェア」は金額ベースか数量ベースか。

定義が曖昧なまま書かれた事業計画は、誰が読んでも意味が取れない。社長自身も、書いた翌月には別の意味で解釈している。これが、前回述べた「蓋然性のない計画」の正体だ。

書き方の本がいくらあっても、フォーマットがいくらあっても、言葉の定義が曖昧なままでは計画は書けない。AIが雛形を生成しても、その言葉に自分の会社の文脈での定義を与えることができなければ、それは他人の計画書だ。

定義することが、経営の言語を作る

ポパーが科学に求めたのは、言葉を定義し、その定義に基づいて思考を展開することだった。

事業計画においても同じことが求められる。「我が社の売上とは何か」「我が社の顧客とは誰か」「我が社の強みとは具体的に何か」——これらを自分の言葉で定義できた瞬間に、初めて計画が書ける。

言葉の定義は、単なる言葉遊びではない。定義することによって、曖昧だった現実が輪郭を持ち始める。目的が明確になる。問題が見える。行動が決まる。

「言葉遊びはいい、書き方を教えろ」という声に、私はこう返す。あなたが書けないのは、書き方を知らないからではない。書こうとしている言葉の意味を、まだ定義していないからだ。

定義なき言葉の羅列は、事業計画ではない。それは、単なるチャットだ。

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